てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

大阪府知事と文化の関係

2008年06月03日 | 雑想


 2005年4月9日のことだ。決して広いとはいえないザ・シンフォニーホールのステージ上に、溢れんばかりの楽団員が勢揃いした。彼らが奏でるのは、リヒャルト・シュトラウスの『アルプス交響曲』。長大な演奏時間と、ひとつのオーケストラではまかないきれない大がかりな編成を必要とする作品である。めったに演奏されない曲とあって、ぼくは喜び勇んで聴きに出かけた。

 オーケストラの名前は、大阪センチュリー交響楽団。その日がちょうど第100回目の定期公演だった。足りない奏者を補うべく、東京都交響楽団との合同演奏のかたちで実現したこのプログラムは、彼らがこれまで築き上げてきたものがいかに実を結びつつあるかをじゅうぶんに示してくれたし、これから将来に向けてどのように発展していくのか、大いなる期待を抱かせてもくれた。

 だが周知のとおり、この気鋭のオーケストラが危機に瀕している。大阪府からの補助金が大幅に減額されることが決まったからだ。当初は補助金全廃ともいわれていたが、最悪の事態は回避されたものの、このままでは存続が難しかろう。オーケストラのふところ事情はどこも慢性的に厳しい状態で、大阪センチュリーだけが特別というわけではないが、それにしても今回の打撃は大きい。

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 ぼくは大阪府民ではないし、大阪センチュリー交響楽団の熱心な支持者でもない。大阪府の財政にも当然明るいわけではなく、新知事就任以来のすったもんだを対岸の火事のように眺めてきた。しかしかつてその演奏を聞き、大きな感動をもらったことのあるオーケストラを、カネの都合だけで容赦なく切って捨てようとでもいいたげな議論には、とうてい首肯することができない。

 それだけではなく、知事の発言を追っていると非常に気になる表現が多い。たとえばぼくをほとんど激昂させたのは、次のような言葉だ。

 「行政に携わったり、財界の人だったり、そういう層は、ちょっとインテリぶってオーケストラだとか美術だとかなんとか言うが・・・(略)」(アサヒ・コムより)

 オーケストラだけではなく、ついでのようにして美術まで槍玉に挙げている。そして“インテリぶったもの”とひとくくりにして断罪している。まるで、美術やクラシック音楽は府民のものではないとでもいっているように聞こえる。

 知事の誤謬は、ここに端を発するのではあるまいか。芸術は敷居の高いもの、という思い込みは一般にも広く浸透しているように思うが、これがそもそも大きな間違いであることは、芸術を心から愛する人なら誰だって知っているはずだ。現に、一部の美術館などはその見えない敷居を何とかして低くしようと悪戦苦闘しているように思われる。子供向けのキャプションを設置したり、企画展と関連づけた多彩なワークショップを頻繁におこなったりするのは、その一環である。

 オーケストラも、市民に親しみを持ってもらおうと頭をひねっている。これまでは開演時間がくると何の説明もなく演奏がはじまっていたが、プレトークと称して開演前に出演者のおしゃべりを聞かせたり、演奏家がホールを飛び出して眼の前で弾いてくれるロビーコンサートのようなものも増えてきた。美術と音楽の融合ともいうべき、美術館内部での肩の凝らないサロンコンサートも盛んに開かれるようになっている。芸術は、確実に身近な存在になってきているのである。

 それを“インテリぶって・・・”のひとことで片付けてしまうような知事をトップにいただく地域から、いったいどんな文化が生み出されるというのだろうか。残念ながら、はなはだ疑わしいものだといわざるを得ない。あまり穿ったことは書きたくないが、ご本人が芸術に感動した経験がないから上のような発言になったのではないか、と考えるしかない。

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 知事はまた、次のようにも発言したとされる。

 「残ったものこそ文化だとぼくは思う。府民が署名を集めているが、本当に残したいなら1人千円でも出すべきだ。」(上同)

