tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

3/26(土)・27(日)は、奈良県暮らしと環境フェスティバル2011へ!(Topic)

2011年03月26日 | お知らせ
この土日(3/26~27)、奈良県文化会館(奈良市登大路町6-2 県庁の西隣)で「第8回 奈良県暮らしと環境フェスティバル」が開催される。このフェスティバルは「We Love Eco Life ~100%エコライフ体感!~」をテーマに開かれるイベントで、楽しみながら環境問題のことが学べるスグレモノである。入場は無料で、会場内のクイズラリーに参加してアンケートに回答すれば、景品がもらえる。26日は10時~17時まで、27日は10時~16時まで。


写真はすべて、昨年の同フェスティバル(10.4.3撮影)

主催は同フェスティバル実行委員会、後援は、奈良県、南都銀行、ならコープ、奈良新聞社である。今朝の奈良新聞に全面広告が出ているし、もう8年目の恒例イベントなのでご存じの方も多いと思うが、今年の主な出し物を以下に書いておく。



・環境への取り組みを知るブース展示(国際ホール・エントランスホール)
・リサイクル品、地元産品や食事の販売(建物前の「つどいの広場」)
・吉野の森林を再現した「森のたいけん館」と、エコマジックショー(1階第3会議室)
なおマジックは26日は10時、12時、16時。27日は10時、12時、15時の各3回である。
・帝塚山中・高校映像部の環境ドキュメンタリー番組上映(1階第2会議室)
・エコに関する展示・工作体験会やゲーム(2階小ホール)
時間は、26日は13時~16時。27日は10時~16時。
・海賊戦隊コーカイジャーショー(国際ホール 3/24の11時と13時30分の2回)



家族で楽しめる楽しいイベントが目白押しであり、すべてのイベントに無料で参加できる。私も今日はお手伝いのため、これから会場に行くところである。お会いできれば粗品をお渡しするので、ぜひお声かけいただきたい(私の当番は3/26のみ。3/27は橿考研の遺跡ウォークラリーに参加する)。
※お問い合わせ先 奈良新聞社企画部(0742-32-2112)
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ソムリエの合格発表(第5回奈良まほろばソムリエ検定)

2011年03月25日 | 奈良検定
昨日(3/24)、第5回奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)の最上級資格「奈良まほろばソムリエ」の合格発表があった。受験者数218人、合格者76人、合格率34.9%、最高点84点、平均点64.5点と、ほぼ前回並みの結果だった(前回は、それぞれ228人、67人、29.4%、89点、64.3点)。2級と1級は合格率がほぼ倍になったが、最上級のソムリエは例年並み(3割程度)にとどめ、権威を保ったというところか。

これまでの合格率と合格者数を書くと、第3回(ソムリエの初回)66人(31.3%)、第4回67人(29.4%)、第5回76人(34.9%)となり、これでソムリエ資格保持者の総数は209人となった。会社のN先輩も、先日の「古社寺を歩こう会」でご一緒したOさんもYさんも、めでたく合格された、おめでとうございます! 鹿男さんは、わずかに点が足りず、涙を呑んだとのこと。受験者の皆さんの感想は、ぜひ当記事のコメント欄にお書きいただきたい。

きょうの奈良―まほろばの国の三六五日
小野久仁子
紫紅社

※この本は、ソムリエ受験者にピッタリの参考書として使えます!

今回の1級試験は合格率が高く、合格者数は321人と前回(183人)の約1.8倍だった。仮にソムリエ受験者数が1.8倍となれば、(合格率が例年並みなら)来年は約130人のソムリエが誕生することになる。するとソムリエの総数は一挙に350人近くになる計算で、これは一大勢力である。

現在、昨年と一昨年のソムリエ合格者の間で、「ヨコのつながり」「ゆるやかな連携」を図るための「有志の会」を作ろうと動いている。目的はソムリエ同士の親睦・交流と、社会貢献(ソムリエの知識を生かした解説ボランティアやセミナーの開催など)である。いずれ大々的に公表して仲間を募る予定だが、今回合格の76人の新ソムリエも、ぜひ参加していただきたい。
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高井田ラーメン または 生醤油ドバドバ布施ラーメン

