宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」とベートーヴェン交響曲第6番「田園」が繋がってるって知ってました?
昨日、りィちゃんと一緒にラボの千葉県支部発表会を見に行きました。
ラボ(ラボ・パーティ)っていうのは分かりやすく一言でいうと「英語塾」。
でも実は「お勉強塾」というよりも「ボーイスカウト・ガールスカウト活動」の方が近い。
ある話(童話・昔話など)を英語・日本語で語り、その内容に従って自分たちで動きをつけて表現してみよう、というものなんです。
その中で歌や振り付けがあったり、仲間とのつながりや他のパーティとの交流があったりキャンプ・ホームスティ・国際交流などなど、なかなか奥が深い活動をしてて、結構活動的です。
楽しみにしていた発表演目「セロ弾きのゴーシュ」
ずっと前に一度、大学生の発表をみたことがあり、猫とカッコウ、特にカッコウの動きが秀逸で素晴らしく、あまりの切なさに目が潤むほど。
発表するパーティが変われば解釈も動きも全く変わるのがラボの面白さです。
始まると同時に流れてきた音楽は・・・「田園」!
十日前にオケで聴いたばかり、家でもずっとずっと聴きこんでいたベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。
コンサートに行くことを決めなければ聴くこともなかったはずの曲。
そしてラボをやっていなければ、これが「田園」だと気付きもしなかっただろう曲。
「田園」だからこそ、カッコウのエピソードが生まれたのかも知れませんね。
第2楽章は田舎の散歩道、ナイチンゲールやうずら・カッコウの鳴き声・・・
そしてセロとは、今でいうチェロのこと。
あ~・・・チェロのすぐそばで演奏を聴いたのにコンバス隊に気を取られ、チェロの動きをあまり見ていませんでした。
もしも見た順番が逆だったら、と思うと残念。
家に帰ってきてからラボや手持ちの本を調べてみました。(なぜか昔々の新潮文庫が我が家にあるのです。)
「セロ弾きのゴーシュ」の中には「第六交響曲」としか書かれておらず、どこにもベートーヴェンとは表記されていません。
ラボはきちんと調べ誠実に作品を作りますから、いい加減にベートーヴェンを使ったとは思えない。
答えはやはりラボの解説文の中にありました。
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」は賢治のお気に入りだったのです。
そして猫の話の中の曲「印度の虎狩り」は昭和初期に流行ったレコードの一つであり、子狸の「愉快な馬車や」は不詳。賢治が考えた架空の曲名であろう、と。
だとしたら、カッコウのあのドレミファの歌はなんだったんだろう?
どこにも記載はありませんが、きっとこの話のためにベートーヴェンの第2楽章を参考にラボの制作陣が作った曲なのかもしれません。
宮沢賢治が音楽好きとは知らなかったなー。
「田園」が好きなのも分かるような気がする。故郷を愛してた人だものね。
楽長の言ってる「表情がまるで出来てない」とは「音に心がこもってない」ってことで、ゴーシュはきっと、ただ楽譜を追って音をこなしているだけだったんでしょう。
アナリーゼまでやれとは言わないけど(アナリーゼとは作曲者の思考や時代・環境を理解すること)感情をのせて心を込めることは出来るはず、音楽家にとって必須でしょう。
賢治はそこまで分かってたということ。
で、動物たちとの関わりの中での ゴーシュの気づきをお話に託したんじゃないかなぁ・・・
大した出来事でもないんだけど、日々少しずつ、何かと何かが出会って積み重なっていくのって素敵だなって思う・・・
好きなお話と好きなクラシックが 心の中で出会ったのが嬉しかったので・・・。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_1.gif)
こんなちょっとしたことで、世界がぐんと広がったりするのよね。
昨日、りィちゃんと一緒にラボの千葉県支部発表会を見に行きました。
ラボ(ラボ・パーティ)っていうのは分かりやすく一言でいうと「英語塾」。
でも実は「お勉強塾」というよりも「ボーイスカウト・ガールスカウト活動」の方が近い。
ある話(童話・昔話など)を英語・日本語で語り、その内容に従って自分たちで動きをつけて表現してみよう、というものなんです。
その中で歌や振り付けがあったり、仲間とのつながりや他のパーティとの交流があったりキャンプ・ホームスティ・国際交流などなど、なかなか奥が深い活動をしてて、結構活動的です。
楽しみにしていた発表演目「セロ弾きのゴーシュ」
ずっと前に一度、大学生の発表をみたことがあり、猫とカッコウ、特にカッコウの動きが秀逸で素晴らしく、あまりの切なさに目が潤むほど。
発表するパーティが変われば解釈も動きも全く変わるのがラボの面白さです。
始まると同時に流れてきた音楽は・・・「田園」!
十日前にオケで聴いたばかり、家でもずっとずっと聴きこんでいたベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。
コンサートに行くことを決めなければ聴くこともなかったはずの曲。
そしてラボをやっていなければ、これが「田園」だと気付きもしなかっただろう曲。
「田園」だからこそ、カッコウのエピソードが生まれたのかも知れませんね。
第2楽章は田舎の散歩道、ナイチンゲールやうずら・カッコウの鳴き声・・・
そしてセロとは、今でいうチェロのこと。
あ~・・・チェロのすぐそばで演奏を聴いたのにコンバス隊に気を取られ、チェロの動きをあまり見ていませんでした。
もしも見た順番が逆だったら、と思うと残念。
家に帰ってきてからラボや手持ちの本を調べてみました。(なぜか昔々の新潮文庫が我が家にあるのです。)
「セロ弾きのゴーシュ」の中には「第六交響曲」としか書かれておらず、どこにもベートーヴェンとは表記されていません。
ラボはきちんと調べ誠実に作品を作りますから、いい加減にベートーヴェンを使ったとは思えない。
答えはやはりラボの解説文の中にありました。
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」は賢治のお気に入りだったのです。
そして猫の話の中の曲「印度の虎狩り」は昭和初期に流行ったレコードの一つであり、子狸の「愉快な馬車や」は不詳。賢治が考えた架空の曲名であろう、と。
だとしたら、カッコウのあのドレミファの歌はなんだったんだろう?
どこにも記載はありませんが、きっとこの話のためにベートーヴェンの第2楽章を参考にラボの制作陣が作った曲なのかもしれません。
宮沢賢治が音楽好きとは知らなかったなー。
「田園」が好きなのも分かるような気がする。故郷を愛してた人だものね。
楽長の言ってる「表情がまるで出来てない」とは「音に心がこもってない」ってことで、ゴーシュはきっと、ただ楽譜を追って音をこなしているだけだったんでしょう。
アナリーゼまでやれとは言わないけど(アナリーゼとは作曲者の思考や時代・環境を理解すること)感情をのせて心を込めることは出来るはず、音楽家にとって必須でしょう。
賢治はそこまで分かってたということ。
で、動物たちとの関わりの中での ゴーシュの気づきをお話に託したんじゃないかなぁ・・・
大した出来事でもないんだけど、日々少しずつ、何かと何かが出会って積み重なっていくのって素敵だなって思う・・・
好きなお話と好きなクラシックが 心の中で出会ったのが嬉しかったので・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_1.gif)
こんなちょっとしたことで、世界がぐんと広がったりするのよね。