 たしかに文化というものは、長いスパンで見れば際限なく淘汰を繰り返していて、今では息絶えてしまったものも多い。だが、消えてしまったものがすべて文化として魅力がなかったかというと、必ずしもそうとはいえまい。

 “残ったもの”が文化なのではない。むしろ逆で、文化とは市民が一体となって“育てるもの”なのだ。行政は、その手助けをする義務がある。特にオーケストラは、腰を据えて根気強く育てていかないと、決して良質なものは生まれない。世界のトッププレーヤーをかき集めたサイトウ・キネン・オーケストラは、集まったその日からすでに第一級の音色を奏でたかもしれないが、在阪のオーケストラではそう短時日にはいかない。

 大阪センチュリー交響楽団という名前にこめられた意味も、まさにここにあるのではあるまいか。センチュリーとは100年、1世紀ということである。最初はよちよち歩きからスタートしても、100年後には世界に誇れる一人前のオーケストラに育ってほしい。そんな願いがこめられているのではないかと思うのだ。

 新しいオーケストラが産声をあげてから、今年で18年。ようやく、世間で認められはじめる年頃である。そんな矢先に、彼は人生最大の難関を迎えることになってしまった。

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 だが、考えてみてほしい。大阪には、過去にひとつのオーケストラをじっくりと育ててきた実績がある。こちらも補助の削減が取り沙汰されている、大阪フィルハーモニー交響楽団である。

 大阪フィルは、日本でもっとも成功したオーケストラのひとつだ。音楽監督の大植英次が登板する定期公演は、ほぼ例外なく満員の客を集める。天下のN響ですら、かつては定期会員の減少が懸念された時期もあったことを考えると、これは特筆すべきことではなかろうか。

 そしてこのオーケストラの初代音楽監督といえば、もちろん朝比奈隆である。彼は終戦からたった2年後に、戦災の爪痕も生々しい大阪で新しいオーケストラを立ち上げたのだ。もちろん彼ひとりでは何もできず、多くの財界人の協力もあったのだが、それを今あるような大阪フィルに育て上げたのは決して一部のインテリの力などではなく、一般市民である。なけなしの金をはたいて買ったチケットを握り締め、ホールの椅子に座って今か今かと開演を待った音楽好きの学生たちであり、サラリーマンたちである。楽団のために寄付するお金はないが、仕事の疲れをものともせず駆けつける音楽への熱意と愛情が、彼らにはあったのだ。

 かくいうぼくにも、雀の涙ほどのバイトの給料から何とかチケット代を捻出し、胸ときめかせながら演奏会に通いつめた時期がある。最晩年の朝比奈隆が指揮する姿を間近で見、そのタクトから紡ぎ出される重厚かつ豊潤な音色に、日々の苦労もたちまち吹っ飛んだのを思い出す。

 孫ほども年の離れた若い知事が、大阪の芸術文化に無情なメスを入れようとしているのを見て、天国のマエストロはいったい何というだろうか。

(画像は記事と関係ありません)

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2 コメント

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Unknown (遊行七恵)
2008-06-10 12:39:04
こんにちは
本当に心の底から腹が立っています。
焚書です、彼のやろうとしていることは。
文化の絶滅を図っているとしか思えません。
そして自分のごり押しを通すためには泣いて見せるわけです。
無知蒙昧もここまで来るか、という絶望的な気持ちでいっぱいです。
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こんにちは (テツ)
2008-06-10 17:00:46
おっしゃるとおりだと思います。
ぼくは当の大阪府民ではないので、外野からこれ以上ものをいっても仕方ないとは思いますが、やっぱり他人事とは思えません。日本での「文化」がいかに脆い地盤に置かれているかということが、露骨にあぶり出されたという感じです。

かつて、群馬交響楽団の成り立ちを描いた『ここに泉あり』という映画がありました。残念ながら、大阪の泉は今にも枯渇してしまいそうです。
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