てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

黒の思索 ― 須田国太郎が描いたもの ― (7)

2013年02月10日 | 美術随想

須田国太郎『隼』(1940年、京都市美術館蔵)

 須田国太郎には、動物や猛禽類、さまざまな植物を描いた絵もたくさん存在する。人物を描いたものよりも、こちらのほうが多いのではないだろうか。基本的に“人と馴染む”ことの不得手な彼の性格が、画題の選択にもあらわれているような気がする。

 これらは彼の自宅近くの京都市動物園(当時の名称は京都市紀念動物園)とか、あるいは植物園へ出かけてスケッチを重ねるなかから生まれた作品である。つまり、材料は京都で得たものだ。でもあのアンリ・ルソーが、行ったこともない熱帯地方のイメージを得るためにパリの温室へ足繁くかよったように、須田も非日本的なものを求めて足を運んだのではなかろうか。

 京都の日本画家にも、動物園で取材をした画家が少なからず存在したはずだ。美術館の隣が動物園であるという構造は、東京の上野でも、大阪の天王寺でも同じだが、近代の画家たちのモチーフの幅を飛躍的に広げたという意味で、思わぬ貢献をしてくれたようである。絵を志す連中にとっては、写生をするためにわざわざ動物を飼ってくれていたようなものだといっても過言ではあるまい。

 (ちなみにぼくは、京都には数えきれないほど出かけている割に、京都市動物園へ入ったことは一度もないのだ。ぼくは悪臭ふんぷんたる檻の近くよりも、無臭のガラスの向こうで音もなく泳いでいる魚を見るほうが好きだが、知っているかぎり須田の絵には生きて泳ぐ魚類を描いたものは存在しない。)

 『隼』は、動物園という狭い囲いを越えて、枝を複雑にくねらせる木にとまった隼が、まるでスペインそのもののような赤茶けた地面を眺めている。くちばしは鋭く、いささかも無駄のない佇まいはストイックでかっこいいが、その眼は、まるで郷愁に耐えかねた人間のそれのように、少し潤んでさえいるようだ。

 この孤独さ、歪曲した枝につかまっている不安定感が、ぼくには須田の自画像のように思える。彼はやはり、遠い昔に別れを告げてきたはずの西洋の大地を容易に忘れ得ないのだろう。

                    ***


須田国太郎『犬』(1950年、東京国立近代美術館蔵)

 『隼』から10年、戦後になってから描かれた『犬』は、おそらくはどこにでもいるような、ありふれたペットとしての犬のように見える。そして背景も、どこともわからぬ荒野ではなく、明らかに日本の家並みである。

 ここにきて、須田の用いた色調に変化が生じていることに気がつく。赤茶色がほぼ姿を消し、人物や風景の影を強調するものとして使われていた黒が、前面に出てきているのだ。この絵の半分を占める大きな犬は、すべて黒く塗られているが、それがシルエットではない証拠に、眼は真紅に輝いている。

 実は、この犬も動物園で写生されたものらしい。須田の日記によれば、黒い「シベリヤ犬」だという。今でいうと、シベリアンハスキーにあたるのかもしれないが、よくわからない。毛が小綺麗に刈り込まれ、尻尾を振っていたりするところは、ずいぶん人懐っこいように見える。

 しかし当時の京都の一般家庭では、「シベリヤ犬」が飼われていることはほとんどなかっただろう。ということは、前景の犬のアップと、背景の日本家屋のあいだには、大きな断絶が横たわっていることになる。須田がなぜこのような構図の絵を描いたのか、ぼくにはよくわからないが、後足を踏ん張ってしっかりと立つ犬の健気さとは裏腹に、闇が凝り固まったみたいに見える漆黒のその姿は、どことなく不吉なイメージを醸し出しているようでもある。

 “可愛い犬”を描くことなど、須田には思いもよらないことであった。

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