てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

あたたかな静寂 ― ル・シダネルを回顧する ― (7)

2012年05月03日 | 美術随想

『森の小憩』(1925年、東京富士美術館蔵)

 『森の小憩』には、かつて京都文化博物館で出会っている。6年ぶりの再会ということになる。

 前項で取り上げたひろしま美術館の『離れ屋』と、ほぼ同サイズの絵だ。いずれにせよ、日本には意外とル・シダネルの絵が所蔵されているようである(ただし前述のように大原美術館にある一枚と、ポーラ美術館にあるもう一枚は、会場の都合でか残念ながら出品されていなかった)。

 ル・シダネルには、「食卓シリーズ」というのがあるそうだ。大原の『夕暮の小卓』は、屋外であるが、食卓が描かれている。ただ、あたりはもう暮れなずんでいて、今さら外で食事をしようという雰囲気ではない。忘れ去られたように、テーブルには瓶や壺やグラス、果物などが置かれている。

 『森の小憩』にはテーブルはないけれど、「食卓シリーズ」のヴァリエーションといえるだろう。地面には布のようなものが敷かれ、皿やコップ、コルク栓がはまったままの瓶、パンや葡萄などが置いてある。気がつくのは手前に薔薇の花束が転がっていることだが、この絵もやはりジェルブロワで描かれたということを暗示しているのかもしれない。

 このころ、すでにル・シダネルは60歳を過ぎ、画家としての名声も高まりつつあった。けれども、この絵には、隠しようのない喪失感が漂っているように思える。それも、物事が徐々に終焉に向かっていくのではなく、何の予告もなしに、突然すべてが終わってしまったかのような・・・。

                    ***


閉じられた鎧戸』(1938年、個人蔵)

 ル・シダネルが人生の最後に暮らしたのは、ヴェルサイユだった。ジェルブロワでは多くの友人たちと賑やかに過ごすことを好んだが、この地には誰も招くことなく、静かな生活を送ったという。

 ヴェルサイユといえば、誰しもあの壮麗な宮殿を思い浮かべるだろう。けれども、彼の絵にそんな晴れがましい舞台は似合わない。死の前年に描かれた『閉じられた鎧戸』は、ここがヴェルサイユだとは信じられないほどだ。

 深読みに過ぎないだろうが、この絵はル・シダネルが自身の生涯を閉じるための準備として描いたような気がしてならない。小さな庭はきれいに掃除が行き届き、戸締まりも終わっている。「食卓シリーズ」などの一連の作品で、食事中に突然人がいなくなったような喪失感を繰り返し描いた画家は、今度はすっかり後始末を済ませたような場面を描いた。

 救いとなるのは、建物をやさしく照らす月明かりと、鎧戸の隙間からうっすらもれるともしびである。家のなかには、老いたる画家の静かな居場所があるのかもしれない。時代の最先端に立とうとせず、ジャーナリズムを賑わすこともなく、自分らしいペースで創作活動をつづけたル・シダネルにふさわしい幕切れであった。

(了)


DATA:
 「アンリ・ル・シダネル展 ―薔薇と静寂な風景―」
 2012年3月1日~4月1日
 美術館「えき」KYOTO

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