tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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巨星墜つ!菅谷文則氏(橿考研 前所長)が逝去

2019年06月19日 | お知らせ
橿原考古学研究所の前所長・菅谷文則氏が昨日(2019.6.18)午後、橿原市内の病院で逝去された。76歳だった。橿考研を退職されたことは、当ブログでも紹介させていただいた。逝去の第一報は、菅谷氏と畝傍高校の同窓生だった若林稔さんのFacebookだった(6/18 23:00)。全文を引用すると、
※トップ画像は、奈良新聞1面に掲載された記事(6/19付)

大きな星がまた一つ落ちました!いま、菅谷文則君が逝去したと新聞速報で知った。学生時代から考古学一筋に生き抜いた姿勢には敬意を表したい、と同時に若い頃から家内も含めて登山に熱中して岩壁に、沢に、尾根にと汗を流して語り合ったつながりはその後も続き、考古学に参考になる話には私のようなものの意見にも素直に耳を傾けてくれた素敵な人柄の人だった。

引退したときはこんなに急逝するほど悪いとは思っていなかったので、彼の知識を聞き明かすくらい聞いて録音しておかなくてはと鉄田さんと語り合ったのは退職を発表した2日後のことであった。惜しい人材をというか大きな星がまた一つ落ちた。残念だが黄泉の国でも考古学を続けているだろうことを想像してお悔やみしたい!


田中利典師も、ご自身のFacebookで(6/18 23:00)

心よりご冥福をお祈り致します。生前、大変、お世話になりました。博識で、そしておもろいおっさんでした。とてもとても、悲しいです。

世界遺産登録をはじめ、私のいろんな活動を地元目線で誉めて頂いたのは詩人の前登志夫先生と菅谷先生でした。私にとってはとても心強い味方となりました。吉野ー高野の道プロジェクトでもご一緒しました。あの頃は元気でしたから、ほんまに寂しいです。


共同通信ニュース(6/18)には「考古学者の菅谷文則氏が死去 前橿原考古学研究所所長」として紹介されている。

奈良県立橿原考古学研究所の前所長で考古学者の菅谷文則(すがや・ふみのり)氏が18日午後、奈良県橿原市内の病院で死去した。76歳。奈良県出身。自宅は奈良県宇陀市榛原あかね台1の5の2。1968年に奈良県教育委員会に採用され、橿原考古学研究所で都城や古墳の発掘に従事。

飛鳥京跡の調査では天武・持統朝の飛鳥浄御原宮の遺構の存在を指摘した。2009年から所長を務めたが、体調不良のため今年5月末に退職していた。北京大に留学し、シルクロード研究でも知られる。滋賀県立大名誉教授。著書に「日本人と鏡」「三蔵法師が行くシルクロード」など。


奈良新聞には、このように紹介されている(6/19付記事の末尾)。

飛鳥宮跡のほか、山岳遺跡の研究でも多大な功績があり、山の考古学研究会や奈良山岳遺跡研究会で顧問を務めた。大峯山寺本堂のほか、大峯山系の笙の窟(しょうのいわや)などの調査を通じて日本の山岳信仰が奈良時代にさかのぼることを実証した。

このように偉大な功績を残して逝去されたことは、とても悲しいし寂しいです。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
コメント (2)
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