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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

消費社会の末期的現象

2023年01月23日 | 人文考察
中国では、春節の大移動が始まったらしい。単なる経済発展の成果と見ると判断を誤るのではないか。
先進国の国民からは盲目的に見える集団行動の根底に、古くから保ち続けて来た祖先崇拝と血縁尊重、物質重視と享楽耽溺の民族的習性が発現しているように見える。

皮相的で刹那的な幸福感に酔う人々の数の多さは、日常と現状に人々が安心と満足を見出していないことの裏返しかも知れない。
スケールは違うものの儒教の影響を受けた韓・日両国にも共通して見られる習性かと思う。
私たちの、盆と正月の集団行動も、規模こそ違え本質的に同根のものを感じる。ただ本家本元は規模が大きい。

コロナ禍で疲弊している観光産業を援けるには、海外からのインバウンドに期待が集中するところだが、コロナ感染対策の杜撰な中国からの観光客への防疫対策に手抜かりがあってはならず、政府の舵取りは難しそうだ。

観光立国という言葉が、海外からのインバウンドが増えるに従ってわが国で声高に叫ばれるようになった。しかし、この言葉に健全な産業育成の精神はない。私は観光産業という言葉を信じない。観光は厳密な意味の産業たりえない。長期的に見れば資源の切り売り。短期的に見ても、イノベーションや技術の開発や蓄積を伴わない。

歴史遺産や自然資産を売り物にしたり、テーマパークなど巨大なアミューズメント施設で集客して外貨を獲得する姿勢は、観光産業がGDPの大部を占めるギリシャ・エジプト・トルコ・イタリアなどの観光大国に照らしても、国力の衰えに繋がるものと考えざるを得ない。
観光客を増やす対策に政府が腐心し、国民がありとあらゆる知恵を観光のために絞るようになると、他のことに向ける知恵が疎かになるように思う。

観光を推進してもそれで立国はあり得ない。そんなことを政府が本気で考えれば、国は衰退するしかない。先祖の遺産や自然景観、アミューズメント施設に依拠すれば、子孫に再生産性の高い事業を興す意欲を失わせ、繁栄の芽を摘むことになるだろう。

国土の自然景観が美しく、歴史的建造物や建築物にも恵まれていて、それを目的に観光客が訪れるのは大いに結構だが、それで国を立てようなどという考えは捨てなければならない。観光資源そのものが本質的に改変不能で、時代の変化への即応性に乏しいからである。自然と歴史という、自ら汗をかくことなく得た資産に立脚する社会は、勤勉を必要とする生産的活動にそぐわない。

立国の根幹が一に農業、二に商業、三に工業に在ることは、歴史と経済が教えている。消費の拡大によって発生した派生的産業によって国を興そうなどと考えてはならない。

特に虚構で人を招き呼せるアミューズメント施設など、新規施設の展開による観光事業に経済発展の重心を置いてはならない。それは消費社会の末期的現象だからである。末期にあるものに社会的資源を注ぐのは、資源の無駄遣いということになる。それは国家と国民に退廃をもたらす。

自然資産であれ歴史遺産であれ、固定資産に依存する観光産業は、後追いの生産活動と言わざるを得ない。主幹産業の後を追って興隆する、消極的産業であると思う。
農業・商業・工業などの積極的生産活動と比べると、どうしても継続性と発展性への不安を払拭できない。

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