てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

五十点美術館 No.19

2008年06月10日 | 五十点美術館
カバネル『ヴィーナスの誕生』


 『ヴィーナスの誕生』といえばボッティチェリの描いた恥じらう立ち姿が有名だが、こちらは海上でなまめかしく横たわるヴィーナスである。

 大阪で思いがけずこの絵と対面したのは、もう今から4年ほども前のことだ。それ以前からさまざまな書物の図版で何度となく見かけていた有名な作品だし、アレクサンドル・カバネルの代表作だとも思うのだが、絵の前に人だかりはなくじっくりと鑑賞できた。主要な作品は展示室の正面に掛けられることが普通だが、この絵は通路から部屋に入った取っ付きに展示されていて、あまり丁重な扱いを受けているとはいいがたかった。

 いろんな書物のなかでこの絵が取り上げられていると書いたが、その多くは少々批判的な内容である。そういっていいすぎなら、分が悪い書かれ方をされている。印象派などの新しい潮流が次々と産声を上げた19世紀フランスの美術界のなかで、それら新興勢力と対立する古くさいアカデミスムを代表する存在として、カバネルとこの作品に言及されていることがほとんどなのだ。端的にいえば、マネの絵画が巻き起こしたスキャンダルの傍証のようにして、この絵はたくさんの学者や評論家から“利用”されてきたのである。

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 1863年、ナポレオン3世の命によってパリで「落選展」が開かれた。当時の画壇の権威であった官展、いわゆるサロンに落選した絵ばかりを並べたもので、物見高い市民たちが大勢押しかけたというが、とりわけ物議をかもしたのが現在では世界的名画とされているマネの『草上の昼食』である。今観ると特に何でもないようなこの絵だが、当時はあまりにも不道徳でふしだら極まりないということで、ごうごうたる非難を浴びたそうだ。着衣の男性と裸の女性が一緒にいるということが、パリの紳士たちにはとんでもない振る舞いに見えたのだろう。

 その一方で、カバネルの『ヴィーナスの誕生』は同年のサロンに堂々の入選を果たしていた。というよりも、サロンの審査員を再三務めたこともあるカバネルはむしろ体制側の人間であって、マネのような前衛絵画を意図的に排除したような形跡が見えなくもない。『モナ・リザ』の複製にひげを描いたデュシャンのように、芸術の権威に抵抗する者たちによって新しい美術潮流が生み出されるのが近代以降のパターンだが、カバネルはそれを警戒していたのでもあろう。

 しかしカバネルのこの絵は、マネよりもはるかに扇情的な裸婦を描いている。それは、一見すれば誰の眼にも明らかなことである。少なくともぼくの眼には、愛の行為の後で眠りこけている女性としか見えない。大きく反り返った左足の指先に、快楽の余韻があらわに残っているようですらある。

 ところが、それが市井の女ではなくヴィーナスであるということが免罪符となって、この絵はパリ市民から歓迎を持って迎えられた。彼らがシルクハットの下で何を考えているか、そんなことは黙っていれば誰にもわからないからである。ナポレオン3世はこの絵を買い上げたということで、どんな下心があってのことかは知りようがないが、だいたいの想像はつくというものだろう。

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 時は経ち、やがてマネの後輩たちが印象派グループを結成し、宗教や歴史に頼らない市民の視座での絵画が広まるに及んで、サロンの画家たちの評価はみるみる下降した。印象派の絵画が絶大な人気を誇るわが国では、ほとんど顧みられることもないといっていい。

 でも、こんにちカバネルの知名度がいちじるしく低いのは、歴史のいたずらにすぎないともいえる。印象派につらくあたったといっても、彼自身が権威のうえにあぐらをかいていたわけではなかった。たまさか展覧会でカバネルの絵に出会ったり、同じくアカデミスムを代表するブーグローの作品を観かけたりすると、やっぱりうまい絵だなと思う。

 現代の日本に生きるわれわれは、150年近くも前のフランスの絵画事情に関係なく、自分の好きなように絵を楽しめるはずである。ルノワールの裸婦とカバネルの裸婦とではどっちが素晴らしいのか、などと考える必要はない。ひとことでいえば、どっちも素晴らしいのだ。そのほうが楽しいではないか。

(オルセー美術館蔵)

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