よむよま

よむ・よまない、それから。

ブラタモリは会津へ

2016-07-03 21:32:35 | 見る
ブラタモリ、今回は会津若松です。雨です。
雨の鶴ヶ城からはじまりました。
そして、近江アナの「会津若松はどういう印象ですか?」の質問に答えて、
「白虎隊、幕末、落城。新政府軍が攻め入って来たんですね。悲劇のお城という印象ですね」とタモさん。
いきなり泣く私。
タモさんは続けて、
「落城したときの写真が残っているんですよね、無残な」
おお、よくご存じですね。
そして、あの大砲が打ち込まれて損壊している写真が出ました。
また泣く私。
会津の人は頑固で「いまだに長州を恨んでるんでしょ?」とタモさんは言ったけど、
会津の人が頑固だから恨んでるんじゃありません、筋が通らないからです!
罪がないのに、罪を認めることはできませんよ!(憤)

つよぽんのナレーション、
「1868年に始まった戊辰戦争、若松城は旧幕府軍と新政府軍との戦いの舞台となりました。
この時に会津藩の少年たちで結成された白虎隊の悲運の死は長く語り継がれることになりました」

ここで登場したタモカメの紐が雨に濡れてほどけず苦戦、テーマの紙が落ちちゃったり、こちらも悲運。
今回の案内人のお名前が近藤さんだったんですよ。ちょっとうれしい。

まず紹介されたのが有名な「什の掟」
ここでさすがNHKです、「八重の桜」の映像をちゃんと出した!
綾瀬はるかの八重さんが「ならぬことはならぬのです」と言いながら、銃を放つ戦闘シーン、
大砲を撃ち込まれる鶴ヶ城!
かぶさるメインテーマ!
またまた泣く私。こんなの出たら自動的に泣く。(T_T)

まずはお城に上って町の地形を見ます。
ここで地質に詳しい案内人が加わって、会津が盆地であることの説明を。
タモさん「ここは構造盆地ですね」
またズバリと答えちゃったらしい。
山と平野の線がまっすぐなのを見るとわかるんだって。
「断層ですね!」タモさんうれしそう。
歴代領主の一覧表が出て、上杉景勝の名前も出ました。エンケンさんの顔が浮かんじゃう。

お城の建っている扇状地の頂上である「扇頂」の場所に移動。
上から俯瞰で見ましょうと行ったのは、たぶん東山温泉のホテルかな。
盆地の中の高台である扇状地にお城を建てたのは戦略的に有効という話のところで、
近江アナが「近藤先生」と呼んだの。
近藤先生!えへへ(^_^)

外堀の痕跡が残っているのを探して歩きながらタモさんが言った、
「でも、会津ってあんまり残ってないですよね」
「ハイ、戊辰戦争でみんな焼けてしまったので」
ううむ。

私が会津若松市に行った時の印象は、「この町は町じゅう奥津城なんだなぁ」というものだった。
誰それの奥津城という碑がそこらじゅうにあった気がする。

どんどんひどくなる雨の中、外堀の大門の片側の石垣が残っているのを見たり、
城下町の道のクランク(城へまっすぐ侵入できないように)を見たり。
「戊辰戦争の時も、ここで西軍と大激戦になった場所です」
ううむ。

クランクはほかにもあって、川筋の水をうまく町へ流すためのもの。
ここで手作りの模型が出てきて、こういうふうに流れたんですと説明するところで、
使われた音楽が「ピタゴラスイッチ」(^O^)/

猪苗代湖から水を引くという大工事(1600年代に70年かかったそうだ)で用水路を作り、
その跡の切通しが残ってるの、これ、山の中?すごいね。

それから飯盛山へ。
といっても、白虎隊記念館ではなく、さざえ堂が目的。
今回のタモカメのテーマが「会津人はアイディアマン」なので。
私も、白虎隊記念館には行かずに、この建物に行ったんですよね。
その時はここが目的だったの、不思議な建物があるって。
ほかにも、有名な観光地の武家屋敷(西郷頼母の屋敷跡)を避けて、松平家墓所の山に行ったりしたので、
結果的に容保公のお墓にはお参りしたんだけど、近藤さんのお墓には行ってないのよねー。
いつか、ぜひ。

さざえ堂は二重螺旋の木造建築。
上がる段と下がる段は交差しない。真ん中を通して向こう側が見える。
所有者は飯盛さん、ということは山ごと持ってるの?
お賽銭が一ヶ所に落ちてくるように作られた樋を、タモさんが「集中賽銭採集装置」と命名しました。(笑)

次回は磐梯山登山?
晴れてるようで、よかったね。
コメント
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