の続きです
美術館展に行く前にHPでちょっと「予習」していたら…
ここって~行ったこと~「あり」だわぁ~って思いだしました
ベルギーに住み始めて、私と娘は2か月ぐらいだったでしょうか(2000年 娘は小学1年でした)
日本からオランダにいらしたHさんご夫妻をアムステルダムまでお迎えに行き、
私達家族と、小旅行に行ったんでした…
クルマの運転は、S氏が大方しましたが、地図を読み、ナビをするのは「私の役目」なんですけど…
「地図が読めない女」は、横文字の地名と格闘したプチ旅行でしたねぇ~
今は、ナビがちゃんとあるから、便利ですよねぇ~
Den Haag(デン・ハーグ)
中心部の広場(公園だったかなぁ~)脇に、クルマを駐車させて
ビネンホフ Binnenhof
監獄博物館 Gevangenpoort
マウリッツハイス美術館 Mauritshuis Museum
付近を歩きました…
そんな記憶は良く覚えているのですが、あまり「写真」が残ってません
※12年前のことですが、今のようにカメラがデジカメではなくて、フイルムでした。ベルギーでは、日本と比べると、「フイルム代も現像代金もずいぶん高かったんです。そんな訳で、パチパチと数多くは、写真を撮らなかったんですね)
歩いただけで、美術館の中には入らなかったんでした!
※美術館は、アムステルダムの VAV GOGH MUSEUM に行ったんでした
そこで、見た ゴッホの肉筆の凄さに圧倒されたこと思い出しました~
この旅行の時に、
娘は、まだ日本での生活や日本で持っていた「おもちゃ」のことが忘れられず…
(日本から、持ってきたのは限定されたおもちゃのみでしたので)
大好きなぬいぐるみ「くまママ」を、この旅行に持って行きました
「大事なものは持って行かない方が良いよ」と私は娘に言っていたのに、
どうしても持って行きたいと「頑固に」言い、自分でちゃんとするからと、娘はいつも手にしていました
アムステルダムのホテル泊の時は、ちゃんとあったんですよね…
そして次のホテル泊の時…
忘れちゃったんでしょうね~
自宅に帰って来て、娘がもっていないことに気が付き…
娘は、涙しました
すぐに、私のツタナイ英語で、両ホテルに問い合わせをしたけど、出てきませんでした
(泊まったホテルの、部屋番号が分かっていたので~)
この時、娘は
「大事な~大切な~大好きなもの」でも、こんな別れがあること…
知ったようです
小学1年生の時の苦い思い出(経験)…ですネ
この10年で、PCそしてスマホ・iPhoneの進化により、海外と日本の距離がとても近くなりましたね。
1970年代など、海外で「日本の番組」が見られるなんて考えられませんでした。
が…2000年にベルギーに行った時は、登録さえすれば、
「JTV」1局でしたが、見ることが出来ました。
今や、スカイプ時代、便利ですね。
YouTubeからも、いろいろ面白いニュースなどが配信されてます。
今や…そのスピードすごいですね。
楽しいばかりの海外生活ではありませんでしたよ
ブログには書きませんが…
「いやな経験辛い出来事」は箱に詰めて、封印しています。
また、こんなブログですが、覗いてみてくださいませ。
コメントありがとうございます