藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

一缶の缶酎ハイ

2021-03-04 13:30:55 | 日記・エッセイ・コラム

 夕食時に、一缶の缶酎ハイを飲む。 時には二本に成る事も有るが、その時は奥様がお付き合いしてくれている。 この晩酌が始まったのは約三年前で、薬の後、一缶の缶酎ハイを飲むと、薬かよく効いて約二時間は爆睡できることを知ってからである。 決して良い事では無いが、少しでも眠りたい私としては、一番の方法なのだ。 この方法を知ったのは四十年前、交通事故に会い別府の照波園病院に入院した時、院長先生が「一合だけなら、晩酌に焼酎を飲んでもいい」と、不眠の私に言ってくれたからだ。 此の院長先生は、九州大学の教授だったが、錦鯉に嵌って学校を退官し、親譲りの広大な敷地の中に病院と池を作り、人間の治療と錦鯉の飼育に没頭されていた。 温泉が24時間垂れ流しの風呂は、入りたい放題。 首を固定され、腰に重りを付けられて寝ているだけの毎日だったが、入院時に「まじめにやっていれば一か月で退院できる」と保証された。 最低一日二時間と言われたが、私は24時間重りを付けて寝ていた。 起きた時は、30分温泉である。 一日三回温泉で体をほぐし、夕食時の時、一合の焼酎を頂いていた。 変わった病院で、魚屋さんが刺身の注文に来るし、酒屋さんが配達してくれる。 看護婦さんも何も言わない。 中には不真面目な患者もいるが、私は優等生だった様だ。三週間目に体中が蠢いて来て屋上で柔軟対処した後、屋上の手すりを使って後ろゾリをした途端、背骨が音を立ててぐにゃぎゅにゃに成った。 それまで、前屈もままならなかったからだが、難無く両手が土に付いた時の驚きは今でも思い出す。 退院したのはその週の終わりだった。 退院前に、実習中の看護婦さん達に、まじめに治療に取り組むと、予定道理に人間の体は回復すると講義をされた時は少し照れた。 今は大きな病院に建て替えられているそうだが、・・・・・・名物院長先生もすでにこの世の人では無いそうだ。 日本一の錦鯉を三度育てた人はまれだそうである。

失念していたが、本日は奥様の○○回目の誕生日だ。 今更プレゼント等、そう言えば先日一万円お小遣いを渡して会ったけ・・・・・。

 

コメント
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