塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

ミュージアム巡り 東京・外国人居留地 築地居留地略図

2010-11-30 06:25:38 | ミュージアム巡り
 「築地居留地略図」は隅田川から向かって描かれたもので、概要が
はっきりと判る。居留地を挟み左右(赤色)に相対貸し地域、左端に
築地ホテル館や右上には新島原遊郭跡地が示されている。
 居留地は堀割で囲まれ、居留地内に入れるそれぞれの橋のたもとに
は関門が設置され、別手組が警護に当たっていたという。
 築地ホテル館の楼望から撮影された写真は明治4年のもので、南小
田原町(現在の築地6~7丁目)の民家が広がっている。その先には
運上所(右寄り)や居留地の洋館が眺められ、まだまだ空き地がある
ことも判る。その先が隅田川で船や帆船が浮かんでいる。
(中央区明石町12-1)
南小田原町

ミュージアム巡り 東京・外国人居留地 鉄砲洲居留地

2010-11-29 06:30:45 | ミュージアム巡り
 10月9日から11月21日まで中央区立郷土天文館(タイムドーム明
石)特別展示室で「東京にあった外国人居留地」展が開かれていたの
で初日に伺った。当日は初日、朝イチとあってボランティアの解説員
の方が最後まで付き添って説明していただいた。
 築地外国人居留地は、明治元年11月19日(1869年1月1日)の
東京開市宣言によって、現在の中央区明石町一帯に開かれている。と
ころが指定したはいいが、整地工事に時間がかかり住むことが出来る
ようになったのは、その3年後。それから明治32年に廃止されるま
で居留地が存続した。
 居留地は雑居地域を鉄砲洲の武家地と町地(現在の入船、湊、明石
町、築地6~7丁目)に設定し、居留地差配人には清水組(現在の清
水建設)二代目の清水喜助の他2名が任命されている。
 築地鉄砲洲居留地中絵図には、築地ホテル館(右上)や運上所(後
の東京税関。日の丸が掲げられている)が判る。また、居留地設定直
前の図「上地御用留」もあった。
 東京開市にあたり、市民が外国人に接する時の心得を示した「申渡」
の中には、外での裸体の禁止や軒先に物を置くことの禁止など多くの
項目があったという。
(中央区明石町12-1)
上地御用留  申し渡し

Weekendの麺処巡り 新がんこ池袋で上海蟹の悪魔

2010-11-28 14:30:19 | 麺処_2010
 数日前、福井の知人から松葉蟹が届いた。毎日晩酌で蟹づくしが
続いている。
 そして、今週末は上海蟹である。昨日は「らーめん智」で上海蟹
の塩拉麺を頂き、本日も上海蟹である。第4日曜日の本日、「新が
んこ池袋」では恒例のSP麺が振る舞われる。今月は「上海蟹の悪魔」
だ。毎日、蟹づくしが続いているが、これだけ食べると蟹の祟りで
もありそうだ。
 今月の新がんこ池袋の開店は午後1時からで、いつもより1時間
遅い。何かスープに変化をつけるためのような意図でもあるのだろ
うか。後で伺うと、上海蟹を丸ごとミキサーにかけていたところミ
キサーが壊れてしまい、一匹一匹包丁を入れていたとのこと。
 完成する直前に蟹の身か味噌のトッピングを聞かれ、味噌をお願
いした。甲羅の中には身まで入れていただいた、ありがたい。まず
はスープ、蟹の滋味がしっかりと出た旨いスープで、この悪魔を甘
く感じてしまう。素晴らしい悪魔だった。ご馳走様。
SPメニュー  麺  甲羅  期間限定メニュー

ミュージアム巡り かちどき橋資料館 高圧配電盤

2010-11-28 06:40:46 | ミュージアム巡り
 この資料館の2階には「高圧配電盤」と「低圧配電盤」が置かれ
ていた。これは発電設備を動かし、勝どき橋に電気を送るためのも
のが当時のまま保存・展示されている。
 橋脚部運転室と機械室の見学ツアーは、毎週木曜日に4回分開催
されており、往復ハガキで申し込まなければならない。参加人数は
各回5名で、見学時間は50分程。平日の見学は難しいなあ。
(中央区築地6丁目20-1)
低圧配電盤

Weekendの麺処巡り らーめん智で上海蟹

2010-11-27 13:02:17 | 麺処_2010
 やじ満の牡蛎レポを某所でアップし、神田神保町へ。
 牡蛎の次が上海蟹。この上海蟹を使った塩拉麺を頂きに「らーめ
ん智」に伺った。
 智(旧覆麺)に伺うのは久しぶり。恒例の第4土曜日のSP麺
のシステムが変更されており、整理券は10時からの配布となって
いた。次回12月のSPデスマッチの予告を見ていると、デスマッ
チの日は店名を“覆麺・智”と呼び、及川店主は覆面を被って厨
房を勤めるという。
 さて、注目の上海蟹、スープをすすると甲殻類の風味がほのか
に香り毒々しさはないサッパリとした塩味。帆立の貝柱はワタ付
でボイルされており、これもスープに生かされている。
 従来頂いてきた覆麺の上海蟹のスープが、及川店主の手にかか
るとクセのない優等生的な素晴らしい塩拉麺として頂けた。旨か
った。ご馳走様。
SPメニュー 寸胴のスープ 麺 インフォメーション 12月のSP

