CHESTNUTS's Living

Living・・・意味は「暮らし」
(なるべく)手作り、平穏で安心できる暮らしを目指しています・・・

骨密度から食を考える。

2010-01-28 07:08:08 | 本・記事
生活クラブで、ライブリー(注文カタログ)と一緒に月一で届く冊子「生活と自治」。
時間がなかったり、気持ちがざわついている時は読む気がしないけど、読める時には隅から隅までじっくり読みます。

最新の1月号の中で、「これは大事だから忘れちゃいけない!」記事があったので、残しておきます。





どう描く?「食」の未来図


農民作家・山下惣一さん×西日本新聞社編集委員・佐藤 弘さんの対談。

(対談の内容はスルーします。)

------------


とても気になるグラフが載ってます。 『「いのち」を縮める呆食・疎食』

この内容は、福岡伸一さんが書かれた狂牛病についての中の「脆弱性の窓」の考え方に似ていると思うのです。
一生の中の幼い時期でないと、取り返しのつかないことになる。
体がまだしっかりと出来ていない成長期はやはり大事。
お腹が空いているからと手軽に食せるものばかり(ファストフード・お菓子など)では、しっかりとした体の基礎は作れない。
年を取ってから、思わぬリスクに襲われることになる。
ひいては医療費・国の財政にも影響を及ぼすことになるでしょう…いや、もうそれは来ています。
ただ自分の立場がまだそうなっていないから、気付かないだけなのです。


注*「脆弱性(ぜいじゃくせい)の窓」について

「脆弱性」という言葉は、一般にはPC用語として使われているようですが、
ここでは分子生物学者の福岡伸一さんが書かれた本「もう牛を食べても安心か」で取り上げられた言葉としての意味を指します。

『第4章 狂牛病はいかにして消化機構をすり抜けたか—異物に開かれた「脆弱性の窓」』

生まれて数ヶ月の子牛に 母乳代わりに肉骨粉(にくこっぷん)を水で溶いたものを与えてしまったため、肉骨粉の原料となった家畜(鶏・豚・羊・牛など)の持っていた病原菌が子牛の体内に入り、成長してから発病する。
まだ発病していない この病原菌を持っている可能性のある牛を食べると、人間も侵されてしまいます(ヤコブ病)。
「幼い子牛」に与える、というところが最大のポイント。
大人ならば問題ないのに、病原菌は 腸や免疫力等が未発達な子牛の体内をすり抜け、やがて脳に到達してしまいます。





グラフ内容の説明。


生まれてから20代…より高い骨量を得、丈夫な骨を作る時期(若年期の問題点→ダイエット・やせ志向・月経不順)
20代~40代…………↑ここで作った最大骨量を維持する時期。
40代~60代…………骨量減少を抑える時期。
60代~80代…………転倒防止、骨折予防の時期。
そして20代以降は、骨粗しょう症の予防に気を配る。


グラフの解説文を転記します。

 骨の主成分はカルシウムとリン。さらに骨の枠組みを作る為のたんぱく質。
 戦後から現代に至るまで、日本人の平均身長が10cm以上伸びたのは、たんぱく質の多い食品を取るようになったから。
 しかし適度な運動をして日光を浴び、シイタケなどに含まれるビタミンDを取らなければ、骨は丈夫にならない。
 こうしたことが圧倒的に不足しているから、現代人の骨の中身はスカスカで、折れやすいものになっている。
 さらに小・中学生の運動能力の推移を見ても、昔より体格はよくなったが、体力は落ちっぱなしという傾向が現れている。

 骨密度は男女とも若い時にグーンと高まり(生まれてから20代)、やがてなだらかに落ちていく。ただし女性は閉経するとホルモンの関係でガクンと骨密度が低下する。これが腰の曲がった高齢者には、おじいちゃんよりもおばあちゃんが多い理由である。

 ポイントは骨密度が20代半ばでピークに達し、30代後半からはどんなに頑張っても落ちる一方であること。それまでにどれだけ骨密度を貯金できるかが健康管理の鍵を握っている。
 これに若い時に気づかなければ「骨粗しょう症」になるリスクが高まる。
 呆食・疎食で目先の食費を削っても、そのツケはいつか必ず自分か、自分の家族に返ってくる。これに早く気づくか否か。まさに人生の分かれ目である。(佐藤弘)
 (「生活と自治」1月号より)





解説の最後の言葉。

『呆食・疎食で目先の食費を削っても、そのツケはいつか必ず自分か、自分の家族に返ってくる。これに早く気づくか否か。まさに人生の分かれ目である。』

ここでは骨密度に話を絞っていますが、もっともっと大きな問題が浮かびあがってきます。


いつかテレビで、安物買いに走る主婦のドキュメントを見ました。
底値を調べ家族を総動員し、あっちの売り場の方が安い、タイムサービスでもっと安くなる、この商品は違う店の方が安い…
その結果、予算内(いくらかは忘れた)でお友達○人呼んで誕生日パーティが出来ましたとさ。


