藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」

2013-01-02 16:10:38 | 社会・経済

愛国について考える。

志村建世氏のブログで、「愛国」について記述されているのを拝読した。

いつの頃から「愛国」という言葉が、庶民に使い始められたのであろうかと考えてみた。

少なくとも江戸期には愛国という言葉はあまり使われた形跡はない。忠勤、忠義、忠節、忠誠・・・。どうも「忠」が中心である。その最たる物が「忠臣蔵」である。

「愛国」という言葉は、どうも明治になって出て来た言葉のような気がする。そこで思い出したのが、板垣退助らが作った政党名が、「愛国公党」と称したような気がして、検索してみるとやはり有った。どうもこの頃から、「愛国」という言葉が市民権を得て後に、日本を不幸のどん底に突き落とす。

この「愛国」と、「忠義」との隙間を「尊皇」が闊歩した時期があり後々までも影響を及ぼした。

この「尊皇」は強力な力を持ち、第二次世界大戦終了まで続いた。戦後も「日本国憲法」の中に国民の象徴として敢然と存在している。

そこで「忠」とはなんぞやと考えてみた。「心の真ん中」に存在するものと解すると、「本心」、あるいは「真心」と考えられる。がしかし、「忠」には相手が必要であるようだ。相手から幾ばくかの利益が持たされた時に成立する。利益のない「忠」は「愛」のみである。

「愛」は報酬を求めないから「愛」なのであって、打算や要求が存在すると「愛」ではなくなる。

「尊」という言葉はどうであろうか。「とうとぶ」「とうとい」とは、何らかの利益を下し置かれるから「とうとぶ」のであって、無償の「尊」は存在しない気がする。嘗て戦前は、皇室が日本津々浦々の神社の管理者であり、天皇は生き神様であった。そこでよくよく考えてみると、明治維新以来、我々国民に如何なる物が下し置かれたのか考えてみたが、思い当たるものは何もない。

そこに存在したことは、「忠臣愛国」であり、その言葉の元に、幾百万の尊い命が失われた事実のみである。

たしかに我が日本には、「愛国者」は必要ない。必要なのは「憂国」の士であり、「憂国」の民草なのだと。

コメント (2)
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