2011年03月24日 | グルメガイド
知的発見!探検隊編著『「ラーメン」の謎』(イースト・プレス刊)500円という本で、「高井田ラーメン」なるものを知った。《大阪の高井田地区で食されているラーメンだが、地元ではあまり意識されていない。鶏ガラと昆布のあっさり醤油味に、極太の麺がのっている。早朝から営業しているため、おはようラーメンと呼ばれることもある》。

AllAboutで紹介されているほか、Wikipediaにも載っている。《大阪府大阪市東部(東成区周辺)と東大阪市西部(高井田地区周辺)で供されるご当地ラーメン。但し当地では大抵「中華そば」と呼ばれる。麺は沖縄そばのような極太ストレートで、スープは鶏ガラと昆布を使用し、しょうゆ味で供される。上記の特徴がある中華そばを供する店舗が、特に産業道路沿いの大阪市営バス高井田停留所周辺に集中していることから高井田ラーメンと言われるようになったとされる》。
「ラーメン」の謎―みんな大好き!ニッポンの国民食のヒミツにせまる!
知的発見!探検隊
イースト・プレス

高井田バス停付近には、「光洋軒」(大阪市東成区深江南3-20-15)と「中華そば 住吉」(大阪市東成区深江南3-20-8) という2軒の「高井田ラーメン」の店がある。ここはてっきり東大阪市だと思っていたら、ギリギリ大阪市になるのだ。

3/21(日)、私は住吉を訪ねてみた。お店のHPには《古き良き大阪の味がここにあります。極太麺と濃口しょうゆ味こそが元祖・中華そば。「中華そば 住吉」は昭和20年から創業し、今日に至るまでに多くのお客様に支えられてきました。また、多くの雑誌やテレビ等の取材も訪れていただいたり、様々なサイトやブログ等にもご紹介していただいています事を心より感謝いたします》。なおこのお店は、宗右衛門町にも支店がある。



8人も入れば一杯になる店だ。カウンターの中では、2人の女性が手際よくラーメンを作っては出している。見ていると、マルキン醤油(小豆島のマルキン忠勇株式会社製)を一升瓶のまま、親指で量を調節しながら丼にドバドバと注いでいる。椎名誠なら「生醤油(きじょうゆ)ドバドバ大阪ラーメン」とでも表現するところだろう。「あんなに入れて大丈夫かな」と私も不安になったが、これは杞憂だった。極太ストレート麺が、このスープをしっかりと受け止めるのである。これで500円だから、激安だ。

HP「カルトラ7」が、詳しく紹介していた。《地下鉄千日前線新深江駅から千日前通を東へ400メートルほど進んだ左手。こじんまりとしたふるーいお店。持ち帰りをオーダーする客が非常に多く、スープを次々にウイスキーの空き瓶に注ぐ光景が見られます。醤油を直接一升瓶から丼へどぼどぼ注ぎ、どう見てもお湯にしか見えない液体を注いでスープのできあがり。ラーメン本では鶏がらと昆布ダシなんて書いてありますが、次々注文が入ってスープが減る度にお湯を足していくのでダシの風味なんかほとんどしません(笑)》。

《麺はうどんのような極太かつ冷麺もかくやの強靭さで、茹で時間5分以上はかかってるんじゃないでしょうか。こんなテキトーな造りにもかかわらず結構喰えるからラーメンというのは面白い(笑)。価格はまあ妥当というところか。この麺でつけめんを食べたら凄いコトになりそうです(笑)。雰囲気としては江ぐち@三鷹に近く、カルト度の極めて高いお店。大阪にもチェーンばかりでなくこういう店が存在していたのが妙に嬉しい》。

三鷹の江ぐちは『小説中華そば「江ぐち」』という本にもなった名物ラーメン店である(すでに閉店)。住吉のラーメンは、とにかくインパクトがあるので好みは分かれるだろうが、私には好きな味である。いちど自宅でも試してみようかと思っている(つけ麺用の太麺に、ヒガシマルのラーメンスープ、そこに濃口醤油をドバドバと注げば…)。



なお、高井田と聞いて早合点して、地下鉄高井田駅(JR高井田中央駅)、JR高井田駅などで降りてはいけない。近鉄布施駅、または地下鉄新深江駅下車が正しいのだ(「高井田」のつく地名は広範囲にわたる)。奈良の皆さんは、近鉄布施駅で降り、駅西側のアーケードのある商店街(ブランドーリふせ)を北に突っ切ると、「光洋軒」にぶつかる。その右手(東側)が「中華そば 住吉」である。