このままいけば、体は間違いなく日々蝕まれていくことでしょう。
安い食費の代償に、老後の体調不良と跳ね上がる医療費、さらには子供達が結婚して生まれる孫にまで遺伝して…

また、そういうのを追っかけて堂々と放送してしまうメディアの恐ろしさ。
お客が喜ぶからと更に値下げをし悪化してゆく経営。デフレ・スパイラル。


仕方ないかもしれない。
でもこの仕方ない流れを生み出したのは人間であり「人為」です。
自然に起こったことではない。所詮、人間は自然には太刀打ちできない。
けれど、人為ならば何とかして回避したい。
そのために人間は考える力を持っているのだと思いたい。
考える力を悪いことに使うも良いことに使うも 心ひとつです。

私には政治を変えることは出来ない、不況をひっくり返すことも出来ない。
でも、まず出来ることをひとつ。またひとつ。積み重ねていけばいいんです。

骨粗しょう症対策のために牛乳を買う。
お散歩しながら歩いて買いに行く。
牛乳は安さで決めず、表示を見て選んで買う。
 
まず、そこからスタートです。




ちなみにウチの場合、生活クラブの牛乳を頼んでいるので…お散歩が発生しません。
うぅ、まず歩こう(汗)


本屋大賞ノミネート & more…

2010-01-22 17:35:49 | 本・記事
Yahoo!ニュースを見てたら、本屋大賞ノミネート10作品が発表になったそうですよ。

思った通り「船に乗れ!」が入ってましたー!
昨日感想を載せたばかりなのに、本屋大賞ノミネートがこの時期っていうのも全然知らないのに…

なに、この偶然 タイムリーすぎてコワイ!!


ちなみにノミネート作品一覧はコチラ
    ↓  ↓  ↓

▽2010年本屋大賞 ノミネート作(50音順)

「1Q84」村上春樹(新潮社)

「神様のカルテ」夏川草介(小学館)

「神去なあなあ日常」三浦しをん(徳間書店)

「植物図鑑」有川浩(角川書店)

「新参者」東野圭吾(講談社)

「天地明察」冲方丁(角川書店)

「猫を抱いて象と泳ぐ」小川洋子(文藝春秋)

「船に乗れ!」藤谷治(ジャイブ)

「ヘヴン」川上未映子(講談社)

「横道世之介」吉田修一(毎日新聞社)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100122-00000015-maiall-ent


おそらく一押しは「1Q84」だろうけどね…

「船に乗れ!」は本当にキラキラとした遠い日々を綴った青春音楽作品です。
私はまだ「Ⅰ」と「Ⅱ」しか読んでないけど、「Ⅲ」でキラキラ感が増すことは間違いないでしょう。

あ~、なんか嬉しいな…








& more…

嬉しいことがもう一つ。

ぽんちゃん(中3)の高校合格が決まりました。
初詣で大吉を引き、今年の強運を何となく感じていましたが…

私は自分の運勢が上り調子の時、自分のおみくじで大吉が出て、その後りィちゃんの代わりにひいたおみくじも大吉だったことがあり
(これはどう考えても りィちゃんの運ではなく私の強運のお裾分けですよね…)
まぁそれだけが根拠じゃないんだけど、運の流れとかバイオリズムみたいなものがあることを信じてまして。
「いけるだろ!!」みたいな確信はありました。

それにしてもこんなに早く決まるとは…

嬉しくもあり…




寮に入っちゃうんです。

15歳でもう家を出る…卒業は5年後、成人式です。

そのまま、もう家に戻ることはないような気がします。


さみしいな…

自分で道を選んで進んで行ける力は、とても大事です。
きっと卒業後の道も自分で決め、どんどん先へ行ってしまうのでしょう。

苦しみや挫折、これから色々あるでしょう。
でもきっと乗り越えられるだろうし、何かあったら支えてあげられるよう、私も頑張らねば。



あ…、自分の世界を持ってるって、こういう時に威力を発揮するのかもしれないですね。


「船に乗れ!」Ⅰ・Ⅱ

2010-01-21 09:42:07 | 本・記事
読売新聞で、本屋さんのお勧めになってて、気にはなってた。
もしも書店で出会うことがあったら見てみたいと思い、携帯にメモを残しておいた。


