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手塚治虫「新選組」八月納涼歌舞伎第一部

2022-08-23 22:32:36 | 見る
手塚治虫「新選組」八月納涼歌舞伎第一部

見てきました!「新選組」!
原作が手塚治虫の漫画で、主人公は父の仇を討とうとして新選組に入る深草丘十郎と、彼と親友になる鎌切大作の二人の若者。仇討ちしか考えていない丘十郎が、仇を討った後に今度は自分が相手の娘や同僚に仇として狙われ、恨み・憎しみの連鎖のむなしさに気づき、新しい世界に向かっていこうとする成長物語。
 勘九郎が20年前にこの漫画を読んで以来、自分がやりたいと思っていたが、時間がたっておじさんになってしまったので(笑)、今回、芝翫さんの次男・福之助、三男・歌之助の若い従弟たちに勧めて実現した舞台化。勘ちゃんは近藤勇、七之助が土方歳三という配役になっていた。この配役で開幕したのだが、福之助、歌之助、それに仇の娘役だった鶴松の若者3人がコロナに感染してしまい、結局、勘ちゃん兄弟が代役で主演をすることに!
今月の歌舞伎座は、ほかにも染五郎、團子など、若い人たちが感染、幸四郎パパは濃厚接触者となり、第一部から第三部まで、ほぼ9割が代役で続行という事態になっている。中止にせず、公演が続いているのはすごい。歌舞伎とはいえ、全部、古典ではなく新作なのだ。

 というわけで、私としては予想外の、勘ちゃん兄弟主演で見ることができて、むしろラッキーだった。本役の兄弟には申し訳ないけど。
 本役のほうを見てないのに言うのもなんだけど、単調な演技になりそうな内容を、感動にまで持っていけているのは、やはり代役兄弟のキャリアだろうなぁと思った。芹沢鴨役で共演している彌十郎さんも、勘九郎・七之助の代役のクオリティが凄いとブログに書いていた。

 幕が開くとまず驚いたのは、両脇のセットの絵が手塚漫画の絵なの。漫画だ!と思っていると、発端の、丘十郎の家に逃げ込んできた男が襖の隙間に入り込むという、漫画だからこその動きをそのままやっちゃうの。
近藤局長が歩いてくる下駄の音、「カラーン」と「コローン」の2枚の札を黒子さんが持って出てきた!
あんなにすべて漫画に寄せて作っているとは!
髪型も漫画そのものにしてるんですよ、バサーッと風が吹いてるような髪なのに、そのままカツラに作ってるの。
ほかにも、全然関係ないのにブラックジャックが出てきて、遺体を診察して「もう手遅れです」なんて言うし、ピノコ(大きい女形さんがリボンいっぱいつけてた)も出るし、三つ目やひげおやじも出るし、アトムのテーマ曲で踊るし、襖絵は火の鳥、背景画の中にひょうたんつぎもジャングル大帝もいる。おむかえでごんすもやってたし、あと、私にはわからないキャラクターも出てきた、なんか頭にローソク立ててる人!
セットの使い方や場面転換も、普通の歌舞伎の書き割りではなくて、漫画的にしていて、どんどんテンポ早く展開して、「展開早いな!」「漫画ですから!」なんてやりとりも。
鴨の彌十郎さんが、思いっきり歌舞伎的な部分を担当していて、そこもおもしろかった。
おふざけだけでなく、ちゃんと全体がおもしろい作品になっていて、楽しめました。三谷さん、この舞台を見たらいいのに。歌舞伎ってこんなに自由なんだってわかると思うわ。

もう一本は舞踊「闇梅百物語」
 いろんな妖怪が出てくる踊りで、勘ちゃんは骸骨、勘太郎くん長三郎くんは子骸骨で出る。勘ちゃんは子どものころに、同じ骸骨の場面をお父さんと踊ってるんですよね。私は映像で見たことがあるんだけど、勘ちゃん9歳ぐらいなのかな、すでにちゃんとした踊り手としてうまいの!でも、こまっちゃくれてないの。びっくりしますよ。
勘太郎くんたちはそこまでいかないけど、楽しそうに、きちんと踊ってました。
 この演目で、感心した若手は、七之助の雪女郎の場面に新造役で出ていた千之助くん(仁左衛門さんの孫)。それから、お堀端の場面で河童と狸を踊っていた二人、狸は橋之助くん(芝翫さんの長男)、河童は虎之介くん(扇雀さんの息子)。きちんと動けていて、踊りがうまいなぁと思いました。
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「グレート・ギャツビー」宝塚月組公演

