憂国のZ旗

日本の優れた事を様々話したい。

自衛隊幹部が異様な低学歴集団

2018-11-26 17:56:53 | 政治

ブタニさんの言うことは、信頼できないなあ。
業務遂行に必要な学歴が、部外で獲得できる?

募集の体制は、多くが高卒を対象としているし、
自衛隊部内の教育自体は、学歴とは無縁である。
通信大学など二足のわらじを履いても、達成できる保障はない。

自衛隊の日本防衛の日付は3日から7日程度と認識している。
弾薬備蓄も、7日間の会戦が消化できれば、ONの字である。
政治家がご大層に文民統制と言うが、ロボットを欲しがっているかと
困惑することも多い。

朝日新聞や、「国民の敵」小西洋之議員などの称する文民統制は
完全なロボット化である。政治が文民統制の一方の責任を認めない限り
誤謬は続くと見ている。


自衛隊幹部が異様な低学歴集団である理由
中学校レベルの根性論とパワハラ
政治・社会 2018.9.12 #自衛隊 #学歴

慶應義塾大学SFC研究所上席所員 部谷 直亮
PRESIDENT 2018年10月1日号
https://president.jp/articles/-/26144

自衛隊幹部の51%が高卒以下だった
筆者の情報公開請求とプレジデント社との共同取材により、自衛隊幹部は公務員の中でも異様な低学歴集団であることが判明した。しかも、それは米軍や韓国軍にも劣るレベルだという。

諸外国に比べ教育を軽視している自衛隊……。(時事通信フォト=写真)
まず目立つのは大卒の低さである。大卒以上の幹部(尉官以上)は45.9%しか存在しない(2017年10月末時)。大卒率ほぼ100%のキャリアの国家公務員や米軍の現役幹部の83.8%(15年時)と比べると異常な低さだ。
次に修士以上も酷い状況だ。米軍の現役幹部の41.5%が修士号以上を取得している。しかし、自衛隊幹部は僅か5.02%のみ。特に航空自衛隊幹部は3.64%でしかない(18年4月時)。
そして、注目すべきは高卒の多さである。なんと自衛隊幹部の51%が高卒以下であり、一佐ですら3%の80人が高卒であった(17年10月末時)。中卒の一佐も3人いた。一佐とは、諸官庁では課長級であり、連隊長ともなれば数百~1000人の部下をまとめる職である。
では、なぜそうなってしまうのか。それは自衛隊が第1に、諸外国の軍隊の中でも知性を軽視しているからだ。米軍の場合は基本的に将校は学位を保有せねばならず、保有しない将校でも大尉になれば一定期間までに学位を取らねばならないとなっている。将軍では2つや3つの修士はザラである。自衛隊の場合は、そうした規定もなく、また積極的に国内外の大学に幹部を留学させる仕組みも乏しい。防衛省を含む各省庁のキャリア官僚は、基本的に海外の大学院に留学させるが、自衛隊では非常に限定される。国内の大学院へ行けばはみ出し者扱いされるという。
第2は、自衛隊の専門知識や学問に対する軽視だ。特に陸上自衛隊では、職場の机の上に書籍(軍事や戦争の専門書でも)を置いているだけで上司からにらまれることが多々あり、検閲の場合は私物として隠さねばならない。業務に直接関係のないものを置くのは美しくないためだ。これでは、自ら外部の教育機関で学ぼうとする意欲を持つ人間はつまはじきにされてしまう。
自衛隊幹部だけが全公務員の中で教育の機会を与えられていない
複数の自衛隊幹部は「自衛隊幹部の学歴は先進国でも最低レベルではないか。平和安全法制以後、米国などとの共同作戦や演習が増えていく中で深刻な問題になっている」と現状を嘆く。
その深刻な問題とは何か。第1は、高等教育で学ぶ抽象的思考ができないために共同作戦や演習のための意思疎通ができなくなることである。要するに知的分野での交流・貢献ができない。例えば、米軍側は以前「宇宙空間やサイバー空間で機動(maneuver)する」と自衛隊との会議で発言した。米側は「機動」という概念を「主導権を取る」という意味で使用しているのだが、自衛隊幹部の多くは「機動」を物理的にしか理解していなかったのである。
近年の米軍の作戦コンセプトは抽象的な思考を重視する傾向がより一層強まっており、このままでは、共同作戦もできなくなる恐れがある。実際、日米共同の現場の自衛隊幹部の多くが限界を感じつつあるという。
第2は、根性論の重視である。自衛隊の組織運営は根性論とパワハラ全開である。それは文書作成1つを見てもわかる。陸自では、パワーポイントの見出しのフォントをMSゴシック、本文は明朝体にせず、また誤字脱字があれば人格否定されるのが常であるという。また、田舎の駐屯地では将官を出迎えるために、佐官が床にワックスがけをしている。人員が足りない自衛隊において、信じがたいほど非効率だ。
米軍などを見習って、基本的に幹部には学位を取らせるべきであるし、キャリアに当たる幹部は基本的に他省庁と同様に留学させるべきだ。国内大学の修士課程であれば1人135万円、学部なら250万円で卒業可能だが、これは演習弾数発程度でしかない。オスプレイ2機を断念すれば自衛隊の大卒幹部のほとんどを修士課程に、5機を断念すれば自衛隊の高卒幹部約2万人を全員学卒にできる。
自衛隊幹部だけが全公務員の中で、教育の機会を与えられず、中学校レベルの根性論とパワハラで勤務させられるのは差別的待遇でしかない。
(写真=時事通信フォト)