ご当地ラーメンがないといわれ続けてきた大阪に、こんなラーメンがあったのだ。しかも奈良から近い布施にある。ぜひこの「布施ラーメン」、いや「高井田ラーメン」をお試しいただきたい。私も次は「光洋軒」にお邪魔します!
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東日本大震災 心に残った3つの記事

2011年03月23日 | 日々是雑感
希望の国のエクソダス
村上龍
文藝春秋

東日本大震災について、様々な報道が行われているなかで、心に残った3つの新聞論評(全文)を紹介する。私は、1.では安易な「自粛競争」への戒めを、2.では日本人の麗しき美徳への自信を、3.では失われた富と引き換えに得た希望を知った。果たして皆さんは、どう感じられるだろうか。

1.大震災に負けるな
奈良新聞論説委員 小久保忠弘氏(3/18付 奈良新聞「金曜時評」欄)

 東北・関東地方を襲った大地震と大津波の被害は目を覆うばかりの惨状を呈している。11日の地震発生から1週間たったが、行方不明者の捜索、死者の収用、要介護者や避難住民の保護など、今なお手が届かない状態だ。関係者による懸命の救援が続いているが食料・燃料の確保さえ十分ではないという。これが世界に誇る21世紀の先進国なのかと、がくぜんとならざるを得ない。

 さらにまた原子力発電所の損傷という、私たちが初めて直面する深刻な事態が勃発している。政府の対応は未熟で、情報の伝達や指揮系統といった肝心なところで力量不足が指摘されている。政策運営さえままらない政権に、国難ともいえる事態に多くを期待する方が無理かもしれないが、国民の暮らしと健康、生命と財産をどう守るのかという最低限の責任を果たしてもらわねばならない。

 そんな中でも、統一地方選挙や選抜高校野球大会は既定どおり実施の方向で動いている。統一地方選は被災地を除いて実施する特例法案がきょうにも成立する。広範囲の被災地があり、選挙どころではない事態になっている折から延期すべきという意見もあったが、できるところはやると決まった。

 同じく高校野球も被災して10日余りで決行することに異論がある。被災地からの出場校などは選手の心身が万全といえるのか。学校・地域が応援をする状況にあるのか。テレビ中継ができるのか。試合環境が公平といえるのか。何よりもプレーする選手の気持ちが重要だ。従来のように「見る人に夢と希望を与える」と簡単には言えまい。

 だがそうであっても、もろもろ考えて、選挙も野球もできるところは既定通りやった方がいい。被災地に思いを寄せつつ自分たちのできることはやる。助からなかった人の分まで精いっぱい努力することで心を通わせることができる。候補者も野球選手も、そんな意義づけをしてはどうか。悲しみを共有するあまり、引きこもってしまってはならない。元気な人まで萎縮しては被災者に思いが届かない。全ての行事を自粛してしまうことが哀悼の意を表することにはならない。

 私たちは、この大震災から悲しみとともに多くのことを学んでいる。日頃備えるべき防災用品や避難場所・経路、家族との連絡方法、食料調達、情報入手方法などはもちろん、巨大津波から逃れるには、原子炉の爆発に際しての心構えといったこれまで考えたこともなかった事態にどう対応すべきかを。連日の報道からは、命の明暗を分けた判断や決断など、生き延びた人の話から次に生かせるヒントや教訓もあるはずだ。さらに地域や国家の危機管理についても思い知らされた。

 阪神大震災から16年。私たちはまだまだ学び足りないのかもしれない。そんなことも胸に、候補者も選手も犠牲者や被災者に思いを致しつつ告示日、開幕日を迎えたい。

2.「信じがたい冷静さ」 素直に誇っていい日本人の美徳
産経新聞論説副委員長 五十嵐徹氏(3/22付 フジサンケイビジネスアイ「視点」欄)