「船に乗れ!」 藤谷 治/JIVE


一言で言い表すなら「音楽高校生の青春三部作」。
この記事をを読んだ時点で「Ⅰ.合奏と協奏」「Ⅱ.独奏」の2冊が出版されていて、でもまだどこでも見つけることは出来なかった。
どうも「Ⅰ」はすっごく楽しいらしいが、「Ⅱ」は暗くなってしまうらしい。
三部作であることから考えると、多分「Ⅰ」→第1楽章「Ⅱ」→第2楽章に当たるように思える。
クラシックの場合、第1楽章は魅力的な主題で惹きつけ、第2楽章はしっとりと聴かせる。又は問題提起。
ならば「Ⅲ」→第3楽章となり、問題の解決・劇的なラストを迎えるはず!!
すっかり「のだめ」に心酔してる私は、クラシック関連本も読むようになってて、これは指揮者やピアニストのエッセイではないのがいいな…


その後、また読売新聞の、今度は「本よみうり堂」に堂々と掲載され、遂に「Ⅲ.合奏協奏曲」が出版されてしまったことを知った。
      ↓   ↓   ↓    
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20091109bk0b.htm

あー、もうグズグズしてらんない!
もうネットで買うしかない!と決め、でも一応市内の本屋一周の旅には行ってみたけど…
一番近所の本屋で「Ⅱ」を発見、取りあえず購入。
でもその後回った市内で一番大きな本屋でも見つからず、やはりネットで購入するしかなかったワケだけども。

その後、出先の本屋で「Ⅰ」~「Ⅲ」が揃ってるのを見つけたり、市内の本屋でも見つけたりしはじめて…
遅いよぉ~、全巻揃って書評も出揃わないと書店には並ばないもんなのかな??
確実に売れるものじゃないと大量仕入れはしないんだろうけど、でも書店員さんのセッティングや心配り次第で、じわじわとブームを引き起こすことは出来る。
のだめだって最初は人気がなくて、表紙の楽器を持ってる女の子(のだめ)の絵が見えるように書店員さんがセッティングしたことにより火が点いたんだから…




「Ⅰ.合奏と協奏」

主人公である僕「津島サトル」は音楽一家の家系に生まれ、自分が好もうと好まざると関係なく音楽の道を強制されている。
最初はピアノだったが、どうもまずく、知り合いのチェリストに教われるという理由でチェロに変更(これも強制)。
またニーチェを読むことが好きで、音楽と哲学を好む自分は他人とはちょっと違うんだぞ!みたいな、生意気な男子的プライド性格も併せ持つ。

そんな生立ち・境遇が提示され、ちっとも楽しくない小中学生時代を過ごすさまは、読んでるこちらも楽しくない。

音楽高校受験に失敗したため、おじいさま経営の私立高校音楽科へ通うことになり、そこで生まれて初めて親族以外の音楽を志す仲間と出会う。
その中にヴァイオリンの「南 枝里子」がいた------

その後、物語は徐々に加速する。
初めての学生オーケストラの参加で、団体で音を合わせるしんどさ(合奏)と、南枝里子を苦しみから救うために一緒にピアノトリオを演奏(協奏)することがシンクロしていく。
音楽を作り上げていく過程を一緒に体感することにより、ラストのホームコンサートはまさに爽快感でいっぱいになる。


チェロ・ヴァイオリン・ピアノの音が合う=「心が合う」と同義。
一緒に演奏するのが南枝里子だからこそ、サトルはこの音が出せたのだと思う。
のだめでもそうだが、音楽と恋愛を分けることは、やはり難しい…



「Ⅱ.独奏」

爽快な第1楽章を体感してしまったあとの この第2楽章は、あまりにも辛く重すぎる。
あのまま楽しい続きが読めると思ってると、とんでもない結末にショックを受ける。
なぜこんなに苦しい内容なのかというと、それは作者の意図が、本当はここにあるからだ。
「船に乗れ!」というタイトル自体がその証拠。

私の本の読み方は邪道なのかもしれないけど、先をつまみ食いしないと気が済まない。
一気に3巻揃えてしまったために先を覗き見してしまい、一応の結末は分かっているのだけど、
「船に乗れ!」とはニーチェの書いた本の中の言葉らしい。
この三部作の中で、哲学が重要な役割を果たしていて、より深い仕上がりになっていると思う。
今のところ2冊しか読んでないので、ラストのニーチェに辿り着くまでの過程が楽しみだ。


ホームコンサート後、演奏を聴いた叔父(ドイツ在住)が、夏休み中ドイツにチェロの勉強に行けるよう手配をした(なかば強制)。
サトルは本当は行きたくなかったが、南枝里子と一緒に音楽大学に行き、「プロの奏者になって一緒に世界を演奏して回りたい」という彼女の夢と共に生きるために、ドイツ行きを決める。
だけどごく普通の家庭の音高生が、そんな恵まれた境遇にいるはずがない。
サトルがドイツに行くのはなぜ? 
サトルの「一緒に音楽大学へ行くため」という理由と、南の「サトルのおじいさまが学長で、おじさんがピアニストだから」という意識の食い違い。
自分はこんなにもヴァイオリンを頑張っているのに、生まれ育った環境が違うだけでこうも差が出来てしまうのか?
彼女の真剣すぎる強気とサトルの境遇への嫉妬が、自分自身をも狂わせる。


