紙屋さんブログ

土佐の自然を愛する親父です。

戦争・終戦の思い出を話せるのは私達70歳台以降の人間です

2013年08月07日 17時57分30秒 | 日記
 私の家族の「終戦」・・・かみさんは昭和20年の敗戦で「釜山」(N製紙・釜山支店社宅)から引き上げてきました。第一便の引き揚げ船には乗れず、第二便の一ヶ月後だったそうです。着の身着のままで船を待ち、やっと乗れて、博多からは無套の貨物列車で雨に濡れながら、広島の駅にたどり着いたそうです。当時、京城や、元山に支店が有ったのですが幸いにも釜山勤務だったので早く帰国出来たそうです。
 でも、原爆被害一ヶ月後の広島駅だったので、「ピカ…ドン」の光線は受けていなかったけど、一応の検査は受けたらしい。(現在の「ソウル」の元の名は「漢城」で、日本統治時代の「京城」に支店。北朝鮮で日本海側最大の貿易港「元山」・首都平壌(ピョンヤン)へ200kmの地点にも支店)
 帰国出来なかったのが亡き兄の「ソ連抑留」でした。ソ満国境近くの「牡丹工省」の農場だったので…生きてるやら死んでいるやら解らずの5年後の「舞鶴港帰国」で・・・完璧な「岸壁の母」でした。葉山で結婚、長女が生まれた後、家族3人で…狭い山国の日本に、いたたまれず大広野の「ブラジル呼び寄せ移民」昭和32年神戸港から喜望峰回り(3ヶ月)のサントス港と、なったのです。私は、国民小学校では最終、新制中学校の一期生です・・・遺族軍人宅や、出征軍人宅への農作業「勤労奉仕」の思い出が有ります。

 ことしの土佐の鰹は期待出来ません。「黒潮、8年ぶり「大蛇行」か・・・」海洋気象観測船や人工衛星のデータでは、黒潮は7月下旬から紀伊半島付近で蛇行し始めた・・・さらに南下すると、「本州南岸と黒潮の間に冷水域」が発生し、「カツオ」などの回遊魚の漁場に影響が出るとされる。 黒潮が東海沖で「北緯32度以南」まで南下し、折り返して関東沿岸に近づく状態が1か月以上続くと「大蛇行」と呼ばれます。前回の大蛇行は2004年7月に発生し1年2か月ほど続き、05年にイワシなどの漁獲量が減少する一因になったといいます。
 写真は、庭の西側の植木に登ったカボチャです。此の小型の「坊ちゃんカボチャ」が人気です・・・一口鍋にちょうどいいのです。風がなく、じっとしてても、汗が出るので、クーラーの効いてる早めのジムで、ストレッチ兼昼寝でした。体重65、1キロ117の61…2時間の中で30分、30分の昼寝1時間。

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