吉野裕子著『蛇 日本の蛇信仰』(講談社学術文庫)を読んで、今も日本人はたくさんの蛇象徴物に囲まれて暮らしていることが分かった。『古事記』を読んでいても、あちこちに蛇が登場する。その代表格といえる「三輪山伝説」をネットで百科(世界大百科事典)から拾ってみる。
※トップ画像は、M/Y/D/S 動物のイラスト集より
三輪山伝説(みわやまでんせつ)
《古事記》《日本書紀》崇神天皇の条にみえる伝説。 《古事記》によると,陶津耳 (すえつみみ) 命の娘活玉依毘売 (いくたまよりびめ)には夜な夜な通う男があってついに身ごもる。 父母が怪しんで男の正体をつきとめるために, 糸巻きに巻いた糸を針に通して男の衣の裾に刺すように娘に教えた。 翌朝見ると糸は戸のかぎ穴から抜け出ており, 糸巻きには 3 巻きだけ残っていた。 そこで糸をたよりに訪ねて行くと美和 (みわ) 山の神の社にたどりついた。 かくて男は美和山の神であり,生まれた子はその神の子であることがわかった。 そして残った三勾 (みわ) (3 巻き) の糸にちなんでその地を〈ミワ〉と名づけた。 この子が三輪氏の祖の意富多多泥古 (おおたたねこ) (大田田根子) であり, 三輪山の神大物主神を斎 (いつ) き祭ったという。
この説話は《日本書紀》では神墓 (はしはか) 伝説 (倭迹迹日百襲姫 (やまとととびももそひめ) 命) として記され, 男の正体は三輪山の蛇とされるが,夜な夜な通う男の正体や生まれた子の父が問題となる伝承は, 《常陸国風土記》の刑時臥 (くれふし) 山伝説や《山城国風土記》逸文に記す賀茂伝説など広く分布するものである。 多くの氏族は祖神との関係を系譜的に物語る伝承を多少なりとももっていたはずで, それには父なる神が処女のもとに寄り来て聖なる子が誕生するという型が一般的であった。 その処女の名がしばしば玉依姫(たまよりひめ) といわれるのも, それが神霊のよりつく巫女を意味したからである。
ネットで百科(世界大百科事典)の「蛇婿入り」には、こんな説が紹介されていた。
蛇婿入り(へびむこいり)
蛇が男になって人間の娘に求婚するという内容をもつ, 異類婚姻譚に属する昔話群の総称。 蛇婿入譚は内容から〈苧環 (おだまき) 型〉〈水乞 (みずこい) 型〉〈蛙報恩型〉に大別される。
〈苧環型〉は,夜中に娘のところに見知らぬ若い男が通ってくるのを怪しんだ親が, 男の着物に糸を通した針を刺させ,男が帰ったあとその糸をたどっていったところ蛇のすみかに至り, そこで蛇の親子の会話を立ち聞きして娘に宿った蛇の子を堕 (おろ) す方法を知る, というものである。 同じ内容の話が古代の神話や伝説にもみえて, 三輪山型神婚説話 (三輪山伝説) と呼ばれている。 古代説話では,蛇との婚姻によって生まれた子どもを神聖視することが強調され, たとえば,豊後の豪族緒方氏 (緒方惟義(おがたこれよし) )の伝承のように, しばしば一族の始祖伝説として語られ, そのような一族の子孫の身体の一部に, そのしるしとしてうろこなどがあると伝えるところもある。 これに対して,昔話の方では蛇との婚姻を忌避することが強調され, 堕胎(だたい) の習俗や端午 (たんご) の節供などと関連させて語られることが多い。
〈水乞型〉の昔話は,干上がった田に水を引いてもらうこととの引きかえに, 3 人の娘のうちの 1 人を蛇の嫁にするという約束をし, 約束どおり末娘を嫁にやるが,嫁入りの途中, 知恵の働く末娘が嫁入道具として持参したヒョウタンと針で蛇を殺す, という内容のものが一般的であるが, 蛇のところに嫁入りしたのち出産のために里帰りし, 蛇の姿で出産しているのをのぞかれて去るという, 豊玉姫(とよたまひめ) 説話との交流をうかがわせる内容をもつものもある。
〈蛙報恩型〉の昔話は〈水乞型〉の変形ともいうべきもので, 通りがかった男が,蛇にのまれそうになった蛙を助けるため, 自分の娘を蛇の嫁にするが,嫁入りする途中娘はヒョウタンと針で蛇婿を殺すという展開になっている。
