藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

10月10日  今年は柿の生り年(なりどし)?

2018-10-10 12:10:55 | 日記・エッセイ・コラム

我が家のベランダから、隣家の柿が良く見える。 例年より実の付きようが良いように思う。 今年は柿の生り年なのだろうか。

ご覧の様に鈴生りである。 昨年は殆ど実が付かなかった。 よって、お裾分けも無かったが、今年は期待出来そうだ。 と言うのも、私は柿好きなのである。 柿と食事とがあれば、柿を食事代わりにする程だ。 以前は、奥様の田舎へ出向けばいくらでも貰う事が出来たが、妻の父親が無くなってからは、柿の木の手入れをするものが無くなり、虫にやられっぱなしで、実が付いても皆落ちてしまい、収穫が殆どない。 こんな私の柿好きを書こうと思ってPCの前に座った訳でも無いのだが、窓の外を眺めたら・・・・・。 私のブログにお訪ねいただく方の中には、詩を書かれる方が多いいように思われる。 私も読むのは好きなのだが、書けと言われると、恥をかく方である。 しかし、元来建築に携わる者はロマンチストが多いのである。 木造の小さな家でも、完成までに三か月はかかる。 大きなビルに成ると十か月イヤイヤ、原発などは五か年以上かかるのだ。 その間モチベーションを持ち続けるのは、よほどのロマンチストでなければ続かないのだ。 ただ建設屋は、語彙が偏るのだ。 よって、詩は書けなくなるのだろうと思われる。 そのもやもやを解決するために、本を良く読むように成る。 したがって批評能力は高まるのだ。 だからよけい書かなくなる。 自己評価が先に出るのだ。 それが出来ないと、建築の管理は出来ないのである。

コメント (5)
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