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なぜ民主党政権はうまくいかなかったのか?

2018-06-30 23:02:49 | 政治


なぜ民主党政権はうまくいかなかったのか?

今になってこうした問いを、発する事に、意味があるであろうか?
確かに、民主党政権の構造と今の構造は、全く変化の無いものと認識している。

政権交代によって300数議席を獲得して民主党政権は発足した。
「政権交代」は直ぐに色褪せた。その理由は、成立時の起点から来ている。

多くの論客は、「政治主導」の誤認識から来ていると書いているが、
民主党政権が交代して自民党政権に取って代わった理由に就いては
言葉足らずである。

もう一つ例示すれば、第一次安倍政権は何故、瓦解したのか?
直接の理由は「消えた年金」であったが、その追及の立役者であった長妻氏は
今は、精彩を欠いている。扇動者の尻馬に乗ったアホタレと酷評するのが精々である。

今、もりかけ追及も段々息切れがして、見るも無残な酷評を浴びている。
曰く、「膿」、「国民の敵」、特定もりかけ野党、立憲もりかけ党などなど、、、、
その理由は、オールドメデイアの劣化が著しい。日本国民からの信用が無くなった。

もう少ししたら、朝日新聞の姿焼きが拝めるかも知れないと、期待は高まる。
「朝日新聞死ね」と言うのは、紛れもなく日本国民の意志である。

現状は、オールドメデイアの支援にも関わらず、特定野党の国会議員は
氏、素性の卑しさを満面に見せている。つまり、民主党政権のうまく行かなかった原因は、
役者が日本国民を騙し遂せなかった、これが第一の理由である。
その点の反省なしに、「政権交代」、、、二度とあって堪るか!

民主党政権時代に、マニュフェストが死語になった。何も約束が果たせ無かったのである。



国際派日本人養成講座
No.770 メディアが仕組んだ政権交代

<<   作成日時 : 2012/10/21 06:29   >>
http://blog.jog-net.jp/201210/article_3.html





マスコミの政治責任・・・思わず漏れた本音
2010年12月07日 14:48

岡田 克敏元大手商社勤務
http://agora-web.jp/archives/1140209.html

 11月28日の毎日新聞のコラム、反射鏡には新聞社の本音が漏れているようです。与良正男論説副委員長は次のように告白しています。
「政権交代から1年2カ月。臨時国会は、閣僚の失言、陳謝、撤回のオンパレードで、確かに菅内閣の体たらくは目を覆うばかりだ」
「『日本の政治には政権交代が必要』と長年書き続けてきた私も自省を続ける毎日である」
 そこには長年の努力がようやく実って民主党政権が誕生したものの、そのあまりの出来の悪さに失望し、落胆している様子が見て取れます。長年の自民党政権に嫌気が差し、ようやく取り替えたものの、それは前よりさらにひどかった、というところでしょうか。

「政権交代が必要と長年書き続けてきた」とありますが、自民党政権がずっと続いてきたわけですから、政権交代とは民主党政権の実現と同義であり、それを長年目指してきたということに他なりません。
 中立を求められる筈の新聞社がずっと民主党政権を応援してきたという事実を堂々と話される正直さに驚かされますが、それは社内では民主党を支援することが「あたりまえのこと」となっていて、それがメディアの中立性を侵すものだという意識が希薄になっていたためではないでしょうか。
 政治を左右しようというあからさまな意図が露わになった例として世に有名な「椿事件」があります。93年7月18日の衆議院選挙に臨んで、テレビ朝日の椿貞良報道局長は選挙時の局の報道姿勢に関して次のように述べたといわれる事件です(以下Wikipediaの椿事件より)。
「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
「共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
 これが報道局長であった椿氏の、日本民間放送連盟の第6回放送番組調査会の会合という公的な場での発言だそうですから、その見識に驚かされます。しかしこれが明らかになったのは1ヵ月近く経った後の産経新聞の報道によるものであったという事実などを考えると、発言の背景には民放連の中立性に関する問題意識の低さがあったのではないかと強く疑われます。つまり椿氏はまさか批判を受けるとは思わず、あたりまえのこととして発言した可能性があるわけです。
 発言からは「意見表明の機会」までを意図的に管理していることがわかりますが、そこには中立性など全く見らないばかりか、支配者のような驕りが感じられます。また毎日新聞の場合は論説副委員長、テレビ朝日の場合は報道局長の発言ですから、一部の暴走などではなく、そのメディアの報道姿勢を「正しく」表したものと理解すべきでしょう。
 しかしこのような例、図らずも本音が漏れたという例はわずかです。たいていは自民党に不利なニュースは大きく扱うなどの巧妙な方法がとられます。例えば安部内閣当時、松岡利勝、赤城徳彦元農水大臣の事務所経費問題の報道は凄まじく、松岡氏は自殺、赤城氏は辞任に追い込まれましたが、安部内閣の受けた打撃は取り返しのつかないもので、参院選の大敗につながりました。
 前置きが長くなりましたが、この小文の趣旨は多くのメディアが政権交代、すなわち民主党政権の誕生に大きい役割を演じながら、その出来の悪い政権を作ったことに対して責任を感じている様子が見られないということです。責任は選んだ国民にあるのだということにして。
 与良氏の発言の中には「自省」という言葉があり、民主党政権を望んできたことに対する後悔の気持ちが見られますが、これは例外的と言ってよいでしょう。まあそう思うのであれば少なくとも社説に書くべきでしょう。しかし、ここでも民主党政権を生んだことへの責任は感じられません。
 つまり、多くのメディアは判断を誤り、民主党の能力を過大に報じて、国民の選択を誤らせた結果、誕生したのが「目を覆うばかり」の民主党政権であったというわけです。たしか福田内閣のとき、当の小沢代表自身が「民主党には政権担当能力はない」と発言しましたが、皮肉にも現状はそれを実証する形となりました。
 鳩山内閣が発足すると、首相や閣僚達の発言が逐一報道されるようになりました。発言を聞けばその人物のおおよその見識レベルがわかります。最初の2~3ヶ月間の発言から政権の実像を理解し失望した方は少なくなかったと思います。
 マスコミは情報を収集するのが商売ですから、その情報量は一般国民をはるかに凌駕します。したがって政権発足前に政党やその構成者の能力をより正しく評価することは十分可能であった筈です。にもかかわらずその評価を外したのであれば、自らの評価能力の低さを恥じるべきでしょう。
 政府のレベルは国民のレベルによって決まるといわれています。しかし国民の投票行動はマスコミ報道の反映でもあることを思えば、政府のレベルはマスコミのレベルによって決まるといった方がより適切でしょう。
 誤った判断によって政治が変えられることはたいへん危険です。メディアの判断が頼りにならない以上、有名無実となっている中立性をもっと厳しく考える必要があるでしょぅ。不偏不党、中立報道を看板にするメディアは多いのですが、その看板を自らの政治責任を回避するためにだけ「有効利用」している現状はまことに憂慮すべきものと思われます。




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