歴史学的視点に立つ研究者は, 〈苧環型〉では妻訪いが,〈水乞型〉では嫁入りが行われているので, 現実の社会生活における妻訪婚から嫁入婚への婚姻形式の変化が反映されているとみるだけでなく, それによって昔話の成立の時期とその変遷の過程を復元できると考えてきた。 また,蛇などの異類に対する信仰の衰退をみようとすることもなされている。しかし,こうした歴史的解釈だけでなく, 昔話の伝承者たちの異類に対する両義的態度, すなわち,異類との交流を歓迎する気持ちとそれを忌避しようとする気持ちの双方が同時に語られているとも考えることができる。
〈苧環(おだまき)型〉の説明のところに「昔話の方では蛇との婚姻を忌避することが強調され, 堕胎の習俗や端午の節供などと関連させて語られることが多い」とあった(なお「苧環」とは、つむいだ麻糸を巻いて中空の玉にしたもの)。日本国語大辞典の「菖蒲湯」によると《端午の節供に、菖蒲の葉を入れてわかす風呂。邪気を払い、疫病にかからないといわれる。「蛇聟入」などの昔話では、蛇の種を宿した女が菖蒲湯につかると、蛇の子をおろすことができるという》。さらにHP「珍獣の館 今昔かたりぐさ」の菖蒲湯のはじまりによると、
ある娘のところに、毎夜うつくしい男が通ってきました。身なりも言葉づかいも立派で、身分ありげな人でしたが、誰もその人の名前を知らず、どこから来るのかもわかりませんでした。やがて、娘に赤ん坊ができて、日ごとにお腹が大きくなっていきます。娘の母親は娘に糸を通した針を手渡して「これをあの方の着物に刺しておくんだよ」と教えました。
次の朝、男が立ち去ったあとには糸が垂れていました。糸をたぐりながら男のあとをつけてみると、そこは山奥で、男は大きな蛇の本性を出して独り言をいっています。「わしの命も長くない。しかし娘の腹にはわしの子がいる。あの娘が菖蒲湯に入らなければいいが…」
それを聞いた母親は、さっそく娘を菖蒲湯にいれました。すると、娘の腹から蛇の子がダラダラと落ちてきて死んでしまいました。それからというもの、一年に一度、端午の節句には魔よけの菖蒲湯に入るようになったということです。
なるほど、こちらは「蛇との婚姻を忌避することが強調され」たケースである。 野口神社(御所市蛇穴)の汁かけ祭り(藁で10mほどの蛇を作り、子供たちが引きまわし各家を回る)も、杵築神社(田原本町今里)と八坂神社(同町鍵)の蛇(じゃ)巻きも5月5日の端午の節供に行われるのは、蛇神との関係がありそうだ。
奈良県下にもこんな昔話がある。蛇を特集している「月刊大和路 ならら」(2013年1月号)「蛇の嫁取り」(野迫川村出身 野尻とよ子語り 吉川紗代再話)によると
昔、おばあさんが赤ちゃんに、おもてでおしっこさせよったら、蛇がチョロチョロと庭に来るさかいに、その蛇に、「そっち行き。うちの子がおしっこするさかいに。この子が大きぃなったらお嫁にやるから、そっち行きぃ」いうたらね、蛇はチョロチョロと向こうへ行ったんやて。
そしたらある日ぃ、その子が娘さんになった時分に、若いきれいな青年が来るんやて、よなよなと。「娘さんをください」って。「どっから来たんや」て聞いても、名前を聞いても、何もいわへん。毎晩、「娘さんをください」って来るんやて。そで、ある時、お母さんが青年の着物の裾へ、針を通して長い糸をつけておいたんやて。そで、次の朝、その糸をたぐっていったら、大きな岩山に入って行って、そで蛇やってんて。そやから、そんなこというたらいかんいうて、昔からいうねんと。
「どっから来たんや」とか「そで、次の朝」とか「いうたらいかんいうて、昔からいうねんと」という方言がいい味を出している。これは典型的な「苧環(おだまき)型」の昔話で、「蛇との婚姻を忌避することが強調され」たケースである。
