藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

日本人の本音は、何処に有るのだろうか

2021-03-06 16:59:11 | 日記・エッセイ・コラム

 何時も思うのが、日本人の本音が何処に有るのだろうかと思う事だ。 政治家もそうだが、一般人も本音と建て前を使い分ける事が多いい。 今回のオリンピックも、理性で考えれば中止すべきであるはずだが、誰も言い出さない。 無観客でやればと言うが、出場選手は国外から来る。 その宿泊や、安全対策考えただけでも莫大な出費となる。 確かに、スポンサー料など収入はなくなるだろうが、期間中の職員の人件費や、コロナ対策には莫大な費用が必要となって来る。 どんな素人が考えても、其れ位な結論は出てくる。 放送関係の予定が狂うかもしれないが、狂っても何か問題が発生するのだろうか。 それよりも、変異ウイルス問題や、選手の送迎問題、考えると切りなく問題点が増えてくる。 早々とタレントの方々が、聖火リレー離脱宣言をされている。 彼らは危機管理能力を平素から鍛えているから、この行事の危険性がっどのようなものか肌で感じているのではなかろうか。 対して、スポーツ選手は、この大会が無くなると自らの収入の道が閉ざされる。 その事もなた肌で感じているのだろう。 スポーツ選手からは、反対の声が聞こえて来ないのはその為ではなかろうか。 コロナ対策さえも十分にできない政治が、オリンピックなど「ちゃんちゃら可笑しい」と思わす叫びたくなってきた。

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