道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

峡谷の街道

2018年01月21日 | 随想
遠州と信州はその昔、〈青崩峠〉一点で通行していた。戦国の世には、甲州武田の軍勢がこの峠を越えて遠州に度々侵寇したらしい。
 
峠の地下深くを〈中央構造線〉が通る山道は、細かく破砕された岩屑が浮いて崩れやすく、軍勢の通過は困難を極めた。荷駄もろともに千尋の谷底に落ちる兵もあったという。

九州に端を発し四国・紀伊半島を縦
貫、伊勢湾・三河湾の海底から豊川を経て諏訪湖に至り関東に抜ける日本最大の断層中央構造線は、〈青崩峠〉から先高遠まで、ほぼ直線状の深い断層谷を形成している。東は赤石山脈、西は伊那山脈。その間を秋葉街道(152号線)が走っている。
街道は、難所の〈地蔵峠〉を抜け〈分杭峠〉で西に方向を変えた後再び北上し、〈杖突峠〉を越えて諏訪に至る。
 
現在は飯田市に併合されたが、合併前の南信濃村と上村の二村からなる地域は、古より同国人から〈遠山郷〉〈遠山谷〉と呼ばれていた。信州の国府から見て最も僻遠の地であることから、その名が由来する。信遠国境は、信越国境よりもはるかに山深く険阻である。
 
国道152号線を通すために、〈青崩峠〉の東に切り開かれた〈兵越峠〉から長野県に入り、〈旧南信濃村〉の和田を経てこの地溝を北上すれば〈大鹿村〉との境は車道の無い〈地蔵峠〉。林道へ入り、迂回して峠を越えると高遠との境界が〈分杭峠〉だ。いずれも標高1300mを超える高所である。断層活動により破砕された山体を廻る峠路は青崩れと同じ岩屑だらけの悪路、往時は旅の人馬を難渋させる山道だった。
 
私は若い頃、まだ不通箇所があったこれらの峠を通り諏訪まで、幾度か往来した。途中の〈大鹿村〉や〈杖突街道〉の風景に惹かれるものがあったのだろう。
 
その後は専ら南アルプスとその前衛の南ア深南部に通うためのアクセスとして、度々〈兵越峠〉を越えた。光岳や聖岳へ登るため、〈木沢〉という集落から遠山川沿いの軌道跡を往復したことも、幾たびかあった。
 
この峡谷の街道と、谷筋尾根筋に点在する集落の佇まいは、私の心に多くの思いを刻み込んでいる。

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