蛇にまつわる民俗や伝承はこんなにあるのだ。1月6日(日)には奈良交通のバスツアー「開運!巳の神さま詣で」でガイドを担当するので、お正月休みには、もう少し調べてみることにしたい。
※トップ画像は、M/Y/D/S 動物のイラスト集より
三輪山伝説(みわやまでんせつ)
《古事記》《日本書紀》崇神天皇の条にみえる伝説。 《古事記》によると,陶津耳 (すえつみみ) 命の娘活玉依毘売 (いくたまよりびめ)には夜な夜な通う男があってついに身ごもる。 父母が怪しんで男の正体をつきとめるために, 糸巻きに巻いた糸を針に通して男の衣の裾に刺すように娘に教えた。 翌朝見ると糸は戸のかぎ穴から抜け出ており, 糸巻きには 3 巻きだけ残っていた。 そこで糸をたよりに訪ねて行くと美和 (みわ) 山の神の社にたどりついた。 かくて男は美和山の神であり,生まれた子はその神の子であることがわかった。 そして残った三勾 (みわ) (3 巻き) の糸にちなんでその地を〈ミワ〉と名づけた。 この子が三輪氏の祖の意富多多泥古 (おおたたねこ) (大田田根子) であり, 三輪山の神大物主神を斎 (いつ) き祭ったという。
この説話は《日本書紀》では神墓 (はしはか) 伝説 (倭迹迹日百襲姫 (やまとととびももそひめ) 命) として記され, 男の正体は三輪山の蛇とされるが,夜な夜な通う男の正体や生まれた子の父が問題となる伝承は, 《常陸国風土記》の刑時臥 (くれふし) 山伝説や《山城国風土記》逸文に記す賀茂伝説など広く分布するものである。 多くの氏族は祖神との関係を系譜的に物語る伝承を多少なりとももっていたはずで, それには父なる神が処女のもとに寄り来て聖なる子が誕生するという型が一般的であった。 その処女の名がしばしば玉依姫(たまよりひめ) といわれるのも, それが神霊のよりつく巫女を意味したからである。
ネットで百科(世界大百科事典)の「蛇婿入り」には、こんな説が紹介されていた。
蛇婿入り(へびむこいり)
蛇が男になって人間の娘に求婚するという内容をもつ, 異類婚姻譚に属する昔話群の総称。 蛇婿入譚は内容から〈苧環 (おだまき) 型〉〈水乞 (みずこい) 型〉〈蛙報恩型〉に大別される。
〈苧環型〉は,夜中に娘のところに見知らぬ若い男が通ってくるのを怪しんだ親が, 男の着物に糸を通した針を刺させ,男が帰ったあとその糸をたどっていったところ蛇のすみかに至り, そこで蛇の親子の会話を立ち聞きして娘に宿った蛇の子を堕 (おろ) す方法を知る, というものである。 同じ内容の話が古代の神話や伝説にもみえて, 三輪山型神婚説話 (三輪山伝説) と呼ばれている。 古代説話では,蛇との婚姻によって生まれた子どもを神聖視することが強調され, たとえば,豊後の豪族緒方氏 (緒方惟義(おがたこれよし) )の伝承のように, しばしば一族の始祖伝説として語られ, そのような一族の子孫の身体の一部に, そのしるしとしてうろこなどがあると伝えるところもある。 これに対して,昔話の方では蛇との婚姻を忌避することが強調され, 堕胎(だたい) の習俗や端午 (たんご) の節供などと関連させて語られることが多い。
〈水乞型〉の昔話は,干上がった田に水を引いてもらうこととの引きかえに, 3 人の娘のうちの 1 人を蛇の嫁にするという約束をし, 約束どおり末娘を嫁にやるが,嫁入りの途中, 知恵の働く末娘が嫁入道具として持参したヒョウタンと針で蛇を殺す, という内容のものが一般的であるが, 蛇のところに嫁入りしたのち出産のために里帰りし, 蛇の姿で出産しているのをのぞかれて去るという, 豊玉姫(とよたまひめ) 説話との交流をうかがわせる内容をもつものもある。
〈蛙報恩型〉の昔話は〈水乞型〉の変形ともいうべきもので, 通りがかった男が,蛇にのまれそうになった蛙を助けるため, 自分の娘を蛇の嫁にするが,嫁入りする途中娘はヒョウタンと針で蛇婿を殺すという展開になっている。
