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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

驕慢

2022年10月31日 | 人文考察

政治家は一般に人格・知能・識見において衆に卓れ、志操堅固の人物でなくてはならない。しかしこの世にそんな理想的な人間は居るはずもなく、中には家業として世襲したり、政治家を職業と勘違いする心得違いの人も多い。選挙で選ばれることで、高慢心を発する人が一定の割合で出現するのは避けられない。早くその様な人を見つけて、政界から排除しないと、将来の国政に禍根をもたらすことになるが、地縁・人縁がモノを言うこの社会では、それはなかなか実現しない。

わが国の政治風土に、遅ればせながら女性議員の活躍を期待する動きが盛んになり、数が増えているのは大いに歓迎すべきことである。しかし数が増えれば、男性同様政治家としての使命を弁えない人が紛れ込むのは避けられない。当選回数が増え、党や政府の役職に就くなどキャリアを重ねるにしたがい、その女性議員の口調が、横柄な先輩男性議員のそれに似てくるのは、日本独自の現象なのかどうか興味深い。歴史的に長く自己主張を封じられ、隠忍自重の生活を強いられて来た日本女性ならではの、自己実現の形かもしれない。

男性議員の尊大な態度には傲慢の語が適切だが、女性議員となると驕慢という用語が相応しいようだ。「傲慢」と「驕慢」の意味はほとんど同じだが、少し違いがある。

「小学館デジタル大辞典」に拠れば、

傲慢」は「おごりたかぶって人を見くだすこと、またはそのさま」

驕慢」は「おごり高ぶって人を見下し、勝手なことをすること」とあった。

この自分勝手なことをするというところが、生まれながらに社会性に富む男性と違って、主体性と直感力に勝る女性特有の行状であって、これには注意を要する。根回しという作業は得意ではないように見える。どうも驕慢は、女性に適用すべき用語であるらしい。

老生も実生活で、「でしゃばりおよね」的婦人の習性に閉口したことが一再ならずあった。当人に害意も自覚もないのだから困惑するしかない。驕慢な女性大臣に仕える官僚やSPには、人に言えない気苦労が多いのではないかと推測している。





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