韓国国会議員竹島上陸 外務省が外交ルートで抗議

2018-11-26 17:39:28 | 政治


韓国の明らかな敵対行動に抗議する

韓国の竹島簒奪は、日本が国連統治下で占領時代に為された。
そうして、李承晩は竹島への日本漁民を抑留して、4人が死亡、
4000人が拘留され、その期間は16年も続いた。

今年10月30日の韓国最高裁元募集工問題判決に続いて、
三菱訴訟判決と猛一つの判決が出ようとしている。
エスカレートする一方の韓国には、蔑視しか生まれない。



韓国国会議員竹島上陸 外務省が外交ルートで抗議
2018.11.26 13:33
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/181126/plt18112613330009-n1.html

外務省は26日、韓国の国会議員らが同日午前に竹島(島根県隠岐の島町)に上陸したことを受け、金杉憲治アジア大洋州局長が在日韓国大使館の金敬翰(キム・ギョンハン)次席公使に「到底受け入れることはできない」として強く抗議した。
 在韓国日本大使館の水嶋光一総括公使も26日、韓国外務省の金容吉(キム・ヨンギル)東北アジア局長に強く抗議し、再発防止を強く求めた。


【速報】韓国の与野党国会議員団、また竹島に上陸 日韓関係悪化必至
2018年11月26日13:13
カテゴリ
  竹島
韓国
http://www.honmotakeshi.com/archives/54494261.html

1: 記憶たどり。 ★ 2018/11/26(月) 12:23:21.63 ID:CAP_USER9
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181126/k10011723581000.html

〜略〜

26日午前9時ごろ、韓国の与野党の国会議員8人が、ヘリコプターで島根県の竹島に上陸し、
駐留している警備隊のためにこのほど改築された施設を視察するとともに、隊員たちを激励しました。

竹島をめぐっては、先月22日にも、別の韓国の議員たち13人が上陸して、「韓国の領土だ」とアピールしたほか、今月15日には、韓国の海洋調査船が島周辺の日本の領海に入っていて、いずれも日本政府が韓国側に抗議しています。

以下略


33: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:29:49.00 ID:zNjIQHTFO
順調に亀裂が広がってますね

34: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:30:04.40 ID:5p5GpkUJ0
もうね
仲良くする気は向こうもない証しと受け取って粛々と断交に向かおうよ

