てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

さらば京都よ(2)

2009年05月14日 | 雑想

しんどい、かなんわ、京都弁

 引っ越しも目前となると、キッチンで簡単な料理を作るのも面倒になる。せっかく家を片付けているのに、台所を新たに散らかすことがしのびないのだ。コーヒーを沸かす手間も惜しくなって、つい近くの自動販売機に缶コーヒーを買いに行く。お茶もペットボトルで済ませるような不精を決め込んでいるのである。

 そんな、近所の行きつけ(?)の自販機のことであるが、お金を入れると「おこしやすぅ」という女性の声が流れたので最初はひどく驚いてしまった。京都弁といえば「おこしやす」というのはどうやら定番のようになっていて、「おきばりやす」「かんにんえ」などと並んで全国的な市民権を得ているともいえるが、実際のところ京都に住んでいて、このような言葉を普通に耳にしたことはない。

 テレビなどでこういった言葉づかいをしている人を見ると、客あしらいに長けた料亭のおかみさんだったり、反対に若い舞妓さんだったりすることが多いようだ。そのためか、ぼくはこれらの言葉を京都弁というより、祇園などで用いられる商売用の特殊な言葉かと思っていた。いわば、秋葉原のメイドが甘ったるい声で「いらっしゃいませご主人さまぁ」というようなたぐいである。

 したがってぼくが「おこしやす」という言葉をかけられたことがないのは、長いこと京都に暮らしながらも祇園の店に一度も上がり込んだことのない、いわば“一見(いちげん)さん”でありつづけたからではないかと思い込んでいたのだ。3度ほど東京を旅行しても、誰からも「ご主人さま」といわれたことがなかったように(当たり前だが)。

                    ***

 けれども、必ずしもそうではないらしい。京都を愛した映画監督の吉村公三郎は、こんなふうに書いている。

 《いちがいに「京言葉」といっても、京都全体が同じ言葉というわけではない。大体五つくらいにわけられて、これらはそれぞれ微妙な相違がある。

 最も純粋な古い「京言葉」が温存されていると思われるのは、京都の中心部で、西陣から室町の問屋街あたり、京染をやっている地帯である。それも戦中派、戦後派の若い人達の間にはほとんど見られず、やはり、年寄りの間に古い「京言葉」が使われている。
(略)

 今一つは、加茂川べりから東山にかけての色街にみられる「京言葉」で、他所(よそ)の土地の人達には、これが純粋の京言葉と思われているらしいが、中京のあたりとはちょっと違う。京都の西部地区には田舎の言葉が入っているし、七条あたりから南へかけての伏見になると大阪弁や河内弁の影響がつよい。

 岡崎から東北部北白川あたりは、他所から住みついた中産階級が中心になり、いちばん標準語的である。》


 とこのように、京言葉の分布図はずいぶんと入り組んでいてややこしい。もっともこの文章は今から30年以上も前に書かれたものらしく、今ではかなり様相が変化してしまっていることはじゅうぶんにありそうだが、たかだか11年ほど京都の、しかもよりによって大阪との境目に近いあたりに暮らしたところで、とてもではないが京言葉の深みに気づくことはできなかった。英語を学ぶことよりも、論理的な規則などない京言葉をマスターすることのほうが難しいのではあるまいか。

                    ***

 吉村はさらにこうつづける。

 《総括していえば、標準語とくらべて「京言葉」は明解さを欠く。はっきり相手に印象づけるのには不便なところがあるが、ニュアンス、ディテェイルに富んでいるから、より複雑微妙な意味をつたえることが出来る。

 これは「京言葉」が永い年月を経て、洗練されて来たからだと思う。

 一方、標準語は完成されてからまだ百年くらいしかたっていない。洗練されるためには歴史が浅い。》


 このような先達のすぐれた見識を拝読していると、京都っぽいからというだけの理由で自販機に「おこしやす」という言葉をしゃべらせるメーカーの思慮の浅はかさがあぶりだされてくるかのようだ。だいたい、よそから来た観光客なら「京言葉を話す自販機」に喜びもするかもしれないが、もともと京都にいるものにとっては、メッキのはげた金属を見せつけられるようで、うっとうしいだけである。

 ・・・と思いつつ、また別の時間帯にそこへコーヒーを買いにいったら、今度は同じ女性の声で「Thank you, see you again!」といわれてしまった。何とまあ、節操のない自販機であることか。

(了)


参考図書:
 吉村公三郎『京の路地裏』(岩波現代文庫)

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2 コメント

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Unknown (あべまつ)
2009-05-27 22:44:59
こんばんは。

コメントが遅くなりました。
ご結婚おめでとうございます。

人生の節目の引っ越しは、なかなか大変な事と思いますが、伴侶を得て、新しい生活のスタートのためにとてもいいチャンスだと思います。
人生の変遷と共に、美学がまた充実して
一層奥深い観察と文章となられますことを
期待しております。
大阪からの景色も楽しみにさせて頂きます。
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ありがとうございます (テツ)
2009-05-29 02:06:39
大変ご無沙汰しております。

こちらはようやく新生活が軌道に乗りはじめました。美術随想のほうもそろそろ再開せねばならないなと思いますが、なにぶんブランクが長かったので、そう簡単にはいかないでしょう。

心も新たに、ゼロからはじめるつもりで美術に向かっていけたらと思います。その節はよろしくお願いいたします。
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