てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ある事後報告

2012年05月02日 | 雑想

〔日比谷公園に咲くポピー〕

 暇もカネもないのに、連休の狭間に東京行きを敢行した。

 もちろん気楽な旅行とは正反対の、決死の強行軍だ。ぼくの美術好きの経歴において、ひいては今後も美術随想を書き継いでいくうえでも、どうしても取り逃すことができないという3つの展覧会を観るためである。

 本当はもっと観たいものがあったのだが、予算と日程の都合で泣く泣く絞り込まざるを得なかった。交通手段としては、夜行の高速バスを選んだ(バス嫌いの妻は同行せず、今回はひとり旅となった)。4月30日の夜に大阪を発ち、5月1日の朝から晩までを東京で過ごして、2日の早朝に帰阪するというスケジュールを立てた。はやりの言葉でいえば、弾丸ツアーということになろうか。もちろんホテルには泊まらない。

 旅の詳しい内容については、また改めて長大な記事を書くことになると思う。だが、肝心の展覧会のこと以上にぼくの気になったのは、先ごろ関越道で起きたツアーバスの事故だ。今回利用したのはツアーバスではなく毎日運行される定期バスだったけれど、夜間の高速道路を走行するという点では、同じである。連休に突入して浮かれていた気持ちに、一気に水を差すニュースだった。

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 結果からいえば、無事に予定をこなして帰ってくることができたので、今こうして記事を書いているわけだ。東京と大阪を安価で結ぶバスはほとんど満席状態で、若い人ばかりではなく、やや年配のお客の姿もあった。

 ぼく自身、これまで高速バスを利用したことは何度かあるが、夜行に乗ったのは5年前に広島に行って以来のことである。何しろ生まれてはじめてのことだったので、どうなることか不安もあったが、運転手の物腰が非常に丁寧で、安心した。電車の車掌のアナウンスなどを聞いていると耳を聾する大音響に辟易することもあるが、そのときの夜行バスの運転手は聞いている人の眠りを誘うような穏やかな口調であった。

 もちろんすべての運転手がそうだというわけではない。けれども、今回の東京への往復便を運転してくれた人も、落ち着いた話し方をする人だった。バスガイドがいるわけではなく、旅程や到着時間などの説明は運転手が走行中におこなうわけで、気が散ったりして危険ではないのかと心配もしたが、訥々としたしゃべりのリズムがいかにも「運転に集中しています」ということを主張しているような気がした。

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 先日の事故に関しては、運転手の日本語が流暢でなかったことが指摘されている。それが事故そのものとどう関係するのかわからないけれども、乗客の不安感を払拭するためには、運転手の人柄は重要である。「この人なら安心して任せておける」と思わせるだけものをもっていないと、おちおち眠れないかもしれない。

 ちなみにぼくは往復ともに、左の窓際の席だった。壁に激突すれば、もっとも被害を受けやすい場所だ。だが運転手に全幅の信頼を置いていたおかげで、ちっとも不安に襲われることはなかった。周りが他人ばかりのバスのなかで、誰ひとり信用できないということになれば、その旅は恐怖にみちたものにならざるを得ない。

 あの悲惨な事故を受けて、関係各社はビジネスの原点ということを改めて考えてみるべきときではないか。重要なのは金儲けのためにあらゆる手段を講じるということだけではなく、合間に顧客との円滑な関係を差し挟むことを忘れてはならない、と痛感している。

(了)

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