てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

運動音痴のスポーツ談義(1)

2009年08月21日 | その他の随想


 普段はめったにスポーツ番組は見ないが、大きな世界大会やオリンピックなどになると、つい睡眠を削ってでも見てしまう。不可解なことだが、自分でもうまく説明がつかない。ただ、“超人”とか“怪力”といったオーバーな言辞を弄して、ストイックな運動行為を派手な見せもののように煽り立てるマスコミとはちがう地点に立っているつもりだけれど・・・。

 今、「世界陸上」がベルリンで開かれている。先日、結婚する際にいわゆる「地デジ」対応のテレビを購入したので、大画面での迫力ある映像を毎日楽しんでいる。そういえば家電屋でテレビを選ぶとき、「動きの激しい運動競技を見るときは多少の残像が映るかもしれません」という店員の説明に対して、「いやスポーツは全然見ませんから」などと応じたことを思い出す。今から思えば真っ赤なウソだったわけだ(幸い、残像はほとんど気にならない)。

 それにしても、無数のカメラを駆使した最近のスポーツ中継の技術には驚かされる。上から吊ったり、地を這わせたり・・・。選手を前から後ろから、遠くから近くから、まんべんなくとらえて隙がない。銀行の監視カメラだって、ここまで徹底してはいないだろう。一喜一憂するコーチの姿さえも、のがさずとらえる。選手の肉親が会場に来ていれば、ちゃんと探し出してアップにするのである。

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 ぼくが10代のころ、陸上競技のスター選手といったら何といってもカール・ルイスだった。オリンピックに何種目もエントリーし、金メダルをごっそりさらって帰るその偉業には、運動嫌いの人でも喝采を送らずにはいられなかった。いわば陸上の代名詞のような存在だった。彼が絶頂期だったときは、テレビ中継のカメラワークも今ほどは凝っていなかったように記憶している。

 そのルイスが、ソウルオリンピックの100メートル決勝にのぞんだときのこと。カナダからの刺客、ひときわ筋骨隆々たるベン・ジョンソンが画面に大写しにされたとき、NHKのアナウンサーは「ベン・ジョンソン、筋肉のかたまり」といってのけた。なにげないひとことかもしれないが、数日後に明るみに出る筋肉増強剤の使用を見抜いていたかのようなコメントだった。いつもながら、こういう大会のときにアナウンサーが発する神がかり的な発言には感心させられる(しかしベン・ジョンソンがルイスを制して1位でゴールしたとき、英語のアナウンサーは素朴に「アンビリーバボー!」と叫んだのだった)。

 今回、ぼくと同じ誕生日(本日8月21日)であるウサイン・ボルトという男が驚異的な世界記録をたてつづけに連発するのを見て、ルイスの時代もはるか遠く過ぎ去ったとの思いを強くした。マイケル・ジョンソンすらも、すでに過去の人となった。彼らはアメリカのどこかでこの中継を見ていたにちがいないが、その瞬間いったい何を考えただろうか。自分たちが誇ったかつての大記録が、いとも簡単に追い越されていくことを。アメリカのお家芸だった短距離走が、カリブ海に浮かぶちっぽけな島国にすっかり奪い取られてしまったことを。

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 先日の100メートル決勝のあとだったか、「世界陸上」の司会を長年務めている元アナウンサーのNさんが、こんな趣旨のことをいった。

 「もし周りに誰もいなくて、ボルトひとりで集中して走ったら、もっといい記録が出るのではないか」

 これをぼくは、失言だと思った。長いこと陸上競技を見てきているのに、何もわかっていないではないか、と。ボルトが高記録をたたき出すのは、ともに走るライバルたちがいるからであり、彼らと精いっぱい競走しているからなのではあるまいか。

 だが、彼女がこんなことを口走ってしまったのもわかる気がする。ボルトはたしかに素晴らしいアスリートだが、ややパフォーマンスが過剰なのだ。ゴールする前に力を抜く(いわゆる“流す”)ぐらいはいいが、あたりをきょろきょろしたり、不敵な笑みを浮かべながら走ったりするのは、われわれ日本人の精神にいつしかすり込まれている生真面目な“スポーツマンシップ”にそぐわない。

 たとえていえば、「ウサギとカメ」に登場するウサギにも似た傲慢さというか、不遜さを感じざるを得ないのである。ボルトは努力の人かもしれないが、人前では自分の才能の上にあぐらをかいているようにふるまいたがる。それが彼の美学なのだろうが、体力が衰えてしまわないうちに死にもの狂いで不滅の記録を残しておいたほうがいいのではないか、という気もする。スポーツ選手という縦軸と世界大会という横軸が絶妙のタイミングで交差する地点は、一生にそう何度もあるものではない。

 もちろん、ボルトも最後の最後にはしっかりと“世界記録”という実績を残しているのだから文句はないのだが、彼がもっとストイックな、精神的にギリギリまで追い詰められた状態で走るとさらにすごい記録が出るにちがいないというのは、多くの陸上ファンが夢想してやまないことだろう。

(画像は記事と関係ありません)

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