2022-08-22 21:58:39 | 宝塚
「グレート・ギャツビー」宝塚月組公演
 宝塚大劇場の千秋楽の配信を見ることができました。
コロナで初日が延期、やっと開幕できて1週間でまた中止になり、それでも最後の4日間公演することができた。

 宝塚では三度目のギャツビーだが、初の大劇場での1本立て上演ということで、脚本・演出の小池修一郎先生が派手なレビュー場面を増やしたりして、大作に仕立て直したそうだ。
感想としては、ミュージカルとしてよくできてる!
そして、大作として仕立て直したせいもあり、小池作品のギャングものの名作「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の親戚みたいな印象にはなっている。

 ギャツビー(月城かなと)が求め続けるデイジー(海乃美月)の夫トムを演じている鳳月杏、この鳳月さんが「小池先生こそかなりロマンティストだよね。原作に寄せるというより、宝塚の男役を見せる方向に行ってる」と言っていて、見たらまさにそういう感じでありました。だから、月城ギャツビーは魅惑の美しさで、隙なくカッコいい。
原作の読後感は強烈なむなしさ、まったく救いのない報われなさで、そこが魅力だと思うが、その点はかなり薄まっているのが惜しいけど。
主演の月城さんは、「このお話は断じて単なるラブロマンスではないと思う」と言っていたから、徹頭徹尾メロドラマとして作り上げて「宝塚版としてはこれでいいと考えています」と言う演出家とは乖離が。おそらく最初は、擦り合わせが大変だったんじゃないかという気がする。

 小池先生は、ラストシーンのギャツビーの葬儀に、デイジーを登場させていて、それは「あらまあ!」という驚きではある。どう考えても来ないでしょ。危険すぎる。新聞記者(この舞台にも登場してゴシップで活躍する)に嗅ぎつけられたら大変。真相がバレなくても、ギャツビーとつきあいがあったなどと書きたてられたらスキャンダルだ。原作ではもちろん来ない。
トムは、女房を轢き逃げされ、ピストルを持って逆上している亭主に向かって「あの車の持ち主はギャツビーだ」と教えておいて、妻子を連れて大急ぎでこの町を後にする。
30年前の初演のときに、宝塚のヒロインにふさわしいようにしないといけないという事情もあったようだが、むしろ葬儀に顔を出すことで、デイジーの印象が悪くなってる気がするんだけどね。

 原作では、葬儀に駆けつけるのは、田舎の老父のほかにはたった一人、最初の乱痴気パーティーのときギャツビーの書斎に入り込んでいた男。読んでいてたいした場面に思わなかったのが、葬儀にやってきたのがこの男だけだったことで、あの書斎の場面は意味があったのか!と思った。立派な本が並んだ書棚の前で男は「厚紙で作った飾り物かと思ったら、全部本物の本だ!」と感心し、本を手に取って言うのだ「ページは切ってない」
つまり、ちゃんとした本が並べられているが、1ページも読まれていないということだ。
ギャツビーがオックスフォードを出ましたと言いたがることと思い合わせても、彼が求めたものは、単にデイジーという一人の女だけではなく、彼女が象徴する、高度な教育に容易に手が届く階層なのかもしれない。
宝塚版ではこの男のエピソードはまったく出てこない。

 小池先生はギャツビーの人物像を掘り下げることよりも、大作ミュージカルとしての華やかなボリュームに力を注いだのだと思う。トムが出かけていくレビューの場面や、ギャツビーと対決するゴルフコンペの場面など大人数で楽しく盛り上がるし、高級もぐり酒場でギャツビーが歌うアウトローのナンバー、ギャングたちが煙草片手に踊る男役群舞、テンポよく見せ場があってストーリーが進んでいく。ロマンティスト小池先生も、作劇術はさすが。
 主演の月城さんは、その小池先生が「よくぞタカラジェンヌになってくれた」と大絶賛の演技力を、繊細に、惜しみなく見せてくれますし、月組の皆さん、芝居がうまい。
 大階段を使ってのフィナーレがついて、つらい役の人もみんなカッコよく踊って華麗に終わるのが宝塚のいいところ。
宝塚ミュージカルとして、いい舞台になっていたし、月城さんにもぴったりの役だった。

 そして、ともかく、4日間とはいえ、この千秋楽まで公演できて、ほんとうによかった。
来月の東京公演の無事を祈ります!
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