藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

秋本番・・・

2018-10-26 15:21:27 | 日記・エッセイ・コラム

 本日、安佐市民病院診察日。 朝、急いだわけではないが、到着すると八時十五分前。 診察番号5番だ。 それでも診察前に、血液検査、レントゲンと先ずは検査だ。 結果が出たのは、九時半。 それにしても今日はあまり患者さんがいない。

何時もならば、待合室のいすが足りないが、がらがら・・・・。 少し不思議な気持ちになった。 暑さが去って、皆さんの病状が回復したのなら良いのだが、・・・・・・。 診察結果は、数字的には大した変化がなく、かと言って油断すべからくのご支持であった。 優等生の私は、ありがたくお礼申しあげて帰路に付、何時ものスーパーで、今夜の買い物。 顔見知りの「鮮魚」担当の方から、「今日は、サバ。 しめ鯖に良いサバが入っているよ」と、声を懸けられて購入。 「ついでに、カニを買ってよ」と言われたが、見ると小さな「毛蟹」が三匹ビニール袋の中で動いている。 昨日の残りだそうだ。 私、「小さいなー、食べる処無さそうよ・・・・」。 担当の親父さん、「半値にしておくから」。 私、「半値でも高い」。 親父、「半値の二割引き」。 私、「しょうがない、買うわ」。 三百二十円の半値の二割引き・・・・。 頭の中で計算したが、「?」。 「まーいいか、今年の初物」・・・。 変な納得をして買って帰った。 帰り着いて、「鯖の酢〆」、ついでにカニを湯掻き・・・・。 昼食は、シシャモ、烏賊大根、三色ピーマンと昆布の酢の物、他昨日の残り物。 奥様に「蟹、食べる?」と聞いてみたが、「私は、メンドクサイ物は要らない」の一言。 一匹取り上げて試食。 「うまい・・・」 今夜の缶酎ハイのお供に取っておこうと、・・・・

小ぶりだが、さすが「上海がに」の仲間だけは有る。 今夜が楽しみだ。


大丈夫?・・・我が奥様。

2018-10-25 10:20:39 | 日記・エッセイ・コラム

 早朝六時、「お風呂湧いてるから、どうぞ」。 私「?、こんなに早く朝風呂?」。 奥様「冷めるから早く」。 私、急いで一階へ、お風呂に入って・・・・・。 夕べ確か、こんな夕食を食べながら

私「明後日は、病院なので明日は必ずお風呂に入りたい」 奥様「じゃー、私が散歩から帰ったらお風呂にしましょう」 私「それなら、十時半頃ね」 そんな会話を交わしたことは記憶にある。 しかし、早朝の六時、?・・・・。 お湯に浸かりながら、(奥様、まさか認知症になったのでは・・・・)。 お湯から上がり、「朝食前にお風呂にするって言ったかなー」と、聞いてみた。 奥様の弁「えー、忘れてたー・・・早くても、遅くても一緒でしょ」 私「一緒だが、・・・・ まさか、惚けが始まったのでは・・・」。 そんなこんなで、早朝から私の頭は混乱気味である。 もしも、奥様が認知症を発症し、徘徊が始まったら・・・・・それは大変だ。昨日は、八時過ぎから一万歩の裏山散歩、その後七千歩、郵便局へ往復はがきの買い出し。そんな健脚の後をついて歩けないぞー・・・・・。 元気は良いが、程度物だ。 単純作業に強いだけではないから困る。 読書を始めると、頭痛が始まっても止まらない方である。 後になって、「肩が凝って、頭が痛い」。 それは痛かろう。深夜二時から明け方まで読んでいるようだ。 まあー、痴呆に成っていない前から、心配する私も近頃どうかしている事は確かである。 世の中成る様にしかならぬ。 朝飯を食ってそれからゆっくりと休んで・・・「ぼー・・・」としていたら、この時間になった。 奥様は朝の散歩から、今お帰りである。 「十時半」何時もの時間どおりである。


烏賊大根

2018-10-24 14:00:59 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、何時も訪問していただく方のブログを、詳しく拝見していたら、「烏賊と里芋の煮物」の写真に行き当たった。 旨そうだが、里芋との取り合わせが・・・・・。 子供の頃より、烏賊と言えば大根と言うような取り合わせで、初冬の食卓に顔を見せた記憶がある。 食べたい・・・・・・。 本日、烏賊を買ってきて大根を湯掻き、加えて煮込む事三十分。 出来上がったのが、「烏賊大根」である。

 これで今夜のおかずが一品できた。 久しぶりの「烏賊大根」。 これで焼酎を一杯だけ頂くとしよう。 明後日は、精密検査の日である。 気を付けていないと、数値が悪化する。 すべての物を程々にしているが、こんな物を目の前にすると、度を超すことが有る。 「くわばら、くわばら」。