この先は本当に苦しくて、読むのも辛くなった。
あんなに爽快な読み心地だった第1楽章が、どうしこんなことに?とも思うが、著者の意図がこの苦しい気持ちにあるのなら、第1楽章はプロローグにすぎないということなんだろう。


南の狂気と、それを察することが出来なかったサトル。
お互いを愛していながらも どちらもまだ若く、大人になった今ならばどうにでも出来ることなのに、その時はどうすることも出来なかった。
(この話は大人になった自分の語りで表現されている)
一生傍にいたかった人が突然去り、今度はサトルが狂気に襲われる。
おじいさまの孫という立場を利用し、自分が正しいのだと周囲に思いこませ、その些細な思いつきは自分が大好きだった哲学の先生を失職に追い込む。

だからといって自分の悲しみが癒えることは決して無く、むしろ苦しみは深くなるばかりで、その先は第3楽章に続くのだけど…


うーん、ますます苦しくなっていきそうだなぁ。
でも若い時に哲学に触れることは とても大事なことだ。
いきなりニーチェやらプラトンやらではとっつきにくいけど…
ぽんちゃんに読んでほしくて用意した本に「14歳からの哲学・池田晶子著」がある。
「人は14歳以後、一度は考えておかねばならないことがある。」(本オビ)
自分とは誰か・死をどう考えるか・心はどこにあるか・他人とは何か…(目次)
多感な時期にひたすら考えること。自分が辿り着いて得たことは、全て自分のものであり、その後の人生の指針になっていくのだろう。

自分が悪事を働く時、それを判断するのは自分自身。
他人がどう思おうと、法がどう裁こうと、心の中のもう一人の自分(善と悪)が悪くないんだと思ってしまえば、それは正当化されてしまう。
「船に乗れ!」はその心の持ちようの恐ろしさが書かれていて、そこが凄くもある。


この先はこれから読むのだけど、第2楽章の苦しみが解決して、清々しくサトルが新たな人生を踏み出す…なんてのを考えてみたりしたけど、どうもそうではなさそうだ。
でも深い苦しみの中に、一筋の光が射す…らしい。
爽快な第1楽章も、苦しい第2楽章も、この終楽章のために書かれたのにすぎないのだろう。




追記

第1楽章で、サトルと南が演奏する曲「メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 第1番二短調 作品49」。
サトルはチェロ奏者パブロ・カザルスに心酔しており、本の中のシーンではホワイトハウスでの演奏のレコードが出てくる。

幸いにも同じ録音のCDを手に入れることができたので、聴いてみるつもり。


児童書

2008-01-15 16:13:44 | 本・記事
先日「チャーリーとチョコレート工場」テレビでやってましたね。
大好きな作品の一つです。いや主演者でなく、作品自体が。
(ジョニー・デップ、勿論実力のある方と思います。話題作多いですし、新作も気になる~)

児童書「チョコレート工場の秘密」生協のお薦め本に載ってて、
この時、娘に読ませる本を探していました。
小さい頃は絵本をチョコチョコ購入していたけど、絵本から児童書へ切り替わる時期が何となく難しく、いつしか本を買わなくなっていました。
いつのまにか本離れ・・・本の存在を意識しなくなり、子供よりも私の方が焦り始めました。
まずは本を家に置かなくては・・・手始めのまず1冊。
それが「チョコレート工場の秘密」でした。
続編「ガラスのエレベーター宇宙へ飛び出す」を読み、更にロアルド・ダールの本を読み漁り。
「おばけ桃の冒険」「父さんギツネバンザイ」「僕の作った魔法の薬」。
読書熱が更に熱くなり、児童書にハマり始め・・・
好きになったのは「モモ」「クラバート」「15少年漂流記」「大草原の小さな家」「ゲド戦記」・・・
(キリがない
これらを私は子供の頃読んできませんでした。
だから却って皆新鮮で面白く、大人になってから読んだから視点も感じ方も違う。
私が面白がって読んでれば、娘にもいいと思うんです。
ぽんちゃんは今、ジュール・ヴェルヌの冒険物がお気に入りの様子。
本屋で、今までどこでも見たことのない「神秘の島」という本(3冊組)を見つけたので本棚に並べました。
ちょっと長いけど、読んでくれるといいな。

ちなみに家にある「チョコレート工場」は古い版。
これを読み終わって次の本を探しに行ったら、新版が出ていて、挿絵も訳も変わっていました。そして「映画化!」のオビが。
なんか先見の明があったみたいで、一人でほくそえんでおりました。