道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

女性の怕さ

2020年05月21日 | 人文考察
アエラ・ドット
(週刊朝日の記事より)

瀬戸内寂聴氏と林真理子氏の対談が載っていた。

〈以下アエラ・ドットより引用〉

林:昨年の10月には有馬稲子さんと公開対談されてましたよね。有馬さんもすごくおもしろい方。

瀬戸内:ものすごく生真面目な人なの。今でも美しいし。でもあんなに男運のない人はいないね。

林:先生は男運がよかった?

瀬戸内:外から見たらいい男じゃなくてもね。私が若い男と一緒に居るときに、有吉佐和子さんが来たんです。そしたら後で「瀬戸内さんの男を見た。どうしてあんなにつまらない男と一緒にいるんだろう」って言いふらしたんですよ(笑)。でも私はいいと思ってたの。今でも一番心に引っかかるのは、その男ね

林:まあ。

瀬戸内:だって私と別れた後、自殺したんだもん。私と別れてしばらくして首吊ったの。もしも私とそうならなかったら、普通に生きて穏やかな一生を送っただろうなと思って。

週刊朝日 2017年3月3日号より抜粋
〈引用終わり〉
強調文字は引用者(私)による

【私の所感】
瀬戸内寂聴さん、自分に私淑する林真理子さんとの対談で、気が弛んだのか臆面もなく凄いことをさり気なく話している。本性を暴露したということだろう。

対談当時齢94歳の老大家にして天台宗の尼僧。僧位は権大僧正。
彼女は、女の業の深さをことも無げにサラリと語る。
女同士の、気のおけない間柄での対談だったから、ストレートに心の裡が表出したのだろう。彼女との不毛の恋に堕ちて、若い命を自ら絶った青年のことを想うと胸が痛む。

女性と男性の精神構造の違いは愕くほどに大きいと言われている。私だったら、若い恋人が別れた後に自死して、その後平然と世を渡って行けるかどうか?少なくとも心中深く秘して、死ぬまで口外しないだろう。ましてや座談などでは決して語らない。
女性に普遍な感性でなく、あくまで瀬戸内氏個人の特異な個性による発言であったと思いたい。

対談に登場する有吉佐和子氏は瀬戸内より9歳年下だった。有吉は53才で自死しているから、有吉が30代なら瀬戸内は40代、有吉40代の頃なら瀬戸内50代、想うに瀬戸内40才代の頃にその男性との経緯があったのではないかと推測される。

ご当人が若い男と言うのだから、その男性は20代か30才そこそこであったかもしれない。まさに世に出る前の、前途有為の青年であっただろう。ご両親はじめ遺族の無念は想像するに余り有る。

瀬戸内氏本人の言うとおり、出逢ったのが身の不運という外はない。並外れて自己中心的な個性との恋愛は、その相手を不幸に陥れる。

理非を論うつもりはない。恋の当事者は成人同士、恋愛というものの非情な側面、利己的な恋の本質に思いを致すばかりである。

恋愛は詰まるところある種狂気の沙汰であって、決して幸福を保証するものではない。後腐れのない訣れで済めば上々、下手をすると身も心も破滅させられる。

この2人の老閨秀作家(林真理子氏は瀬戸内氏よりはるかに若く対談時63才だが、敢えてこの人も老人に含めたい)のさりげない対談の中から、女というものの実体凄さ怕さが垣間見える。

女性は滅多に本性を露さないものだが、老いた所為なのか、老いてなお意気軒高の結果なのか、二人の対談には女性の本音が感じられる。

しばらく前に、テレビで熟年の女性タレントが3人で食事をする番組があって、その中のひとりが、「昔の男なんて石ころと同じ。思い出しもしない」と笑い飛ばしていた。自分のもとを去っていった男たちなど生き物でもない、石ころとしか見ない自己中心性が凄い。かりそめにも好意を感じた相手である筈だが・・・
女性ならではの現実性に、聴いていてただ感服するほかなかった。

池波正太郎原作〈鬼平犯科帳〉の第何話だったか?ひとりの女の為に、剣友2人が闘って相討ちで亡くなる話があった・・・
「女というものは、男と男の間に入って、何もかも滅茶苦茶にするものだなぁ」
現場に駆けつけた長谷川平蔵が呟いた、暗澹たる思いの独白が、耳に残っている・・・
別の話で池波は鬼平に、女というものは、昔もなく行く末もなく、 今があるばかりだなぁ」と述懐させている。

男たちの暗澹たる思いは、今も変わらない。

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