56: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:33:10.23 ID:Gk8qsZ4S0
まぁ他にも非難決議出してるし、そろそろ遺憾の意だけじゃなくて
実力行使に移るという朝鮮国への布告が聞けると思う。

61: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:34:07.41 ID:bl6f2uaZ0
せめて「李承晩ライン」を国民全員が知ってるくらいには啓蒙しろよ…。

71: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:35:57.64 ID:KHpPJGtE0
もうだめやろ

85: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:37:59.50 ID:G9Xx30tf0
韓国は失業率が上昇し経済格差が広がっているので、反日でしかガス抜きさせられない
しかしこれによって日韓距離が開き、韓国はさらに経済悪化へ
韓国は長期的展望に基づいた行動ができないからな

事実<感情

102: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:41:01.09 ID:JrtzmPLG0
反日ブースト入りましたー
191: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:50:03.09 ID:m4qt0eS00
冷静に考えると、日韓友好とか言いつつ
韓国って日本に対して敵対行為しかしてないよな

204: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:51:07.47 ID:zWW+Q40p0
あちらはよっぽど断交してほしいみたいだね

64: 名無しさん@1周年 2018/11/26(月) 12:34:28.97 ID:vZMgp4iI0
旭日旗自粛要請、原爆少年団、募集工判決、慰安婦財団解散、EEZ中止要求、竹島上陸

マジでおかしい国。関わってはいけない国。

引用元: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543202601/


恥ずべき韓国統治、日帝残滓。

2018-11-26 07:42:13 | 政治


恥ずべき韓国統治、日帝残滓。

日本は歴史の反省を、真摯に行うべきである。


差別などなかった。最後の証人が語る、日本の朝鮮統治の「真実」
国内2017.10.04  2217
by 伊勢雅臣『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』
https://www.mag2.com/p/news/280690


日韓関係をぎくしゃくさせている原因のひとつとしてあげられることの多い、日本による「朝鮮統治」。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、朝鮮総督府で官吏をされていた西川清氏の著書『朝鮮総督府官吏、最後の証言』の内容を引きながら、朝鮮統治時代の日本人と朝鮮の人々との関係性について、メルマガ著者の伊勢雅臣さんが分析・解説しています。

朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク
朝鮮総督府で官吏をされていた人が、当時の体験を語った貴重な本がある。本年7月、102歳で亡くなられた西川清氏の『朝鮮総督府官吏、最後の証言』だ。表紙の帯には「おそらく総督府の実態を語れるのは私が最後だと思います」との発言がある。
この本の裏表紙にある写真が、西川さんの証言のすべてを物語っている。そこでは4人の若い男性が桜の木の下で、肩を組んでいる。キャプションには「1934年 官吏仲間と楽しく花見する西川氏」とある。
一人は着物を着ているので日本人と分かるが、他の3人は洋服だ。そのうちの一人が西川さんで「大和系日本人」、残る2人の青年には「朝鮮系日本人」と注意書きされている。

仲良く肩を組んでいるので、そのような注意書きがなければ、誰が日本人で誰が朝鮮人だか全くわからない。西川さんの朝鮮総督府での業務体験を読んでいくと、日本人と朝鮮人が一体となったチームワークで仕事をしていたことがよく窺われる。
町の周囲の山が禿山だった
西川さんは昭和8(1933)年18歳で和歌山県の熊野林業学校を卒業し、校長の斡旋で朝鮮総督府に就職した。朝鮮といっても、当時は内地(国内)、外地(朝鮮、台湾)とも同じ日本だったので、日本国内の遠い地方に行くという感覚だった。任地は江原道(こうげんどう)。「道」は日本で言えば「県」にあたり、江原道は朝鮮半島の東海岸、南北ではちょうど中程にあった。
朝鮮に行ってまず驚いた事は、釜山(プサン)や京城(ケイジョウ、現ソウル)など町の周囲の山が禿山だったことです。
 
