てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

インドの大地に不矩きたる(1)

2008年06月04日 | 美術随想

秋野不矩

 1908年は日本画家の当たり年であったらしい。東山魁夷の生誕100年を記念する展覧会が大々的に開かれたことは前にも書いたが、奄美に隠棲した孤高の画家・田中一村も、魁夷よりちょうど2週間遅れて生まれている。

 そして一村が生まれてから3日後には、のちに偉大な女性画家となる秋野不矩(ふく)が生を受けている。この3人は文字どおり一生を絵に捧げ、それぞれ他の追随を許さない独自の画境に到達することになるが、彼らが相次いで生まれたことは偶然の一致とはいえ、多少の因縁めいたものが感じられなくもない。

 北の自然を愛した魁夷と、南国で生を終えた一村は、同じ日本画家ではあっても、その作風や性格はまるで水と油のように対照的だった。このふたりの誕生日が近接していることは、ヒトラーとチャップリンの生まれた日が4日しか離れていなかったことと同じぐらい興味深い事実である(チャップリンが『独裁者』のなかでヒトラーそっくりの人物を演じたのは、おそらくそのことが頭にあってのことだろう)。

 秋野不矩が画家として活動をはじめたころには、日本画の世界はまだまだ男社会だった。女性が全然いないわけではなかったが、取り上げる画題は非常に限定されていた。しかし不矩は狭苦しい殻を果敢にぶち破って、これまで誰も描こうとしなかった世界へと飛び出していった。文字どおり日本という国を飛び出し、遠く離れたインドの地に生涯のモチーフを発見したのである。

                    ***

 少し前の話になるが、彼女の生誕100年記念展が京都で開催された。ぼくはこれまで2度ほど秋野不矩の大きな展覧会を観たことがあり(そのうち1回は画家の生前のことである)、ぼく自身が病後ということもあって今回はやめておこうかとも思ったが、やはり我慢しきれずに出かけてしまったのだった。

 そのときは出品されていなかったいくつかの作品を含めて、スケールの大きな不矩の画業をたどり直してみたいと思う。

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