Weekendの麺処巡り やじ満で牡蛎

2010-11-27 07:13:47 | 麺処_2010
 本日は早起きをして築地場内を目指す。もう数日で師走、一年経
つのが早いなあ。年末には、この場内にあれやこれやと買い出しに
伺わなければ。
 魚がし横丁8号館の中央辺り、「やじ満」の暖簾をくぐる。この
時間だとカウンターを温めている御仁は、いつもの常連さんばかり。
軽く挨拶を交わし、注文するのは「牡蛎拉麺」950円。
 奥の厨房にはスタッフ3名が陣取り、市場の男衆が注文する品を
わき目もふらず黙々と作りこなしていく。なかなかの光景だ。
 そうこうすると、モウモウと湯気を立てた器が目の前に登場。お
お、本日も大振りのソテーされた牡蛎がデンと盛られている。これ
をおもむろに箸でつまみ持ち上げ口に運ぶ。ブリンとした身を噛み、
あとは豪快に咀嚼する。豊満な磯の香りが口いっぱいに広がってい
く。やじ満の牡蛎、これなんだなー、旨いなあ。ご馳走様。
細麺  ソテーされた牡蠣

ミュージアム巡り かちどき橋資料館 直流発電機

2010-11-27 03:53:33 | ミュージアム巡り
 橋脚内に設置されていた「直流発電機」と「交流電動機」2機が
あった。これは可動部を動かすための発電機と電動機で、70度ま
で広げる電気が供給されており、開くまでに70秒を要した。
 可動部は軸上げに載せられた橋本体(片側だけで重量900t)と、
軸を挟んでカウンターウェイト(重量1,100t)が乗せられていた
という。
(中央区築地6丁目20-1)
交流発電機

ミュージアム巡り かちどき橋資料館 橋の模型

2010-11-26 06:21:47 | ミュージアム巡り
 資料館は元管理部があったところが利用されており、中はそれほ
ど広くはない。その奥に勝どき橋の100分の1の模型が置かれてい
た。ボタンを押すと開橋して、その後に模型の船が通るようになっ
ていた。なかなかおつな計らいである。
 また、現在は動かないものの、前は都電の走行もしていたと係の
方に教えていただいた。
 模型の横には、1970年11月29日の最後に開かれた橋の写真パ
ネルが展示されていた。貴重なワンカットである。
(中央区築地6丁目20-1)
最後の跳開

ミュージアム巡り かちどき橋資料館 勝どき橋_2

2010-11-25 06:28:34 | ミュージアム巡り
 勝どき橋のスペックは、橋長246m、幅員22m、支間長・可動
部25.8m×2、固定部86m×2。構造形式は可動部がシカゴ型
固定軸・双葉跳開橋、固定部がソリッドリブタイドアーチ橋。昭
和15年6月14日に完成し、当時の費用で418万円だった。
 隅田川の河口部は、江戸から昭和の初期まで港域で船舶の航行
が盛んなところだった。河岸には工場や倉庫が林立し背の高い貨
物船や大型船も多かった。そのために1日に数回開橋する可動式
となった。
 その開閉の回数では、戦前が1日5回で戦後が1日3回、また
1961年以降は1日1回となった。船が通る間、晴海通りは約20
分間の交通止めとなった。
 昭和30年代にはいると生活物資の運搬は自動車に転換されてい
き、隅田川を航行する船が減少していく。そのため、1970年11
月29日を最後に開閉が中止されており、それ以降は開かずの橋と
なった。
(中央区築地6丁目20-1)
繋ぎ目_1  繋ぎ目_2

Weekdayの麺処巡り 西尾中華で馬鹿中華

2010-11-24 13:59:17 | 麺処_2010
 午前中、一ツ橋で打ち合わせ。終了して駒込にある麺処「西尾中
華そば」へ。これから年末にかけて“本日の中華”SP麺の確認も兼
ねて伺った。外待ち2名だったが、すぐに4名が出てこられたので
すんなりと入店。
 今後のSP麺では12月13・14日の8タイプの塩拉麺DAYが
気になるなあ。
 早速、「馬鹿中華」750円をコールして前金を払う。中華そばと
どこが違うかといえば、使用されている醤油が白醤油なのである。
どちらかというと塩味に近い一杯なのだ。
 登場した器のスープは幾分醤油色が薄めで、スープの味も優しく
旨い。3タイプの叉焼が入り、昨日提供された鶏の胸肉も入れてい
ただいた。これに自慢のストレートの細麺がピタリとマッチ。旨い
なあ、ご馳走様。
細麺   本日の中華SPメニュー  西尾中華そば