てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

星に願いを

2009年07月07日 | 雑想


 さて、七夕である。ふだん星空のことをなかなか話題にできない都会暮らしには ― といっても今住んでいるところはかなり郊外だが ― 都合のいいきっかけにはなる。

 夜が暗く、星は明るい福井に生まれ育ったぼくは、10歳のころには自他ともに認める天文マニアだった。とはいっても小学生レベルの話だから可愛らしいものだが、夜空を見上げて星座のひとつやふたつを見つけ出すのはわけもないことだった。子供向けに書かれた宇宙関係の読みものもよく読んでいた。

 星座の多くには神話が伝わっていて、「死んだ誰それを神が憐れんで天に投げ上げ、それが何々座になりました」などと書かれていると、何とはなしにロマンチックな思いにとらわれた。このときの経験は、今になって西洋の絵画などを観るときに大いに役に立っている(先日出かけたルーヴル展でも、ギリシャ神話を題材にした絵がいくつかあった)。

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 家に天体望遠鏡があったことも、ぼくの天体熱に拍車をかけた。天気がよければ家の前に望遠鏡を出して、星雲や星団などを追いかけたものである。

 そんなぼくが14歳になったころ、有名なハレー彗星が地球に最接近するというタイミングに恵まれた。長い尾を引いて夜空にあらわれるほうき星の姿を一度も見たことのなかったぼくは ― といっても、あれは高感度のフィルムで撮影された写真だからそのように見えるのかもしれないが ― 胸をときめかせながらその瞬間を待った。しかし残念なことに、さまざまな悪条件が重なり、わざわざ光の少ない山の上まで出かけて望遠鏡をのぞいてみても、あるかなきかのぼんやりした染みのようなものが見えたにすぎなかった(次にハレー彗星がやって来るのは2061年だということだが、運よく生きていても90歳の爺さんだ。まあ無理だろう)。

 だが、そのときは彗星が肉眼で観測できなかったかわりに、底知れぬ野望を抱いた学者たちは科学技術の粋を集め、あろうことかハレー彗星めがけて探査機を打ち込んだ。その名は、「ジョット」(当時は「ジオット」といっていた)。もちろん偉大な画家の名前であるが、彼の壁画のなかにハレー彗星が描かれていたことから、その名がつけられたのだという。そこに搭載されたカメラが映し出す生の映像を、ぼくは家ではらはらしながら見ていた。

 その結果、彗星はいびつな氷の塊にすぎないということが明らかになった。知識としては知っていたが、それが動かぬ事実となって突きつけられてみると、魔女のまたがる巨大なほうきのような魅力的な姿に胸ときめかせたぼくの天体少年時代は、音を立てて崩落せざるを得なかった。科学とは人類が進歩するために必要不可欠なものだが、無邪気な若者の夢を容赦なく破壊してしまうという大きな弊害をもってもいるのだ。


ジョット『東方三博士の礼拝』(スクロヴェーニ礼拝堂蔵)
上に描かれているのがハレー彗星とされる

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 さらにさかのぼって、幼稚園のころの話である。七夕集会のようなものがあって、みんなで「笹の葉さらさら・・・」などと歌ったあと、ぼくたちはめいめいコップを持って椅子に座らされた。やがて先生がやかんを持って登場し、「みんなに天の川の水を飲ませてあげよう」といって、白濁した冷たい液体を注いでまわった。

 そのときはもちろん、天の川が星の集積であるということは知らなかったので、ぼくたちは喜んでそれを飲み干した。いったいどうやって、先生たちはこれを手に入れたのだろうと思いながら・・・。その水はとてもおいしかった。ただ、何かの味に似ている気もした。

 今でもこんなことをやっている幼稚園があるかどうかはわからない。けれども、眼を輝かせて天の川の水を飲んでいる子供たちに「実はね、それはカルピスなんだよ」と真実を告げることは、ハレー彗星に向かって探査機を打ち込むほどに乱暴なことだろう。

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