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奈良市の福智院、毎年6月18日に玄昉(げんぼう)忌/毎日新聞「やまと百寺参り」第9回

2019年06月07日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の発刊とあわせ、毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。昨日(6/6)掲載されたのは「玄昉建立/清水寺(しみずでら)が前身」、執筆者は同会会員の梶原光惠さんである。

清水寺は福智院の前身寺院で、玄昉が建立した寺だ。九州で亡くなった玄昉の頭は、国史跡・頭塔(ずとう=「ホテルウェルネス飛鳥路」の奥)に落ちたというが、ここが清水寺の寺領だったとは、初めて知った。では記事全文を紹介する。

奈良公園の南端にある福智院では、毎年6月に玄昉(げんぼう)忌を営みます。玄昉は学問僧として在唐18年。才能をめでられ、玄宗皇帝から紫の袈裟(けさ)を賜りました。聖武天皇、光明皇后、橘諸兄、孝謙天皇からの信任も厚く、国家仏教の中心人物となりましたが、藤原仲麻呂が権力を持つと太宰府の観世音寺に左遷され、翌天平18(746)年に亡くなりました。殺されたとも伝わります。

元亨2(1322)年に成立した『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』という日本初の仏教通史には、空中から手が現れ玄昉を連れ去り後日、頭だけが興福寺に落ちたと書かれています。その頭を祀(まつ)ったのが「ホテルウェルネス飛鳥路」奥の国史跡・頭塔(ずとう)です。福智院の前身は、聖武天皇の勅願により玄昉が建立した清水寺(しみずでら)とされ、清水寺の寺領は頭塔の辺りまでありました。玄昉の死を悼(いた)んだ清水寺の僧が、観世音寺から遺体を運んだのではないでしょうか(奈良まほろばソムリエの会会員 梶原光惠)。

(宗派)真言律宗
(住所)奈良市福智院町
(電話)0742-22-1358
(交通)JR・近鉄奈良駅からバス「福智院町」下車すぐ
(拝観)9時~16時半、500円(特別展公開時600円)
(駐車場)有(無料)
※6月18日に玄昉忌が営まれる。正午~12時40分は頭塔、13時~15時は本堂で


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