…朝鮮にはオンドルという薪(まき)を焚いて床を暖める設備がどこの家にもありました。朝鮮は非常に寒くなりますから、このオンドルには大量の薪が必要です。しかし、朝鮮には植林をするという技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々にはほとんど樹木がなくなっていました。
(『朝鮮総督府官吏 最後の証言』桜の花出版編集部/星雲社)
西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。まず土が流れないよう、70~80センチの段々を作り、そこに木を植える。植林は土砂崩れや洪水防止のために急務であった。また海の近くに植林することで、漁場に栄養が行き渡る。西川さんは日本の林業学校で「樹のない国は滅ぶ」と教えられていた。
朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9,000万本もの植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。西川さんはその一翼を担ったのである。
日本人官吏と朝鮮人官吏の給与も出世も平等だった
昭和11(1936)年に朝鮮総督府は地方官吏養成所を設け、西川さんはその第1期生として京城で1年間学んだ。江原道からは5人が送られたが、そのうちの2人は朝鮮人だった。養成所の第1期から朝鮮人も選ばれて、幹部候補生として育てられたのである。幹部ともなれば、日本人の上司となることも、ごく普通であった。
昭和18(1943)年、西川さんは江原道の21の郡の一つ、寧越郡の内務課長に昇進した。寧越郡は7つほどの村を管轄しており、全体で60名ほどの職員がいた。どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人で、寧越郡も例外ではなかった。西川さんは朝鮮人郡守の下で内務課長を務めたわけである。
給与も出世についても、日本人も朝鮮人も全く差別はなかった。ただ内地から来た日本人には外地手当が支給された。したがって内地に働く日本人官吏と、朝鮮で働く朝鮮人官吏は同じ給与だったようだ。これは現在の多くの日本企業の海外法人よりも公平である。
その後、西川さんは道庁に移って課長補佐になったが、そこでも朝鮮人の方がずっと日本人よりも多く、また道庁の部長もほとんど朝鮮人であった。ここでも朝鮮人の上司に仕えたのだが、西川さんは全く違和感はなかったという。朝鮮人の上司は、西川さんをとても可愛がってくれた。
朝鮮統治では、「皇民化」で当時の朝鮮人を軍国主義に染め上げようとした、などとの批判が現在されているが、それについて西川さんはこう答える。
皇民化政策について勘違いしている方が多いのです。日本人も朝鮮人も皇民だったということです。皇民化とは日本と朝鮮の格差や差別をなくすためのものだったと思います。
(同上)
道庁内では各課ごとに野球チームを作り、野球大会をやっていた。朝鮮人は野球がとてもうまく、朝鮮人だけのチームもあったが、そこが一番強いかというと、そうではなかった。なぜか朝鮮人と日本人の混合チームがいちばん強かったと言う。個人の能力の高い朝鮮人とチームワークに優れた日本人の強みがうまく補完し合うからだろう。
朝鮮は、日韓併合後の最初の20年で、人口も米の生産量も2倍となるなどの高度成長期を迎えるが、その原動力の一つが、この日本人と朝鮮人のチームワークだった。
朝鮮人は日本名を名乗る権利があった
朝鮮人に日本名を名のらせる創氏改名が強制されたというのも、戦後の神話である。
道庁の朝鮮人官吏の人でも、創氏改名しない人はたくさんいました。はっきりと覚えていませんが、私の周りでは半数以上といったところでしょうか。「創氏改名しろ」と言う命令があったのなら、朝鮮人の官吏は、真っ先に改名しなければならなかったでしょう。
 
