藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

10月5日  広島へ来て見てつかーさい。

2018-10-05 12:52:17 | 日記・エッセイ・コラム

 広島平和祈念公園についても、是非とも知っていただきたいことが有る。 現在の形になったのは、昭和39年8月1日だ。 それまでの公園には、原爆被爆者慰霊碑には、「平和の灯」は無かった。 「平和の灯」は、広島大学教授「角 秀一」氏の努力の賜物でることは、あまり多くの人は知らない。 彼は原爆投下された日、当時広島文理科大学の研究室で被爆し、一命を取り留めた。 多くの人が犠牲になった惨状を目の当たりにした一人である。 その後、広島大学の教授となった彼は、慰霊碑に献火台を設けるべきだと思い立ち、全ての宗派の聖火を持ち寄り、一つの物として犠牲者に捧げようと思い立った。 一人で国内の宗教者を訪ね、また、平和公園の設計者、「丹下健三」を訪ねて賛同を得て、「平和の灯建設委員会」を立ち上げて、今日の形となっています。

この写真は、原爆ドーム側からの写真です。 背中に原爆ドーム、 平和の灯、慰霊碑、平和祈念館、見えていませんが、その向こうに大きな泉があります。 また、慰霊碑と、平和の灯の足元は、満々と水をたたえた池となっています。 これは水を求めながら死んでいった、被爆者に捧げる水です。

平和の灯の延長線上に原爆ドームが見えています。 その中心線から少し左に、全国の子供たちの一円募金で建てられた、原爆の子の像、 この像の上に立つ像と、中にある平和の鐘は「湯川秀樹」氏からの寄付で賄われました。 

 慰霊碑の前に立つと、平和の灯と一直線上に並ぶ原爆ドームが見えます。 その左のビルは、商工会議所で、近年中に移転が決まっています。

 平和を祈念する公園は、いま新しい形を迎えようとしています。 一度広島へ、来て見てつかーさい。

コメント (1)
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