老人が一般に短気なのは、自らの寿命の残りが少ないこと,つまり老い先短いことを意識して,焦燥感に駆られるからだろう。私はこのタイプであろう。まだまだやりたいことがある。知りたいことがある。その意識の強弱によって、短気の程度が違うようだ。老いに急かされる感覚は、老いた者でないと分からない。
頑固になるのもこれと軌を一にしている。新しいものを受け入れるのが困難になったことを意識した時から、それは始まるのだろう。妻や子どもたち、家族の客観的な指摘は理解しているのだが、助言や忠告に素直に従えない。前例踏襲の深みに嵌まり込むのはこのタイプである。
人生の残存期間をあまり意識しないご同輩も大勢いる。こちらは短気にも頑固にもならず、温順に晩節を全うできそうかというと,そうではない。老いに対する自覚が無いのが問題である。前二者より剣呑である。残存期間を認識しないから、仕事を後継者に譲らない。運転免許を自主的に返さない。本人が片付けておくべき為事をしない。将来の家族の負担を想像できないのだ。温厚な老人だからと、安心してはいられない。
三者三様、老人が周りに迷惑をかけるのは、避けられないようだ。それを可及的最小にすることに知恵を絞りたい。仕事を了えた老人には、各々の価値観に相応しい、為事があるように思う。
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