塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

Weekendの麺処巡り らーめん屋 盛で塩

2007-06-30 16:19:17 | 拉麺
 馬場のべんてんを後に、「江戸百」現場巡りで、深川や木場、大島辺りへ
向かった。一立斎広重が浮世絵制作のため、当時訪れた現場からは大きく
豹変しており、現場の見当をつけるのに一苦労した。
 その、洲崎から小名木川へ向かう途中、寄りたい麺処があった。
江東区千田で、以前は「がんこ十一代目分家」であったお店が、
今年4月3日に店名を変更して再出発となった。
その名も「らーめん屋 盛」(さかり)。小笠原盛幸店主の名前から
一字とられたようである。
 店頭・店内は、以前のがんこの雰囲気が漂い、メニューも変わりがない。
しかし、厨房には、元「がんこ西葛西」の店主だった尾松英明氏がおられた。
がんこ西葛西も十一代目分家だった店である。現在は共同経営のようである。
 このお店の特徴は、店頭にビデオカメラが設置されており、
その映像が店内備え付けの液晶TVで見られるのである。
 さて、塩拉麺700円を注文。見た目も、以前の塩と変わりなし。
味は、塩気がマイルドになり、優しいコクのあるスープとなっていた。
チャーシューは箸でつかめないほど柔らかかった。旨い。
やはり、がんこの塩であった。
らーめん屋 盛(さかり)
江東区千田21-6
昼・火~金曜 11:30~13:30、土・日・祝 12:00~15:00
夜・火~土 18:00~翌3:00、日・祝 18:00~24:00
月曜定休日(月曜祝日の場合は営業し、火曜休み)
03-3648-5353

Weekendの麺処巡り べんてんの味噌

2007-06-30 16:13:33 | 拉麺
 本日のべんてんは、3つの特別メニューがカウンターの
上に垂れ下がった。
まず、「塩拉麺」800円、「冷やし油そば」750円、そして
「味噌拉麺」750円である。迷わず、味噌を注文する。
 この味噌拉麺は、“辛・油そば系”とサブタイトルがうたれていた。
今までのべんてんの味噌は、味噌ダレを拉麺に盛るだけであったが、
今回は味噌ダレを先に投入してスープに撹拌してある。
 そして、辛めに和えられたモヤシがのり、短冊チャーシュー、
それに餡かけ野菜がサービスされた。ラー油もたっぷりとかけられ、
べんてんのスープにベストマッチした一杯となった。
 見た目は赤っぽく辛そうであるが、それほど刺激は来ない。
食べ終えてから、じわりと辛さが出てくる。
いやはや、、べんてんの味噌拉麺、おそれいった、旨かった。

善福寺川の橋巡り 耕整橋から4橋

2007-06-30 05:29:11 | 
「耕整橋」
 続いて緑の高欄が見える。
「耕整橋」(こうせいばし)。この橋についてはデータナシ。
(善福寺1丁目6番地辺り)

「小学校橋」
 次の橋は、井荻小学校の校内にある橋で、
次の橋まで廻り、川を少し下ってきて撮影した。
なんと、屋根付きの「小学校橋」(しょうがっこうばし)。
(善福寺1丁目10番地辺り)

「寺分橋」
 続いて「寺分橋」(てらぶばし)。
コメントなし。
(善福寺1丁目11番地辺り)

「新町橋」
 いよいよ、残り数橋となった。
続いての橋が「新町橋」(しんまちばし)。
こちらも年代が出ていなかった。
(善福寺1丁目19番地辺り)

写真は、左上から「耕整橋」、右上が「小学校橋」、
左下が「寺分橋」、右下が「新町橋」

善福寺川の橋巡り 原橋から4橋

2007-06-30 05:24:34 | 
「原橋」
 源流に近づいてきた。橋に駐禁の看板が立っている。
「原橋」(はらばし)。1968年1月完成。
(西荻北5丁目3番地辺り)