 東北地方を襲った東日本大震災の発生から10日余りが経過した。マグニチュード9.0という日本の観測史上未曽有の巨大地震と、直後の大津波が残した爪痕はあまりにも大きく、深い。被害の全貌は、いまだに把握し切れていないのが実情だ。加えて、東京電力の福島第1原子力発電所では、炉心溶融を含む重大事故が相次いだ。被災者はもちろん、国民は底知れぬ先行きへの不安に駆られている。政府の対応が終始後手に回ったことも大きい。だが、そうした焦燥の日々にあってなお、日本人は健気に助け合い、この国家的危機を乗り越えようとしている。                  

 海外メディアの関心も、日本経済への長期的ダメージと地球環境への悪影響への懸念だけではない。大惨事の渦中にあってなお、基本的に落ち着きを失わず、困難に立ち向かう日本人への「畏敬」が込められた報道が少なくない。しなる高層ビルの谷間で右往左往する外国人。その中で、彼らを安全な場所へと導く通りすがりの若者たち。家路へとはやる気持ちを抑えつつ、何時くるとも知れぬ電車を黙々と待つ人々-。そうした日本人の姿は、日本に滞在して大地震に遭遇した多くの外国人の目には、何より「信じがたい冷静さ」として映ったようだ。

 例えばカナダの通信社「カナディアンプレス」は、バンクーバー出身の日系カナダ人女性(25)の体験談として震災直後の東京の様子を次のように伝えている。「日本在住カナダ人が感銘した人々の冷静さ」のタイトルで配信されたその記事によると、都内の広告代理店に勤務するこの女性は、昼食から戻った直後のオフィスビル10階で地震に遭遇した。慌てて潜り込んだ机の下で、長くすさまじい揺れに耐えながら、一時は「これが、この世の終わりか」と覚悟したという。

 信じがたかったのは、揺れが収まった後の日本人同僚らの行動だった。「彼らは脱出ルートや集合場所など災害時の手順を熟知しているだけでなく、互いがまず相手を助けようとした」。電話取材に女性は、感動を込めてそう語ったという。女性はその後、3時間にも及ぶ徒歩での帰宅を余儀なくされるが、道すがら、子供たちですら、誰ひとり泣き叫ぶ姿を見かけなかったと証言している。
 
 韓国紙「朝鮮日報」の特派員、鮮于鉦記者は自らハンドルを握って被災地・気仙沼に向かった。その体験記が「秩序ある日本人」として同紙の日本語版ウェブサイトに掲載されている。鮮記者は、千葉から仙台までの400キロを車で走る間、多くの車が割り込みや速度違反をすることもなく、整然と走る様子を感動を込めて伝えている。「消息が途絶えた家族や被害を受けた家族を探すため、故郷に向かう人々だ。焦り、いらだっていたと思う」と同情を寄せつつ、「彼らは静かに順番を守っていた。そうでなければ、車が入り乱れ故郷への道はひどく混乱したことだろう」と日本人の忍耐強さに驚嘆している。

 同じ韓国紙「東亜日報」も、相前後して地震直後の大型ディスカウントショップでの目撃談を掲載している。日本では大地震が襲っても「商品を持ち出す人が一人もいなかった」ことに驚きを表明。災害時に「犯罪や略奪、無秩序が横行するという話は、少なくとも日本では『遠い国の話』だ」と印象を記している。           
 
 こうした日本人の「信じがたい冷静さ」と順法行動については、1995年1月の阪神淡路大震災時も、多くの海外メディアが指摘した。欧州在勤中の出来事だったから、よく覚えている。それでも、体験していない大震災はどこか絵空事で、現地の報道には面はゆさを感じたものだ。日本人社会では「島国根性の裏返し」との自虐的ささやきも聞いた。だが、今回は素直に日本人の美徳だと誇れる気がする。

 震災の被害は日を追うごとに深刻度を増している。死者・不明者の数は万単位となり、原発事故の終息も先行きは不透明なままだ。しかし、日本人は必ずや、この美徳で困難を乗り越えるはずだ。そう信じるに足る光景が目の前にある。

3.危機的状況の中の希望
作家 村上龍氏(3/18付 タイムアウト東京:原文は、3/16付 ニューヨークタイムズ「オピニオンページ」)

先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。

部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。

すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。

だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。

日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。

しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。

現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。

東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。

私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。

今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。
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九度山の人形めぐり(2011)、4月1日スタート!