歴史学的視点に立つ研究者は, 〈苧環型〉では妻訪いが,〈水乞型〉では嫁入りが行われているので, 現実の社会生活における妻訪婚から嫁入婚への婚姻形式の変化が反映されているとみるだけでなく, それによって昔話の成立の時期とその変遷の過程を復元できると考えてきた。 また,蛇などの異類に対する信仰の衰退をみようとすることもなされている。しかし,こうした歴史的解釈だけでなく, 昔話の伝承者たちの異類に対する両義的態度, すなわち,異類との交流を歓迎する気持ちとそれを忌避しようとする気持ちの双方が同時に語られているとも考えることができる。
〈苧環(おだまき)型〉の説明のところに「昔話の方では蛇との婚姻を忌避することが強調され, 堕胎の習俗や端午の節供などと関連させて語られることが多い」とあった(なお「苧環」とは、つむいだ麻糸を巻いて中空の玉にしたもの)。日本国語大辞典の「菖蒲湯」によると《端午の節供に、菖蒲の葉を入れてわかす風呂。邪気を払い、疫病にかからないといわれる。「蛇聟入」などの昔話では、蛇の種を宿した女が菖蒲湯につかると、蛇の子をおろすことができるという》。さらにHP「珍獣の館 今昔かたりぐさ」の菖蒲湯のはじまりによると、
ある娘のところに、毎夜うつくしい男が通ってきました。身なりも言葉づかいも立派で、身分ありげな人でしたが、誰もその人の名前を知らず、どこから来るのかもわかりませんでした。やがて、娘に赤ん坊ができて、日ごとにお腹が大きくなっていきます。娘の母親は娘に糸を通した針を手渡して「これをあの方の着物に刺しておくんだよ」と教えました。
次の朝、男が立ち去ったあとには糸が垂れていました。糸をたぐりながら男のあとをつけてみると、そこは山奥で、男は大きな蛇の本性を出して独り言をいっています。「わしの命も長くない。しかし娘の腹にはわしの子がいる。あの娘が菖蒲湯に入らなければいいが…」
それを聞いた母親は、さっそく娘を菖蒲湯にいれました。すると、娘の腹から蛇の子がダラダラと落ちてきて死んでしまいました。それからというもの、一年に一度、端午の節句には魔よけの菖蒲湯に入るようになったということです。
なるほど、こちらは「蛇との婚姻を忌避することが強調され」たケースである。 野口神社(御所市蛇穴)の汁かけ祭り(藁で10mほどの蛇を作り、子供たちが引きまわし各家を回る)も、杵築神社(田原本町今里)と八坂神社(同町鍵)の蛇(じゃ)巻きも5月5日の端午の節供に行われるのは、蛇神との関係がありそうだ。
奈良県下にもこんな昔話がある。蛇を特集している「月刊大和路 ならら」(2013年1月号)「蛇の嫁取り」(野迫川村出身 野尻とよ子語り 吉川紗代再話)によると
昔、おばあさんが赤ちゃんに、おもてでおしっこさせよったら、蛇がチョロチョロと庭に来るさかいに、その蛇に、「そっち行き。うちの子がおしっこするさかいに。この子が大きぃなったらお嫁にやるから、そっち行きぃ」いうたらね、蛇はチョロチョロと向こうへ行ったんやて。
そしたらある日ぃ、その子が娘さんになった時分に、若いきれいな青年が来るんやて、よなよなと。「娘さんをください」って。「どっから来たんや」て聞いても、名前を聞いても、何もいわへん。毎晩、「娘さんをください」って来るんやて。そで、ある時、お母さんが青年の着物の裾へ、針を通して長い糸をつけておいたんやて。そで、次の朝、その糸をたぐっていったら、大きな岩山に入って行って、そで蛇やってんて。そやから、そんなこというたらいかんいうて、昔からいうねんと。
「どっから来たんや」とか「そで、次の朝」とか「いうたらいかんいうて、昔からいうねんと」という方言がいい味を出している。これは典型的な「苧環(おだまき)型」の昔話で、「蛇との婚姻を忌避することが強調され」たケースである。
蛇にまつわる民俗や伝承はこんなにあるのだ。1月6日(日)には奈良交通のバスツアー「開運!巳の神さま詣で」でガイドを担当するので、お正月休みには、もう少し調べてみることにしたい。