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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

人民統治の学

2023年08月09日 | 人文考察
当ブログでは、日本の社会に儒教がもたらした負の影響を考えることが多い。何しろ仏教より以前に漢字と共に到来したのだから、本邦初の渡来文化である。統治階層はこの先進の教えを崇め学習した。社会に根深く浸透し、その影響は甚大である。

今回は、論語が教える「和して同ぜず」という言葉を緒(いとぐち)に、考えてみた。
この言葉は、洵に不遜で手前勝手な考え方であると老生は思う。もうちょっと丁寧に言うなら、非現実的で高踏的な綺麗ごとに聞こえる。

私はある時これを大真面目に家訓にしている名家があることを知って、嘆息を洩らすしかなかった。論語にあるなら、何でも正しいと受容するのだろうか?
こういう人たちが、一番油断ならない。そんな手前勝手な考え方が通用するはずもないではないか。和したら同ずるのが、人情の常である。

論語の教えの対象は、国の支配者すなわち君子であって、一般庶民を想定していない。孔子は民の生き方については何ひとつ考慮も顧慮もしなかったと見て良いだろう。人民のことなぞ眼中になかったと言える。
孔子の思想には、経世の理念はあっても、済民の理念が露ほども無かったということである。したがって儒教が人民を幸福にした例を知らない。

君子に仕え教導し、優れた君子を育成できれば、民は自然に幸福を享受できると考えていたのだろうか?
だとしたら、今日の経済学でいうトリクルダウン理論の道徳的適用とでも言えそうな発想である。甚だ進歩的かつ楽観的な観念と言う外はない。

その意味で、孔子は決して宗教家になれる人ではない。民の悩みや苦しみを自ら背負い直接救おうと考える人ではない。儒教という言葉に「教」があっても、決して宗教の謂でないのは瞭かである。

中国人をはじめ、韓国人や日本人など、東北アジアの人民は、生まれながらに、人間平等の意識とか観念を具えていないのかもしれない。
権威・権力への隷従・盲従ぶりは、歴史にしっかりと刻印されている。

ユーラシア大陸の対極に居る人種の異なる人々とは、明らかな対比を見せる。
彼の地の民衆も、権力・権威には従順であるが、暴威や禁圧が度を越えた時には、敢然と連帯して組織的に権力に対抗する。平等意識を生まれながらに具えているからではないか?

浅薄ながら歴史を閲してみると、平等の精神を生まれながらに具えていたと思われる民族は、世界広しといえども、4世紀後半から6世紀の初め頃にかけて、フン族に追われ大移動を展開したあのゲルマン民族のうちの、森林を生活本拠としていた数民族に限られる、と私は個人的に思っている。彼らには、生まれながらに平等の精神があったことを、ローマの賢人は書き遺している。

孔子の言葉を真に受け、論語的観念を学び実践しようとした幕末の長州や薩摩の下級武士たちは、下級公家と結び徳川幕府を倒した。
伊藤博文・山縣有朋・岩倉具視など、明治の元勲として名を連ねたその人たちである。(早逝した高杉晋作と桂小五郎(木戸孝允)は上級武士階層の出自だった)

身分性封建社会の有能な下級武士階層が、家門に依拠して藩の要職を占める中・上級武士階層に階級的不満を抱えていたのは、想像するに難くない。しかしそれは、人に身分の差を設けることの不条理を意識してのことではなかった。

維新の実行者たちは、倒幕が実現すると、天皇を君子の座に祀り上げ、欧州先進国に倣って立憲君主制をこの国に敷き、天皇に権威を集中した政権を樹立、自ら天皇の直臣として権力を思うさまに振るった。
近代化において先進国に遅れをとったのだから、欧州先進国のしてきた諸々の施政を模倣すれば、何をやっても成功すると考えたのだろう。手本があり、指導者には事欠かない。

政商を輩出した明治時代を、日本の夜明け・近代化の時代と礼賛したり、政権と結託し、いくつもの近代的産業経営で成功した事業家を、郷土の偉人にまつりあげるのは、余りにも一面的で浅い見方である。そのような見方では歴史認識を誤る。

欧米先進国の進んだ人民統治の要諦を習得するため、明治の新政府の要人たちは、欧米視察団を組み、2年もの歳月をかけてヨーロッパ各国とアメリカなど先進国を見て周った。使節50名、随員60名の合計110名の一行の中には、維新で成り上がった旧公卿や旧藩士の逸材が数多く居たのである。

不平等条約の改正は表向きの目的、実際は、欧米国家の人民に対する統治制度を学ぶのが使節団の真の狙いだった。帰国すると和魂洋才と付会して欧米文化を模倣し、日本の国情にあわせ改良?した法体系や制度の策定に取り組む。この時期に、日本は、近代国家に倣いながら、独自の封建的な人民統治の制度・手法を、政治家と官僚が協力してつくり上げた。

権威の淵源を先進文明の欧米に置く日本の人民統治の基盤が、この時に出来上がったと考えてよいと思う。日本の拝欧主義が人民よりも為政者の側に偏って強かったのは、この事情に由来している。
それは、華やかな文明開化の陰で、以後の戦争と圧政で日本人が辛酸を舐め続ける悲劇の時代の幕開けだった。
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (クリン)
2023-08-11 09:52:25
「和したら同ずるのが人情の常」・・最高に名言でつきささります🐻✨(いつもですが✨)

とくに朱子学のえいきょうはろくなものじゃなかった、と思います!
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Unknown (tekedon638)
2023-08-11 12:05:36
クリン様
コメント有難うございます。
また、日頃は記事をご笑覧いただき、お礼申し上げます。
人間性を顧慮しない観念は、私たちを幸福に導きません。私たちを幸福にする思想とそうでないものとを、常に峻別していなければ、気づかないうちに権威や伝統の虜にされてしまいます。
見分ける基準は瞭かです。
人の本性に逆らったり捻じ曲げたりする考えは御免です。
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