道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

美辞麗句

2020年05月24日 | 人文考察

明治から昭和の中頃までの国力拡充期には、「青雲の志」を尊ぶ風潮が、この国の社会に横溢していた。自然に広まったのでなく、為政者の意図するところに従う教育によって、国民に植え付けられた思潮である。若者は青雲の志を抱いて雄飛するのを当然とする暗黙の了解が、当時の大人たちにはあって、純真な子弟たちは両親・教師・郷党の期待に応えるべく奮励努力した。青雲の志を抱いて田舎の純情な青年が上京し、勉学や勤労の末に夢を実現する成功譚は、万人の夢だった。その殆どの夢は、虚しく潰えたのだが・・・。

「青雲
」とは雲の上の青い空のこと、高位・高官、立身・出世のことを謂う。「星雲の志」とは、A.功名を立て立身出世をしようとする心であり、B.徳を磨いて立派な人物になろうとする心であるとされる。しかし出典に拠れば、行いを清くとはあっても、徳を磨くなどとという道徳性にまで考えが及んでいない。B.は後の世の誰かが、Aに仮託し合体させたものらしい。AとBとは、心の出所が根本的に異なるものだから、これを同時に我がものにすることは不可能に近い。あたかも、立身出世と徳義とは一体不可分で、成功する人物は人間的にも優れていると信じ込ませようとする意図が働いている。中・日いずれの側の付会か知らないが、とかく道徳家というものは油断がならない。世俗根性丸出しの行為であっても、高邁な精神が存在しているかのように潤色する。「野心」を「星雲の志」と飾る。中国由来の道徳観念というものは、斯様に矛盾と虚飾が至るところに顕れる。古くも新しくも、中国人の行為に道徳性を見出すことは難しい。

さて、目出度くその「青雲の志」を遂げて立身出世し、高位高官になった途端に当の本人が権力の座に執着し、仁や徳のかけらも無い私利私欲に奔る理由はこれで明らかだ。それを防ぐ手立てはあるのか?中国人はそこまでは人間性を掘り下げ考究をしてこなかった。文字とともに彼らの概念を学んだ同根の日本人もまた、その問題に対する明確な答えを未だに出していない。

「青雲の志」なるものは本来高尚なものでなく、単なる野心の美辞麗句に過ぎないことを理解するところから、分析を始めなければならない。とかく為政者は、美辞麗句をもって国民を欺く。

青雲の志を抱くのは、立身出世主義に染まっている証左であり、故郷に錦を飾りたいという俗物根性に駆り立てられていることは間違いないだろう。私たちは、嫌というほど国政の場で、大臣への猟官活動とそれに成功した国会議員たちの、欣喜雀躍ぶりを見せつけられている。

まことに中国人というものは、数千年かけて、美辞麗句を生み続けてきた特異な民族である。白髪三千丈や千里万里など、異様に誇大な表現も、美辞麗句の延長線上にある。中国人は、自分を他に勝れて佳いものと見る、または佳く見せようとする言葉を限りなく思い付く。それに凝り固まっている。事実を捻じ曲げても、観念を押し通そうとする。その行き着いたところに、中華思想が結晶した。

中国由来の観念主義には、出来もしない徳義を人に押し付け、卑俗を高雅に見せかけ、真実を欺いて恬として恥じない厚顔な精神が根底に固まっている。真に受けて漢学の勉強に励み、却って道を踏み外した同胞がいかに多かったことだろう。

日本では、中国を手本に古代律令国家が成立した。中国の文字、制度、文化が輸入されると、ちょうど現代の横文字文化が席巻したように、漢語文化、中国語文化が王朝に繁衍した。律令国家の用語は漢語である。美辞麗句は日本に入り、当時のエリート官人に多用されたにちがいない。日本の敗戦後の、文化人の英語多用に似た状況だったろう。英語そのものが、占領後は美辞麗句になった。その負の側面が、今日の日本文化の一面となっているように思う。

とにかく日本では、為政者が美辞麗句をもって国民を教唆誘導する弊習がこの時代に始まる。特に甚だしいのは明治以降の教育勅語や軍人勅諭、太平洋戦争になると、戦争遂行のスローガンや督戦の歌唱そして戦争を称揚する新聞記事など、全て美辞麗句で真実を隠した。この手法は、漢語を英語やフランス語に変え、現在でも為政者の本音を晦まし、国民を瞞着するために引き継がれている。


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