道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

邂逅

2023年03月28日 | 随想
今は亡き山友と初めて出会ったのは、南アルプス深南部の末端、竜馬ヶ岳(1501m)だった。

50歳を過ぎて、たまたま北遠の山中で出会っただけの縁だったが、その後20年に亘り山行を共にした。馬が合ったのだろう。ビバークのテントや小屋では、ストーブを挟んで酒を飲み、諸々のことを語り合った。

その時の私の年齢で山友を得ようとは思いもよらなかった。その人の、少年のようなフレッシュな感覚と闊達で無邪気な性格、そして豊かな教養が、万事に天邪鬼で気難しく狷介不羈な私と調和したのかもしれないし、変わり者の私を面白く思ってくれたのかもしれない。何よりも共に山や植物の同好者だったから、相寄る魂の働きがあったに違いない。彼は私より5才ほど若かった。

ある年の秋の、山の楓が色づき始める頃、私は同年ながら山登りでは先輩格に当たる知人と連れ立ち、浜松市天竜区春野町の岩岳山登山口から岩岳神社を経由し、稜線道を竜馬ヶ岳を目指し進んだ。ふたりとも岩岳山にはよく登っていたが、地味で花のない竜馬ケ岳に登るのは初めてだった。

それまでの旧い知識や時代遅れのガイドブックで、藪漕ぎに相当難儀をすると思い込んでいた稜線道は、スズタケが綺麗に刈り払われていたので、思いの外歩行が捗った。
周囲を厚いスズタケに囲まれカエデの樹が疎に生えている、小広い平担地に正午前に到着した。

其処には既に先着の登山者の男女ひと組が居て、昼食を摂っていた。自分たちより年齢の若そうなカップルだった。我々はふたりを、山でよく見かける不倫中年のカップルと看做した。
「ここは山頂ですか?標識は何処に?」と尋ねると、「私たちも標識を探したのですが、分からなかった」との返事。
おやじ組は、仲良くふたりで昼食の暖かいおでんを食べているふたりに、ハイキング気分を感じ取った。やっかみ半分で「こんな処山頂である訳ないよなー」と語り合いながら、広場を横切り適当に北の方角を目指してスズタケの薮に突入した。

闇雲に藪中に入ったものの、踏み跡は無い。進路は急な勾配で下っていた。稜線を外れ東寄りに進もうとしていることに気付いたが、そのまま尾根の東を巻いて稜線に出ようと横着を決め込み、実生の若い樹木が叢生する斜面を降り始めた。
しかしスズタケと樹木が頑として行手を阻み通行を許さない。進みたくても、樹木と笹薮の壁で一歩も足を前に出せなくなってしまった。
後から判ったことだが、正しい登山道は、未踏の山頂から北に延びる稜線上を通っていたのである。

降り始めて15分、身動きもならず遂に前進を諦め、スゴスゴと元の広場に戻った。
「前へは進めないですよ」と言い訳をしながら、昼食の用意をし始めると、私たちがそうなることを予想していたらしい件のカップルの男性が、「沢山つくり過ぎて余ったので」と、暖かいおでんを持って来て分けてくれた。先刻あまりに勢いよく薮に突入した姿を見て、不憫に思い慰労してくれたのだろう。
秋の冷え込みの強い山中でのおでんは有難かった。我々おやじ組の虚勢は、おでんを口にした途端、何処かに吹っ飛んでしまった。

慰められても、忸怩たる思いは薄らがない。かと言って、そのままおでんに舌鼓を打って引き下がっては、薮山愛好派の沽券に関わる。
昼食を終えると、ふたりで広場の外周に沿って笹藪を綿密に踏査し、西北方向への踏み跡を藪の中に見つけた。踏み跡を数10mほど辿ると藪が切れ、竜馬ヶ岳の山頂標識があった。広場と高さが数mしか違わない。山頂は広場の北隅に位置していたのだった。

早速戻り、件のふたりに報告、一宿一飯の恩義に報いることができた。昭和生まれは律儀である。
皆で山頂へ行き、標識をバックに互いの写真を撮り合い、送付先のメモを交換した。面目を施した我々は、早々に下山することにした。

おやじ組は、別れ際に広場の隅の木に刻まれた熊剥ぎの痕を見つけると、残るふたりに「熊に気をつけて」と声をかけた。どこまでも、このカップルが妬ましかったに違いない。

翌日、山頂での記念写真を送ろうと、宛先を見て愕いた。宛先が女性の名前になっている・・・???
天邪鬼の上におっちょこちょいのやつがれ、(男性の自宅は拙いので、女性宅に送れということか)と納得した。山で不倫風のカップルをよく見かけていたから、そんなものだろうと思ったが、不倫の応援をするようで釈然としなかった。会ったこともないご当人の奥さんに済まない気がして投函を躊躇うち、旬日が過ぎてしまった。

郵送すると約束したのだから、悩んでいても仕方がないと思い直した。あちらの事情を斟酌する必要はないと自らに言い聞かせ、意を決して女性名の宛先に写真を送ったら、直ぐに礼状が届いた。

何と件のカップルは夫婦で、宛先の住所・氏名はご当人のものだった。女性と誤認し易い、紛らわしい名前だったのである。
頭からふたりを不倫者と決めてかかった軽率さを、私は心底から愧じ入った。洵に邪推癖というものは困ったものである。

その後暫くして、私の方からご当人を黒法師岳に誘い、登山の交流が始まった。以後、南アルプスや同深南部への登山を重ね、互いに相手を援けることもあった。20年の間の山行が友誼を深めてくれた。定めというものは不思議である。

50才を超えて山友を得た奇遇、その時の情況は思い返すたびに微苦笑を誘う。山には登らなくなったが、その人との数々の山行と会話の記憶を忘れることはないだろう。巡り合わせというものは、不思議なものである。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (馬鹿も一心です。)
2023-03-30 07:15:53
私にも山で出会い生涯の友がいました。
先に逝ってしまった。
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/03910049b4bd16ec4c56664c6e72e185
Unknown (tekedon638)
2023-03-31 01:03:58
コメント有難うございます。
お互いに、生涯の友と出会えただけでも、幸運でしたね。山が仲立ちしてくれたと思います。

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