似島の事を何故知っていたか

2018-10-23 09:53:27 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和40年成人式で一人の人物に出会った。 広島市教育委員会職員の人間である。 その人は、後に知ったのだが、岸、佐藤両総理の甥っこであった。 山口県に就職すれば県の教育長に成れる家筋だったが、自分は教育現場一筋に生きて行きたいと、広島市に就職したそうだ。 妙に私と気が合い、酒を酌み交わして議論する内に、兄弟以上の付き合いとなった。 その方の友人で、広島の三滝寺と言えば知らない者がいない寺院の住職、佐藤天心住職を知り、その教えを受けるようになった。 師は、少年院の子供たちの心のケアーをされており、二週間に一度少年院を訪ねておられた。 その少年院に同道するようになり、非行少年との交流の中で、少年たちが抱えた心の問題の広さと深さを知って行くうちに、社会教育に嵌ってしまった。 しかし師、曰く、「彼らは甘えているのだ、彼らには甘える身内がいる、身内も無く一人で生きている少年少女がたくさんいる。」 その事が契機となり、孤児院でのボランティア活動を始めた。 そこは、昭和20年の原爆で孤児となった子供たちが収容された孤児院で、私が出入りし始めた頃は、すでに原爆孤児は成人しており、一般の孤児ばかりであったが、その生活環境は劣悪であった。 興味を持ってくれた、同年代の女の子もボランティアに参加してくれたが、その匂いについて来れなかったのだ。 お寝小の匂いのすごさは並ではない。 布団を干せば解決できるがその手間が無いのだ。そのことがきっかけで、市内の青年団体に声を懸けてボランティアを募り、「新生学園」「似島学園」を訪問し活動していた。 その中で、吉川栄治氏が、戦後、被爆孤児の為に奨学金を送り、東京の大学を卒業させていた事実や、私の同級生の両親が、財産を擲って東京に寄宿舎を立て、支援していたこと等、戦後の混乱期に人の優しさが溢れた時代が存在したことを知ったのです。 その中に、「似島学園」の歴史や、そこで起こった悲劇や、「似島」自体が、明治以来の日本の膨張政策によって、いかに多くの犠牲者が生まれたのか学んだのです。 その中に、「バームクーヘン」と「サッカー」とが有ったのです。 国は似島の国有地が、不要となり、払い下げられることとなり、広島市は押し付けられる事と成りかけた時、当時の市会議員の中の良識派或は、革新系議員から反対の意見が出ました。 それは当然な意見に聞こえていたのですが、歴史的見地からこの土地を引き取るべきだと私は説得して歩きました。原爆の悲惨さを、戦争の悲惨さを伝える土地こそ、国際平和文化都市に相応しいと思ったからです。 その土地を買い取ったことにより、広島市はドイツ・ハノーバー市と姉妹縁組する事と成りました。

 今私が高齢者と成り、残念に思う事が有る。 広島市議会議員の質の低下だ。 話せば理解できる議員の少なさ。 秘書をこき使い、取り寄せた昼食を議員控室で食べる。 そんな議員ばかりである。 市議会棟の地下には議員用食堂があるが、利用する議員はほぼ居ない。 嘗ては、保守、革新入り乱れる中で、昼食を食べながら議論していた議員の姿が有った。 それを市の職員が見て本気で仕事をしていたように思うのだが・・・・・。 嘗て戦後の悲惨な生活の中で、孤児院を立ち上げ、育て上げた先人たちの気力を、今こそ思い出すべきだと思う。  ○○48なんぞに浮かれた若者諸君に言いたい、「浮かれていると君たちの老後は、アメリカ社会の様に、ホームレスが溢れる社会に成る事は間違いない。」と。

 そして再び、力の政治がのさばり、軍国主義が闊歩するようになる。 泣きを見るのは貴方たちなのだ。

 


バームクーヘンは、広島市の宇品沖に浮かぶ小島「似島」で作られて・・・・。

2018-10-22 12:03:26 | 日記・エッセイ・コラム

 記憶をたどりながら調べてみた。 日本で最初に商品として販売された「バームクーヘン」については、

http://baum100pr.com/   と、  

http://www.cf.city.hiroshima.jp/rinkai/baumkuchen/baumkuchen.html  を是非ともお訪ねください。 詳しく乗っています。

 ところで、この「似島」は、今一つ日本で初めての記念すべき事が行われた場所なのです。 日本サッカー界が、何故このことを無視するのか、不思議でなりません。 実はこの島に収容された「ドイツ人捕虜」を慰めるために、広島高等師範学校を始めとする当時「蹴球」と呼ばれていたクラブ活動者が、似島のドイツ人捕虜を慰問し、サッカーの交流戦を行ったのです。 この事は「知る人ぞ知る」のことですが、日本が初めて国際試合をした記念すべき地なのです。 

 今広島は、サッカー場建設地で紛糾しています。 サッカーを本当に愛し、歴史を学び、最もふさわしい土地を選ぶのならば、南区の宇品海岸しかないのです。 その地からは、「似島」をはっきり見る事が出来ます。 本当のサッカーファンならば、宇品こそサッカー場建設地に最も相応しいと思うのですがいかに思われますか。

 日本サッカー連盟のえらいさん・・・・。日本のサッカー国際試合の地を一度は訪ねてはいかがですか。