「宿橋」
 続いて、「宿橋」(しゅくばし)。
1967年12月完成。
(西荻北5丁目17番地辺り)

「原寺分橋」
 女子大通り(東京女子大学)に架かる橋が見える。
「原寺分橋」(はらてらぶばし)。
橋桁の下流西側に注ぎ口が見える。
1968年1月完成。
(西荻北5丁目18番辺り)

「中学校橋」
 川の西側に荻窪中学校が在り、橋を渡ると同校のプールとなる。
「中学校橋」(ちゅうがっこうばし)。
こんな名前でも、誰でも利用できる。
(善福寺1丁目6番地辺り)

写真は、左上から「原橋」、右上が「宿橋」、
左下が「原寺分橋」、右下が「中学校橋」

Weekdayの麺処巡り 味輝拉で濃香塩冷やし

2007-06-29 19:28:30 | 拉麺
 本日は夕方、横浜市都筑区で仕事の打ち合わせがあったが、
思ったほど長引かず、早めに終了。
ならば、渋谷へ向かうも、田園都市線・溝の口駅で途中下車。
目指すは、がんこ八代目分家の味輝拉(あきら)へ歩が進む。
駅から数分と近い。
 店頭で「濃香塩冷やし」940円に味玉100円を購入し、
店内へ。久しぶりにもかかわらず、店主は覚えてくれていた。
八代目修行時でも、あまり話をしない寡黙な方であったが、
本日は前客が引けると私ひとりとなり、どちらともなく
四方山話に華が咲いた。意外とお茶目な方である。
 さて、濃香塩冷やしの話をしよう。
透明な器の塩冷やし、このキンキンに冷えたスープが旨い。
とても上品な旨味だ。
メンマも冷やし専用で薄くスライスされており、エリンギを
思い浮かべた。別の小型器には、温スープにいつもの
トロトロチャーシューが2枚盛られている。
 通の方は、大器の麺をつけ麺の如く、温スープにつけて
頂く方もいると聞き、最後に試してみた。
ウーン、これならば最初から拉麺の方が良いな。
 味輝拉に伺うと、どうしても末広町の八代目と比較するが、
味のレベルはとっくに北沢師匠を超えている。
旨い冷やしであった。

味輝拉
川崎市高津区溝口1-12-10
11:30~22:30(日曜のみ~20:00) 月・第1火曜定休日
044-812-5488

善福寺川の橋巡り 山下橋から4橋

2007-06-29 06:55:06 | 
「山下橋」
 少しずつ源流に近づいている。
次の橋が「山下橋」(やましたばし)。
1968年1月完成。
(上荻4丁目3番地辺り)

「関根橋」
先に進む。「関根橋」(せきねばし)だ。
鯉のデフォルメされた高欄が見える。
完成年度のプレートがなかった。
JR西荻窪駅北口から続く北銀座通りに架かる橋だ。
(上荻4丁目6番地辺り)

「駅前通り橋」
 名前の通り「駅前通り橋」(えきまえとおりばし)は、
JR西荻窪駅北口から続く通りに架かる。
昔は北銀座通りよりも、駅前通りの方が賑やかだったのか、
定かでない。1968年1月完成。
(西荻北5丁目1番地辺り)

「井荻橋」
 この辺りに来ると、川沿いに土嚢が積んである。
2年前の大水で、水没したところであろうか。
「井荻橋」(いおぎばし)。1968年2月完成。
(西荻北5丁目2番地辺り)

写真は、左上から「山下橋」、右上が「関根橋」、
左下が「駅前通り橋」、右下が「井荻橋」

善福寺川の橋巡り 城山橋から4橋

2007-06-29 06:51:02 | 
「城山橋」
 この辺りで、橋巡りをスタートさせて約2時間が経った。
「城山橋」(しろやまばし)。1968年2月完成。
(上荻3丁目6番地辺り)

「真中橋」
 緑色の高欄が見える。
「真中橋」(まなかばし)。1968年2月完成。
(上荻4丁目1番地辺り)

