てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

越すに越されぬ本の山

2009年04月29日 | 雑想


 いつまでも桜の写真をトップに掲げておくわけにもいかないので、たまには記事を書いてみようと思う。

 既述のとおり、結婚と引っ越しにともなう準備で多忙をきわめているが、世間は一年でもっとも行楽に適した時季を迎えようとしている。ゴールデンウィークというのは映画会社が名付けたそうだが、ここまで定着したのは単に祝日が数珠つなぎになっているからではなく、外へ遊びに出かけたいという欲求が募りはじめる季節と見事に合致しているからだろう。人出は映画館に向かうよりも、例の高速料金値下げにともなって遠方へと、あるいは日本を離れて海外へと拡散しつつあるようである。

 だが、ぼくはといえば旅行どころではなく ― もちろんお金がないせいもあるけれど ― マンションの自室の片付けに余念がない。もちろんそこを明け渡さなければならないからだが、それにしても11年の間に溜まった本の多さにはわれながら驚いてしまう。しかも読み終わった本なら捨てたり売ったりもできるが、ぼくの場合はまだ読んでいない本が大半を占めるのである。じゃあなぜその本を買ったのかと問われると、そのときは読むつもりだったのだが、と答えるしかない。

 世の中には、着もしない服を買い集めて楽しんでいる人もいる。いわゆるコレクションである。使いもしない骨董などを大事にしまっておいて、ときどき取り出しては悦に入っている人もあるだろう。そのへんの心理は、わかるようでよくわからない。こっちは本を集めているつもりはないのだから。ただ、いつの間にか山のように溜まってしまうのだ。もし、人間が食べたものが消化されないでいつまでも残っていたとしたら、数か月のうちに家を占領してしまうのではないかと思うが、ぼくにとって未消化の“知の栄養”が、これまで独りで暮らしていた部屋にはまだまだたくさん残っていたということである。

 恩田陸の『光の帝国』という小説のなかには、一読した本をたちまちのうちに暗記する(作中では「しまう」という言葉で表現される)特殊な能力をもつ一族の話が出てきた。たしかに、読んだだけで頭にインプットしてしまえるならこんなに楽なことはなく、手もとに本を残しておく必要はまったくなくなる。そうでなくても今ではケータイ小説や、インターネットで読める「青空文庫」 ― それにしてもこのネーミングは「晴耕雨読」を裏返した巧妙なものだと感心する ― などもあって、文章を読むことは読むが本を所有していないという人も増えているのだろう。

 しかしぼくは本の感触が好きだし、紙の上に並んだ活字のたたずまいが好きだし、書店や図書館にいるときがもっとも心落ち着くときなのである。ただ、手もとにある本を「しまう」スペースが決定的に不足しているだけだ。

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 ブログを書きはじめてから、その資料として書物を手にする機会も多くなった。そうなるとたちどころに増えていったのが、図録である。かつて「展覧会と図録の関係」という記事に書いたこともあるが、これほどかさばるものはないし、値段も高い。しかしすべての展覧会の印象を頭に「しまう」ことができない以上、これは何としても買わざるを得ないという心境になってしまうことがある(最近はできるだけ我慢しているけれど)。

 資料といえば、かつて東大阪の司馬遼太郎記念館を訪ねたとき、2万冊もの蔵書が収められているという巨大な書架に圧倒された。これらのなかから、あの司馬文学 ― といってもあまり読んでいないが ― が生まれてきたのだろう。何かの本に書いてあったが、司馬が新しい歴史小説を書きはじめようとすると、東京神田の古書街から関連書籍がごっそり消えてなくなったという。資料にするために買い占めたのだ。新築の家もあっという間に廊下まで本で埋まってしまったというのは、奥さんのみどりさんの談話である。

 古本を売る側にも達人がいる。司馬がある書物を探して古書店の主人に電話で問い合わせると、「その本ならもうお持ちです」という。家を探してみると、たしかにあった。何年も前に司馬に売った古本のタイトルを、その主人はすべて頭のなかに「しまって」いたのである。


〔記念館横にある司馬遼太郎宅の書斎(右奥)とサンルーム(手前)。2008年7月5日撮影〕

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 さてこちらは、司馬遼太郎ほどではないが、あふれる本の整理に困り果てている。思い切って手放してしまおうかとも思うが、あとからまた同じ本を買うときのことを考えると、何とももったいない。かといって、いつ読むかわからない本を、引っ越し屋の手をわずらわして運ぶというのも相当お金がかかる。どっちに転んでも、もったいないのである。

 そんなことに頭を悩ませながら、今日も未整理の本の山に挟まれて、体を折り曲げるようにして眠るしかない。これではエコノミー症候群になってしまうのではないかと心配にもなるが、それよりも、寝ている間に地震でも起きたときのほうが心配だ。そしてもうひとつ心配なのが、新居に大量の本を持ち込んだときの同居者の反応であることはいうまでもない。

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