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万葉仮名で「於波欲宇」(おはよう)/奈良新聞「明風清音」(21)

2019年06月27日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄に月1~2回程度、寄稿している。昨日(6/26)掲載していただいたのは「万葉仮名は奈良生まれ」だった。この原稿を書くにあたっては、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員の米谷潔(よねたに・きよし)さん(大阪市出身・在住 72歳)のお世話になった。米谷さんは、お若い頃から万葉集を愛好されていて、その後、万葉仮名を研究されるようになった。
※トップ画像は、Wikipedia「万葉仮名」から拝借

万葉集の表記には、漢字本来の意味を生かした「表意文字」と、字音を使う「表音文字」の2種類がある。「表音文字」は1字1音で表される。山は「夜麻」、海は「宇美」というように、ひらがなと同じように使われる(ひらがなは、万葉仮名として使われた漢字を崩した「草書体」から生まれた)。

米谷さんは万葉仮名(表音文字)を並べた「五十音図」を作られ、これを使うと何でも万葉仮名で表記することができる(ただし表音文字に「ん」はないので、「武」「牟」で代用する)。

よろしくを「夜露死苦」、愛してるを「愛死天流」などと書く「ヤンキー漢字」があるが、この「五十音図」を使えば、万葉仮名でこのように遊ぶことも可能である。何より万葉仮名は奈良時代に奈良を中心とした地域で使われたので、これはぜひ奈良で普及させたいものである。では、全文を以下に紹介する。

新元号「令和」が万葉集巻五「梅の花の歌の序」から取られたという話は、先週の本欄に書いた。大伴旅人が自邸に配下の役人たちを招き、1本の梅の木を中心に歌を詠む宴を催したのである。宴を開いた福岡県太宰府市では、「大宰府政庁跡」(国特別史跡)やその近くの坂本八幡宮(旅人邸候補地の1つ)などに多くの人が訪ねているそうだ。

このブームに乗って、奈良まほろばソムリエの会では今夏以降、東京と奈良で万葉集に関する講演会を開催する。「ざっくりわかる万葉集」「雑学的万葉集」「万葉集とその時代」などの通しタイトルをつけ、花の歌、恋の歌、食事や酒の歌、事件の歌など、単なる歌の解釈や鑑賞とはひと味違う、楽しく耳を傾けているうちに万葉集が自然と身につく講座にしようと思っている。秋以降には、その名も「万葉まほろば線」(JR桜井線)を使ったガイドつきウォークの開催も計画している。

ところでこの万葉集、私たちは漢字とひらがなの混じった「読み下し文」を目にしているが、万葉集に収められた約4500首の原文は、すべて漢字で表記されている。たとえば「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」(巻三―三二八)は、「青丹吉寧楽乃京師者咲花乃薫如今盛有」と記されている。当時は自国の言葉を記す文字を持たなかったので、漢字を借りて日本語を表記したのである。

万葉集前期の歌は、漢字本来の意味を生かした「表意文字」と字音によって用いる「表音文字」の混じった歌が多く、後期になると字音によって用いる「表音文字」主体の歌が多くなるという。

「字音」によって書かれたものは一字一音で表わされ、山なら「夜麻」、海なら「宇美」、赤なら「安可」「阿加」などと書き、結果的にはひらがなと同じような機能を果たす。
古くは6世紀の金石文(きんせきぶん)にも使われていたようだが、多くは万葉集に用いられていることから「万葉仮名」と呼ばれる(平安時代以降にはひらがな、カタカナが登場する)。万葉仮名は貴族・官人の歌だけでなく、東歌(あずまうた)や防人(さきもり)の歌でも使われているので、当時の東国の訛りが分かるという。

長年、万葉仮名を研究している奈良まほろばソムリエの会の米谷潔さん(72)によると、万葉仮名はひらがなのように「五十音図」に並べることができるそうだ。これに従えば、ソムリエは「曽武利衣」「蘇牟理衣」「曽武里得」「素六利要」「宗武理延」などと書けることになる。

これは面白い。携帯メールなどで、おはようを「於波欲宇」、さようならを「散夜宇奈良」などと書いて送れば、何だか奈良時代の貴族になったような気分になれる。キャッチコピーとかTシャツの背文字にも展開できる。

いわゆるヤンキー漢字の「夜露死苦」(よろしく)「愛死天流」(あいしてる)「愛羅武勇」(あいらぶゆー)「走死走愛」(そうしそうあい)にも、十分太刀打ちできそうだ。
奈良時代に奈良で生まれた万葉仮名、あまり難しく考えず、遊び心を持っていろんなところに応用したいものである。


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