藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

年取ると、愚痴がだんだん多くなる

2021-03-26 09:50:59 | 日記・エッセイ・コラム

 私もあと一週間で、76歳を迎える。 奥様も72歳となられている。 今年は奥様の誕生日を失念していた。 孫や娘の誕生日は忘れないが、・・・・。 やはり年の所為だろうか?。 ブログの記事も、「はなてぼ」様に指摘されるまで、「旧約聖書」を掲載して居た事さえ忘れていた。 かと言って、認知症ではない。 しかしながら我が家の夫婦間の会話も、「ほら、あれよあれ」 「あーあれね、なまえがでてこない・・・」と言う様な会話が増えてきた。 この団地に引っ越してきた時、昭和41年、広島市青少年センター開館時、我が奥様は料理教室にお入りであったが、(腕は上がらなかったようだ)同じ料理教室に参加されていた「N女子」さんが住んでおられて、それ以来行き来していたが、ご主人が、石綿による肺がんになられて、十年前に亡くなられた。 労災手続きなどお手伝いしたが、てきぱきと対応されていたが、ここ数年前から認知症に成られたようである。 我々夫婦の事は理解できるが、時として「えー、二人は結婚何時したの」等と、言い始めて此方が混乱することが増えてきた。 そんな彼女の一人暮らしが心配で、二日に一回くらいの割合で、夕飯のおかずのお裾分けをしたり、奥様がお茶に誘ったりしている。 ドレが、「旧約聖書」の版画を公表しなかった事が、心に引っかかっていたが、ふと彼の母親が認知症であったら、結婚もしなかったし、聖書を読む事が出来なくなった母の為に、版画を彫り上げて、母一人の為の「旧約聖書」を作ったのではなかろうかと、思い始めたのであった。 そんな事を考えながら、昨夜も遅くまで、読みかつ鑑賞していた。