総督府の組織の人間である官吏の朝鮮人が、国の言うことを聞かないと言う事はできません。それが名前を変えなかったという事は、創氏改名は自由だったということです。
(同上)
むしろ朝鮮人が日本名を欲しがったと言う話も聞いたくらいだった。「あの当時は同じ日本人なのだから、したかったらしたらという感じでした。無理にしろということではありません」と西川さんは回想する。実際に「氏の創設は自由 強制と誤解するな」という総督からの注意が新聞記事でも残っている。
もし、創氏改名が出来なければ差別になります。日本人と同じと言っておきながら、朝鮮人が日本名に変えることができないとなると、これは一つの矛盾となります。朝鮮人は日本名を名乗る権利があったのです。
(同上)
「徴用は、強制というより納得するように話すんです」
現在、朝鮮人労働者を日本内地で働かせた「徴用」は「強制労働」とレッテルを貼られ、当時の日本企業に損害賠償を求める裁判まで起こされている。
西川さんは寧越郡の内務課長時代にこの「徴用」に取り組んだ。徴用とは戦時下の労働力不足に対応するための国民に対する勤労動員である。内地では昭和14(1939)年から実施されていたが、朝鮮では昭和19(1944)年9月に開始された。
朝鮮総督府が各道庁に朝鮮人男子青年の人数を割り当て、道庁は郡に、郡は面(村)に人数を割り当てる。ただし、西川さんの前任者は、10人の割り当てがあっても、5~6人しか集められなかった。
西川さんは10人の割り当てに10人集めた。その成績が非常に良いと言うことで総督府の事務官が理由を聞きに、西川さんの所にやってきた。逆に言えば、徴用は法律上は強制であっても、実際には言うことを聞かない朝鮮人も多かった、ということである。
どうやって集めたかと言うと、面長(村長)とか、関係の人にきちんと説明して、本人にも納得するように説明してもらう事でした。…
 
徴用は、強制というより納得するように話すんです。それをしっかりと話をしないで、集めようとするから、皆、嫌がって日本に行かないことがわかりました。
 
私はきちんと、日本に行って、日本人と同じ仕事をして、賃金もきちんともらえると、係官に説明をしてもらったのです。
(同上)
これが「強制労働」の実態だった。

「従軍慰安婦」の強制連行はなかった
「従軍慰安婦」の強制連行などは無かった、と西川さんは断言する。もし「従軍慰安婦」の強制連行があったら、徴用と同じように人数の割り当てがあり、内務課長がその人数を集める責任を負うはずだ。内務課長であった西川さんがそれをしてなかったという事は、強制連行の事実がなかったと言うことになる。
百歩譲って、西川さんが嘘をついていたとしても、まだまだ反証がある。西川さんの周囲には、郡長や部長レベルも含め多くの朝鮮人官吏がいた。もし朝鮮人女性をトラックで無理矢理連行するような事があったら、それらの朝鮮人官吏が黙って見ていたはずがない。必ず大騒動が各地に起こったであろう。
さらにもう一つの証拠として、当時の行政の厳格な文書主義がある。戦後、西川さんが帰国して、再就職する際に、政府から履歴書を再発行してもらった。そこには朝鮮に渡った18歳からの経歴、役職、給与までが克明に記録されていた。コンピューターもない時代に、総督府は一人ひとりの官吏にまで、このような詳細な記録を残していたのである。
終戦後の引き揚げの混乱の中でも、総督府は「特別輸送乗車船証明書」を発行している。これは引き揚げの交通費を免除するためのもので、印刷された用紙に名前を書き、公印まで押している。
もし総督府が行政命令として慰安婦を集めていたら、その命令書や執行報告書、そして集められた慰安婦たちの一人ひとりの記録が残されていたはずだ。西川さんは引き揚げ時には書類はすべて道庁に残してきたというから、もし慰安婦の強制連行があったら、その膨大な証拠書類が出てこないわけがないのである。
朝鮮人志願兵への応募30万人
「従軍慰安婦」とは対照的に、朝鮮人志願兵の記録は詳細に残っている。朝鮮人の第一回志願兵募集が始まったのは昭和13(1938)年だった。応募者は2,976人と倍率が7倍を超えたので、採用者を増やして480人が採用された。
志願者は年々増え続け、昭和18(1943)年には30万人にも達した。採用予定者は5,300人で、倍率は約57倍だった。この年にはさらに幹部候補の募集も行われた。
日本の軍隊の特徴は、日本人と朝鮮人を混在させた点にあった。そのため朝鮮人上官の下に日本人兵が配置されることもあった。そこでは朝鮮人上官が日本人の部下を怒鳴りつけたり、殴ったり、靴を磨かせていた事も、当時の軍として普通に見られたようだ。
アメリカでは、白人部隊と黒人部隊が完全に分かれ、黒人の上官の下に白人の部下がつくことなど、ありえなかった時代の話である。
靖国神社には、日本軍として戦った朝鮮人兵士約2万1,000人以上が英霊として祀られている。「一視同仁」、すなわち、日本人も朝鮮人も同じ「皇民」である、とする精神が軍隊内での処遇においても、慰霊においても実践されていたということである。