2011年03月22日 | 九度山町
まもなく「第3回 町家の人形めぐり」が開催される。4/1(金)~5/5(木)までの期間中、九度山(和歌山県伊都郡九度山町)の町家に、ずらりと五月人形などが展示されるのである。見学できる時間帯は、期間中の朝10時~夕方4時までで、見学は無料である。町のHPのほか、「九度山町住民クラブ」のサイトに、詳しい情報が出ている。
※トップ写真はウチの実家の展示(09年の第1回)

《九度山まちなかの店舗や民家約70軒に五月人形や雛人形、手芸品その他お家の宝物が展示されます。語り部によるまちなか案内や、もち花や簡単な手芸の体験館、お子様向けの企画や鎧兜の着付け体験も計画しています。ご家族、お友達と連れ立って、九度山で和みのひと時をお楽しみ下さい。住民一同でお待ちしています》とある。期間中は様々なイベントが催されるが、収益金は、すべて義援金として被災地に届けられる。

《このイベントを通じて、訪れてくれたお客様に笑顔があふれ、まちの住民の元気な姿をお見せできればと願っています。そのことが、今回の震災被害を免れた者達の役割であることを一人一人が確信し「町家の人形めぐり」を開催させて頂きます。期間中のイベント収益金は、お預かりします災害義援金と共に九度山町を経て「東北関東大震災義援金」として被災地にお届けいたします》。

3/20~21、お彼岸参りのため九度山に帰省した。九度山町住民クラブ代表の阪井賢三さんは、朝から町内のあちこちに、告知のポスターを貼っておられた。実家でも、展示する人形を箱から出して準備していた。このイベントは県を通じ、財団法人地域活性化センターの「平成22年度地域活性化事例集『シニア世代との協働による地域づくり』」の本編に紹介されている。《地域づくりに取り組まれる方々の参考となる33事例を、関係する市区町村の担当者を始め事業に携わっておられる方々にご執筆いただきました》というものだ。

《平成21年からスタートした『町家の人形めぐり』は、4月1日~5月5日までの期間、九度山町のまちなか(商店街)の民家、商店、空き店舗、施設などで、各家々に縁のある五月人形、雛人形、つるし雛、創作人形、自作甲冑他自慢のお宝人形等を展示することにより、まち全体で情緒あふれる空間を創出している。地域住民と来訪者が人形を通して会話をすることで、共に和み、共に楽しみながら、人と人のつながりを深めようというものである》。

《まちの活性化は、まず住民自身が元気にならければ実現できない。住民同士が活発に交流し、対話する場を創出することが最も大切であるとの考えには至ったものの、具体的に何をしたらいいのか、なかなか結論が出なかった。住民総参加でまちを「交流の舞台」にするような、しかも歴史ある本町に相応しいアイデアはないものかと模索していた》。

《そんな中、全国的に開催されている雛めぐりに注目し、近隣の開催地を調査訪問した。雛めぐりは、桃の節句に因んだ雛人形の人形めぐりであるが、これを端午の節句に因んだ五月人形に当てはめることとした。その理由は、本町では5月5日に町最大のイベントである真田祭が開催される。その勇壮な武者行列と五月人形が、「歴史のまち九度山町」に相応しく、交流と活性化を期待できるイベントになると考えたからである》。

《早速、町内の各団体・グループや住民に参加と協力を呼びかけたが、当初はなかなか全容を思い描いてもらえず、「飾って観てもらえるような人形は無い」などと消極的であった。しかし、10数軒の賛同者があり、所蔵の人形を玄関や店先に飾った。それを見た住民から「こういう人形なら家にもある」「良い交流のきっかけとなる」などの声が出始め、いよいよイベントが開始される4月1日には、50軒ほどが展示に参加。最終的には62軒の家々の玄関・店先が人形で飾られた。町外に出ている子や孫も手伝って飾り付けをする家もあった》。

《こうした人形の飾り付けや、甲冑やつるし雛の作成、手作り甲冑の着付け体験などにおいて、シニア世代の特技などが活かされている。また、シニア世代のスタッフや住民の皆さんの見学者への優しい心配りには、多くの見学者から感謝や感激、感動の言葉が聞かれた。更に特筆すべきことは、住民の間でまちに対する強い関心が盛り上がったことである》。

町家の人形めぐりは、こんなに楽しいイベントなのである。 ぜひ今年も、九度山へ足をお運びいただきたい。
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