てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

花火をめぐって(1)

2009年08月04日 | 雑想


 関西では、梅雨が明けないまま8月に突入した。観測史上、もっとも遅くまで居座った梅雨だそうだ。

 異常気象にはもう慣れっこになっているはずだが、今年の夏はいよいよ変である。日食が起こる時間は秒単位で予測できるのに、天気というのはいくら技術が進んでもなかなか予想できないらしい。悪天候に泣かされた先日の皆既日食は、この両方の格差が極端なかたちであらわれた格好だろう。

 けれども、いつまで経っても変わらないものもある。それは、われわれの国民性である。人間の気持ちなんて、風にそよぐ草のようにどこに靡くかわからぬものだと思っていたが、たとえば日本人の花火好きは相変わらずだ。大規模な花火大会は毎年必ず開かれているし(資金難やら何やらで中断したものもあるが)、年を追うごとに盛り上がりを増すような気さえする。山下清が描いた長岡の花火大会は、実に100年以上前からつづいているという。

 かくいうぼくも、毎年一度は打ち上げ花火を見ないと気がすまないたちだ。しかし以前まで住んでいた京都市内では、かつて御所が火事になってからというもの花火大会はおこなわれていないので、遠くまで出かけなければならなかった。去年は宇治の花火大会を見に行ったが、ラッシュアワーを上回る混雑ぶりにうんざりした。花火は好きだが人込みは嫌いだという究極のジレンマに頭を悩ませながらも、夏が近づくと花火観賞の計画を練るのが例年のならわしになっているのである。

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 8月の最初の日、兵庫県立美術館に出かけた。「躍動する魂のきらめき ― 日本の表現主義」と題する展覧会だ。この展示の中身について、そのうち当ブログで書くかどうかはわからないが、土曜日にもかかわらず観覧者の少なさが気になった。テーマのとっつきにくさに加え、京都でのフェルメールのように目玉となる極め付きの名画があるというわけでもなく、マスコミを巻き込んだ盛大な宣伝を繰り広げているわけでもないので、あまり人目に触れなかったのだろう。本当に美術そのものに興味のある、いわば玄人向けの内容だった(企画者の名誉のためにいえば、こうした展覧会こそが本来の姿であると思うが)。

 閑散とした展示室のなかを歩き、いつもはパスしてしまうことの多いコレクション展もひととおり観てから、1階にある「美術情報センター」で時間をつぶした。ここはいわば美術関係の本ばかり集めた図書室で、全集や図録や雑誌など膨大な資料が網羅されている。パソコンの端末が置いてあるほか、カウンターには職員が待機していてレファレンスにも応じてくれるようだが、ぼくは書架に置いてある本を適当に眺めるぐらいしかしたことがない。美術を学ぶ学生などにとっては夢みたいな場所だと思うのだが、いつも2、3人しか利用者がいないようだ。

 さて、この日は夜間開館日で時間がたっぷりあったので、閉館ぎりぎりまでそこに居座っていてもよかったが、夕方6時を過ぎると夕飯を食べるためにそそくさと外へ出た。通りには、浴衣姿の若い女性や家族連れが目立つ。というのも、その日は「みなとこうべ海上花火大会」が開催される日だったからだ。

 神戸新港沖の海上から打ち上げられる花火は、かなり広い範囲から見ることができるようで、メリケンパークやポートアイランド、ハーバーランド、兵庫埠頭などが観覧場所として挙げられていたが、ぼくは人込みを警戒して、ちょっと遠い美術館沿岸から見るだけでもいいかなと思っていた。現に美術館内には、海沿いの階段からも花火が見える旨の案内が書かれていたし、浴衣を着た人は無料で展覧会を鑑賞できるという特典までついていたほどだ。そのせいか、しっとりとした浴衣姿で前衛的な表現主義芸術の前にたたずんでいるという不思議な情景もちらほら見受けられた(しかし浴衣で展覧会をじっくり観るには、館内はかなり温度が低かった)。

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 急いで冷麺を喉に流し込むと、早足で海沿いの道へと向かった。途中に三宮行きのバス停があり、それに乗って打ち上げ場所に近いあたりまで向かうことも考えたが、ぎゅうぎゅう詰めの人込みのなかに投げ込まれることを考えると、少し遠くからでも快適に見ていたかった。かつて『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』という映画があったが、ぼくの場合は「近くから見るか?遠くから見るか?」の二者択一であり、今回はためらわずに後者を選んだわけである。

 美術館の南側、巨大な庇が海に向かって突き出しているその先に、広い階段がある。設計者の安藤忠雄は、大阪のサントリーミュージアム[天保山]でもこれと同じことをやっているが、美術を閉鎖的な空間に閉じ込めることをせず、隣接する海との間をスロープや階段で有機的に結びつけるのだ。しかしこの美術館の入口は北側に設けられているので、普段はここにまで足を踏み入れる人はほとんどいない。

 けれども今日ばかりは、花火を見ようという人が大勢腰かけていた。といってもせいぜい数十人程度で、スペースにはかなり余裕がありそうだ。ぼくは欲を出して、もっと高いところから見ようとスロープをのぼっていった。

つづく

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