「社橋」
 次の橋が「社橋」(やしろばし)。
1968年2月完成。
(上荻4丁目2番地辺り)

「丸山橋」
 クリームにブルーの高欄橋が見えてくる。
「丸山橋」(まるやまばし)だ。
1968年1月完成。
(上荻4丁目2番地辺り)

写真は、左上から「城山橋」、右上が「真中橋」、
左下が「社橋」、右下が「丸山橋」

善福寺川の橋巡り 神明橋から4橋

2007-06-28 06:58:13 | 
「神明橋」
 次の橋は、高欄に車が通る数でもカウントしているのか、
監視用のカメラみたいのが設置されていた。
「神明橋」(しんめいばし)。1968年1月の完成。
(上荻2丁目5番地辺り)

「出山橋」
 先に進む。次の橋が「出山橋」(でやまばし)。
1968年1月完成。
(上荻3丁目1番地辺り)

「鍛冶橋」
 緑と白の高欄橋「鍛冶橋」(かじばし)だ。
この高欄にも神明橋と同じ監視カメラが設置されている。
1966年3月完成。
(上荻3丁目4番地辺り)

「中田橋」
 鍛冶橋を過ぎた辺りから、善福寺川を北に遡上していくことになる。
次の橋が「中田橋」(なかたばし)。1968年11月完成。
(上荻3丁目5番地辺り)

写真は、左上が「神明橋」、右上が「出山橋」、
左下が「鍛冶橋」、右下が「中田橋」

善福寺川の橋巡り 荻野橋から4橋

2007-06-28 06:55:31 | 
「荻野橋」
 ブルーの高欄橋が見えてきた。
「荻野橋」(おぎのばし)。1966年3月完成。
(南荻窪4丁目39番地辺り)

「東吾橋」
 次もブルーの高欄橋「東吾橋」(あづまばし)。
1967年3月完成。
(南荻窪4丁目38番地辺り)

「本村橋」
 本日、2度目の同名橋が登場。
「本村橋」(ほんむらばし)だ。この橋のすぐ上流には、
JR中央線の鉄橋が架かっている。
 また、この橋近くに旨いお蕎麦屋がある。
その名も「本村庵」(上荻2丁目7番地辺り)だ。
こちらの橋は、1968年10月完成。
(南荻窪3丁目31番地辺り)

「置田橋」
 JRの鉄橋をくぐり、次の橋へ進む。
クリーム色の高欄の「置田橋」(おきたばし)。
1968年2月完成。
(上荻2丁目5番地辺り)

写真は、左上から「荻野橋」、右上が「東吾橋」、
左下が「本村橋」、右下が「置田橋」

善福寺川の橋巡り 忍川上橋から4橋

2007-06-27 06:53:27 | 
「忍川上橋」
 この辺りは橋の懸架の年代が同じで、ほぼ同時に護岸工事が
行われたようだ。「忍川上橋」(おしかわかみばし)。
(荻窪5丁目5番地辺り)

「荻窪橋」
 次が環八通りに架かる橋、「荻窪橋」(おぎくぼばし)。
1975年7月の完成。交通量も多い環八で、橋の架け換えは
どのようにして行われたのだろうか。
(荻窪5丁目10番地辺り)

「荻窪上橋」
 環八を横断し次の橋に向かう。
「荻窪上橋」(おぎくぼかみばし)。川に対して斜めに架けられ、
しかも、西側に上っていく橋である。非常に珍しい。
1968年2月完成。
(南荻窪4丁目28番地辺り)

「さかい橋」
 高欄が黄緑、親柱がグレーの色をした橋「さかい橋」。
親柱には漢字で「界橋」と出ていた。
1967年3月完成。
(南荻窪4丁目29番地辺り)

写真は、左上が「忍川上橋」、右上が「荻窪橋」、
左下が「荻窪上橋」、右下が「さかい橋」