「私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません」
終戦の玉音放送を、西川さんは自分の机で聞いた。よくは聞き取れなかったが、「忍び難きを忍び」などの天皇陛下のお言葉を聞いて負けたということがわかった。道庁の中で、朝鮮人官吏の様子については特に変わった様子もなかったようで、記憶に残っていないという。
西川さんは翌日も、職場に行った。
私は机の身近なものなど片付けて、それ以上はもう自分は必要ないから触らずに帰ってきたわけです。何も朝鮮と戦争した訳でもないから、朝鮮を差別したこともないし、内鮮一体でやってきたわけだし、私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません。
 
朝鮮人と日本人と一緒になって、一生懸命やりましょうということだけで、仕事をしてきたわけです。江原道庁で、見られて都合の悪い書類なんて何もありませんでした。総督府は善政を敷いたのです。
(同上)
日本の朝鮮統治は「植民地化」ではなく、「合邦」、企業で言えば「合併」であった。そして西川さんたち朝鮮総督府官吏は、日本人も朝鮮人も「一視同仁」、「内鮮一体」の理想に忠実に、良きチームワークを発揮してきたのである。
玉音放送の2、3日後、日本人が一人二人とコソコソと引き揚げてることを聞いて西川さんは人事課長の所へ行って、提案した。




韓国はいつ誕生した? 建国年をめぐる左右バトルの行方

2018-11-26 05:47:15 | 政治


ここ2ヶ月ほどで、韓国の反日活動が活発化した。
燃える火の粉は、何故、盛るか?

半島情勢は、セキカ統一の可能性が増大した。
韓国文在寅大統領の目論む、高麗連邦創設は、北朝鮮が韓国を支配して
韓国民を第二国民と処遇する。もしくは、韓国の自然消滅???


本題は、旭日旗 の件であるが、韓国海軍は日本海上自衛隊に対して、
観艦式の旭日旗 掲揚自粛を申し出た。
不思議なのは、韓国の言い分である。

韓国の言い分から、韓国の建国問題が出てくる。
韓国憲法前文には、何と書いてあるか?

>悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、
 祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して、正義・人道と同胞愛で民族の団結を強固にし、全ての社会的弊習と不義を打破し、自律
 と調和を土台に自由民主的基本秩序をより確固にし、政治・経済・社会・文化のすべての領域において各人の機会を均等にし、能力を最高
 度に発揮してもらい、自由と権利に拠る責任と義務を完遂するようにし、(国)内では国民生活の均等な向上を期し、外(交)では恒久的な世界
 平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを確認しつつ、1948年7月12日に制定され
 8次にわたり改正された憲法を再度国会の議決を経って国民投票によって改正する。 <

ふううん、何の事やら、、、、、、

(抜粋開始)
韓国はいつ誕生した? 建国年をめぐる左右バトルの行方
2017年8月24日(木)17時21分前川祐補(本誌記者)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8297.php

<1919年か、1948年か? 大統領の文在寅自ら、国際的に認知された年と異なる建国年を主張し、物議を醸している>
就任以降、何かと左右の対立を生む言動が相次ぐ文在寅(ムン・ジェイン)大統領。本来なら国民が一致団結するはずの独立記念日にも、物議を醸す発言が飛び出した。
(抜粋終了)

良かったねえ、建国を二回も味わえる。本当に良かったねえ。

真実の歴史は、どっちだ?