塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

東京の坂道巡り 新坂でも歴史は古い

2007-01-31 07:06:48 | 坂道
 朝陽館本館の中まで入ってみたい欲望を押さえ、
白山通り方面に足を向けるその途中に「新坂」
(本日2回目の坂で別の坂道)がある。
 新坂といえども、とても歴史があり、
別名「外記坂」(げきざか)と呼ばれている。
坂上の北側に内藤外記という旗本屋敷があり、
今は階段となるものの、江戸より続く古い坂である。
 また、この一帯は御弓町その後、弓町と呼ばれ、
1600年頃、御弓組の与力同心六組の屋敷があり、
的場で弓の稽古が行われていた。
 ちなみに、文京区内に新坂と呼ばれる坂が
6つあるそうだ。
(本郷界隈探索:1月27日)

東京の坂道巡り 旅館・朝陽館本館への坂道

2007-01-31 06:59:57 | 坂道
 新壱岐坂から東洋学園大学の角から本郷1丁目に斜めに
上る坂道がある。何か標識がないか、あたりを探索するが何もない。
この坂、名前は付いていないようだ。
 それでも坂下から坂上を眺めると気になった旅館があった。
その旅館、朝陽館本館の前に来てみた。
この旅館は、修学旅行の学生を受け入れているとみた。
この周辺は、修学旅行生御用達の老舗旅館が多くある。
 私の中学時代は、東京が修学旅行先で、都内の宿泊先は旅館だった。
本郷だったので、こんなような旅館だった気がする。

東京の坂道巡り 交通量も多い新壱岐坂

2007-01-31 06:53:39 | 坂道
 文京区本郷界隈の坂道巡りも佳境に入り、
春日通りを横断し出てきたのが「新壱岐坂」(しんいきざか)。
ここは、白山通りから本郷通りへ抜ける幹線道路で
車の交通量も多い。横断歩道を渡りながらの撮影となった。
 通りの反対側に「壱岐坂」がある。
肥前唐津藩主、小笠原壱岐守の下屋敷があったので、
そこから命名。写真は新壱岐坂。
(本郷界隈探索:1月27日)

Weekdayの麺処巡り がんこの基本、塩拉麺

2007-01-30 22:29:25 | 拉麺
 忘れておりました、拉麺のお話ですな。
がんこの基本は、この八代目である。それも塩拉麺である。
 先日、こちらで“塩のこってり”をわがままオーダーして
頂いたが、これが意外とGOODであった。
しかし、ここは基本が塩である。
 で、塩拉麺800円をオーダーし、その意気込み通り
旨い一杯だった。パーフェクトの塩だった。


Weekdayの麺処巡り 元気いっぱい八代目

2007-01-30 22:26:33 | 拉麺
 本日は、末広町のがんこ八代目に伺った。
会社のパソコンが臨終となり、ハードディスクの中身を
バックアップするため、そのパーツ類を購入するため
秋葉原にやってきた。
ここまで来たら、八代目に行くのは、お決まりのこと。
 店に着くなり、食券を購入し、店内に入ると同時に
北沢邦男店主、一言「さぼりかい?」だって。失礼な。
平日の秋葉原等に来られるのは、仕事以外考えられないでしょ。
 さて、いろんなネットで、八代目の引退云々が語られているので、
このあたりで真実を報告しておこう。
北沢店主曰く、「まだまだ元気だよ。当分、隠居はないよ」と
チャキチャキの江戸っ子訛りでアピール。
 最近は、ちょい悪親父よろしく、髭などを生やしながら
がんこ本来の気っぷの良さを、身体全体で表現する。
まだまだ、「がんこ」&八代目は健在だ。

東京の坂道巡り クスノキの大木発見

2007-01-30 07:40:52 | 坂道
 本妙寺坂を上り終えた時、再び菊坂に戻り、
その終点を目指そうか迷ったが、
そのまま直進して、春日通りを目指す。
 途中に大きなクスノキを発見。
説明板によると地上1.5mの幹廻りが8.5mもあり、
文京区内のクスノキの中で一番大きいとのこと。
 クスノキが植わっている奥には、レストランなのか
ホテルなのか、よくわからないが、1階にしゃれた
ティールームがあり、何組かのカップルが優雅に
会話していた。
 これほどの立派な大木を眺めながらお茶するのも、
癒されて良いなー。
(本郷界隈探索:1月27日)

東京の坂道巡り 振り袖火事の火元

2007-01-30 07:29:16 | 坂道
 メイン通りである菊坂に戻り、緩い坂道をだらだら上る。
十字路の交差点が見えてきた。ここから右折し上る坂道が
「本妙寺坂」(ほんみょうじざか)だ。
 左に緩くカーブする坂を上がった左手に本妙寺があった。
この寺は、明暦3年(1657年)の振り袖火事の火元とされる。
本妙寺自体は、明治43年、豊島区巣鴨5丁目に移転している。

東京の坂道巡り 名前だけは、まさに明治

2007-01-30 07:21:44 | 坂道
 菊坂を今度は再び右側の路地へと入ると、
目の前に、モダンな階段を発見。
これが「炭団坂」(たどんざか)である。
 今でこそコンクリートで固められ階段もつき、
手すりも設置されているものの、
昔は土の急坂だった。雨でも降ろうものなら、
行き交うのも難儀をしたであろう。
 名前の由来も、この周辺に炭団を扱う商人がいたとか、
転ぶと炭団のごとくコロコロと転げ落ちたとか、
そんな理由で命名されたのかは、定かでない。

東京の坂道巡り 田舎の頃を思い出す梨木坂

2007-01-30 07:12:05 | 坂道
 再び菊坂に戻り上ると、樋口一葉がよく利用したといわれる
旧伊勢屋質店がある。
この土蔵の先の左側に「梨木坂」(なしのきざか)がある。
坂上に山梨の大木があったので命名されたとか。
 私の田舎の庭にも大きな梨の木があった。
秋になると、長十郎によく似た品種の梨を
たわわに実らせていたものだ。
その梨の実は、あまり美味しくなかったな。
今はその梨の木も枯れはてて、伐採された。

東京の坂道巡り 路地裏に一葉の旧居跡

2007-01-30 07:02:14 | 坂道
 鐙坂を下り、再び路地に入る。
さらに石畳の路地奥に、懐かしいものを発見した。
ガッチャンポンプだ。佃を探索した時も目にしているが、
こちらは現役。民家の玄関先に設置されている。
 よく見るとポンプの後ろに、説明板がある。
このあたりは樋口一葉が住んでいた場所で、
当時は掘り抜き井戸だったここの水を使用していたそうだ。
また、小説「闇桜」や一葉日記は、ここに住んでいた頃から
書き始められたようで、まさにこの場所こそが、
一葉文学発祥の地である。なぜか、胸にジーンと込み上げてくる
熱い咆哮が感じられた。
 廻りは狭い路地裏で、民家が軒下でつながれている。
多くの方がここで生活をしているのだから、探索は息を殺して
静かに見まわらなければいけない。と、つくづく感じた。
決して、大声を出して、足音を立てて探索をしないようにと
自分に戒めた。