道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

観音寺城

2018年04月09日 | 歴史探索

今月の「近江歴史探索行」というか「歴史歩き囓り」は、安土の観音寺城を選んだ。

JR安土駅から仰ぐ滋賀の空は予想を裏切って薄曇り、湖を渡り来る風はまだ冷たかった。

観音寺城は約700年前から戦国末期まで、標高433mの繖山(きぬがさやま)の南斜面に存在していた全国で最大規模の山城である。目下調査中とのことだから、築城年代はもっと遡るかも知れない。また、安土城はこの山の峯続き、安土山(199m)にある。

駅前のレンタサイクル店で電動アシスト車を借り、山麓の桑実寺(くわのみでら)集会所の空地に駐輪した。30分とはかからなかったろう。

屋敷の並ぶ坂の舗装路を100mも行くと、路は石段になった。

桑実寺の山門をくぐると、ユキヤナギが咲いていた。

石段の間が桜の花びらで埋められている。

沢に架かる石橋を渡り、すぐ右に折り返し石段をひたすら直登する。小さな堂の傍にミヤマツツジが今を盛りと咲き誇り、石段ばかり見続けた目を慰める。

桑実寺の本堂までは500段。本堂は室町前期の様式を遺しているという。正面5間は蔀戸で、真ん中の1つが開いていた。拝観は側面から入るのだが、ほかに拝観者はいなかった。

境内の右手奥に見える観音寺城址への小径を登る。相変わらずの石段だが、傾斜が増すに伴れ路はスイッチバックが多くなる。石段は崩れて散乱し、涸れ沢の中を歩く様な路面の状況になってきた。

1メートルほどの小沢を渡ると、路の傾斜は緩くなる。木立ちの囲みが浅くなり、頭上の空が広がってきた。前方に切り通しが見える。本丸のある尾根に出たらしく、北側の展望が開けていた。

稜線に沿うトラバース道を行くと、観音寺城本丸跡に出た。本丸の曲輪には石塁と土塁が遺り、文字の薄れた案内板がある。繖山の頂は本丸より約60mほど上にあるが、今日は時間の制約があり山頂は踏まない。僚友の待つ麓の駐輪場に下っているとき、正午の鐘が聞こえてきた。


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