藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」

2013-01-07 14:40:33 | 社会・経済

「憂う」について考える(4)。

桐光学園サッカー部が全国制覇した。ロスタイムでの決勝点だそうである。相手は広島県の隣岡山の作陽高校であった。作陽の監督は、PK線になると予想し、キーパーを変えた。直後の決勝シュートを浴びて敗れた。

私は我妻「あかね」に、昨年暮れ桐光学園サッカー部が全国大会に出場していることを知りその場で優勝を予想してみせた。我が妻「あかね」は、「まさかそんなことはないだろう」という顔をしていたが、私には確信に近いものがあった。

この優勝はひとつの流れの中で巻き起こってきたのである。夏の高校野球での健闘、バスケット部の初めてのベストエイト入り。となると次は優勝しかない。学校のリズムがその方向に向かって突き動かされているのを感じたのだ。それは53年前の我が母校の時と全く同じであった。

まず、夏の甲子園地方大会に野球部がベストフォーに勝ち残り、考えもしないことをやってのけた。続いてバスケット部が県大会に初優勝し、全国大会に出場した。そしてこれまた、ベストフォーに勝ち残った。そのあとを追うように、サッカー部の快進撃が始まった。高校総体優勝、国体高校の部優勝、インターハイ優勝と3冠を成し遂げた。その年には、後の広島県立プールの館長になる水泳の見上選手が、当時世界記録を持っていた水泳の山中選手に並ぶ100m自由形の記録を国体で出した。その年の夏、この見上選手はあの山中選手とともに泳ぎ、400m 自由形リレーの世界記録を書き換えた。

あの時の我が母校と、今日の桐光学園が重なって見える。今日の栄光を引き出された学校運営者には感服する。

しかしここで私は「憂い」てしまうのである。こうした栄光がもたらされた後こそ全校一丸となって、「奢り」を振り払って初心に帰り、鍛錬に励んで欲しいのである。18歳からは運転免許も取得できる。大学への推薦入学が決まっている子もいるだろう。そこに「隙」が生じ、事故や不祥事が生じる。過去にいくつものその例を我々は見てきた。

自らの人生を棒に振ることのなきよう、生徒諸君の自戒を望む。

それは、学校指導者にも言えるのである。生徒諸君が、研鑽に励み昨年以上の成績を上げるための環境造りに、今以上の努力されんことを望む。

コメント (2)
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