私が生まれたのは、昭和二十年 四月八日。 生後四か月の幼子は、爆風で畳の上に乗せられて、5m先まで飛ばされたそうである。 母は、偶々井戸端で洗濯中。 頭の上を窓ガラスが通り過ぎて行き助かった。 しかしながら、兄弟の中でただ一人の男の子は、小網町で建物租界の指導中に被爆。 己斐の母の住む家までは逃げ延びたがその後亡くなった。 妻の叔父も、広島のど真ん中、連隊本部で被爆。 遺骨も無い。 広島県の北の端の墓と、西の宮島に程近い、二か所の墓巡りを、これから出かけてまいります。
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8月6日の黙祷サイレンは心に響きました。
たとえ一瞬であっても、日本中の人たちが、
広島、長崎を、思い起こす日を、加えて福島を思い起こし、黙祷する日(考える日)を、作るべきだと思っています。