9月29日のブラタモリは山形県酒田市、最上川の橋の上からはじまりましたが、すごい雨降り。
すぐ登場した案内役は、酒田市役所の小林さん。
「酒田は日本の中心」がテーマ。
タモさんが「北前船か」
北前船は海の総合商社なんですと小林さん、その出発点が酒田だから日本の中心なんですと力説。
酒田から西へ行き、江戸へまわるのを西廻り航路という、そのの出発点なんですね。
小林さんは、背が高くてガッチリしてて、すっごい張り切ってて、声も張ってて、めちゃ一生懸命で、
説明を聞いてたタモリさんが
「あんまり張り切るとバテますよ」
ブラタモリが山形県に来るのを待ってたんだって。
ようこそ!酒田へ!の気分が出ちゃいました、とおっしゃってました。
最上川の屋形船に、京大の山村先生が乗っていて、案内役が二人になりました。
晴れていれば鳥海山が見えてきれいだという川べりですが、残念ながら今日は雨で何も見えません。
西廻り航路にとって重要だったのは、最上川の周辺からの物資が舟運で酒田に集まった。
舟から荷上場へ上陸してみると、残っていた倉庫群!
山居倉庫という場所、ずらーっと蔵が並んでる。
すごいなぁ、これ、江戸時代の建築?
そのままいまでも使ってるの?
特別に中に入れていただきました。
米の袋がブワーッと積まれてる!
いまは一つの棟で1万5千俵入ってる。
しかし、江戸時代には65万5千俵集まったんだって。
山形には幕府の天領が20万石もあったから。
それを集めて酒田から江戸へ運び出す、それが西廻り航路の起点となった理由。
「江戸の胃袋をつかんだということで、日本の中心と言えますね」と山村先生。
最初は幕府の米専用ルートだった西廻り航路を、やがて北前船の商人たちが利用し、
酒田が繁栄することになった。
市内に残っている豪商の屋敷を見に行きましょう。
大きな冠木門にある名前は本間。
「本間家!ああ、本間家か!」とタモさん。
歌に残ってる本間様ですか!
「本間様にはおよびもせぬが せめてなりたや殿様に」と歌に歌われた、あの豪商でしょ!?
残ってるんだ。ていうか、続いてるんだ。
当代のご当主は十一代目のご老女。
徳川斉昭の直筆の掛け軸やら、加藤清正が持ち帰った壺やら、飾られてある。
「こんなすごいの、ぽんぽん普通に置いてあって大丈夫なんですか?」とタモさん、
ふだんは本間美術館収蔵だそうです。
あ、なるほどね。これだけのものがあったら、美術館、博物館にしないと、遺産相続できないよね。
屋敷は600平米、23の部屋、
梁は春慶塗り(普通はお盆とかを塗るような漆塗り)、
障子は一部屋ずつ違う桟のデザインになっているの!ハタキかけるの、大変だねー。
幕府の巡見使が宿泊するので豪勢な屋敷になっている。
庭石は各地の名産の石が使われている。
日本じゅうから石が集められたわけは、やはり北前船。
行きは米俵を積んでいき、帰りには買い込んだ衣類などの商品のほかに、
石を船底に積むことで重しにして、持って帰ってきたから。
港の見える高台の公園、日和山公園に来ました。
雨がやんでますね、よかったね。
酒田港は風が強い、船が入るのに具合が悪い、
その風の解決をした場所があちらにあるんですと説明の途中で、
山村先生は「すみません、私、大学で授業があるので、ここで」とお別れ。
専門じゃないのでと選手交代することは多かったけど、これは珍しいね、おじゃまっぷ方式だね。
移動したのはフェリー乗り場、離れた島の飛島へ行く船が出ます。
そこにあった大きな地図を見てタモリさんが地形の説明を始めちゃったのがおもしろかった。
飛島までフェリーで渡り、舘岩という高台へ、強い風に吹かれながら急な階段を登るご一行。
下を見下ろすと、港の入江が見える。
弓のような入江の形は風除けができる。
船はいったんこの飛島の港に入り、風待ちをして酒田に入るという解決法を取ったんですね。
この舘岩は「これは火山の溶岩の固まった岩ですね」とタモさん。
海底火山が盛り上がって冷え固まったというので、露出している岩に触って、種類を判定するタモさん。
この溶岩は流紋岩ですと教わって、
「流紋岩か!よく見とこう!」と食いつく。
飛島が気に入ったタモさん、
「面白いですね、この島。成り立ちから利用のされ方も」
地形の成り立ちに興味が持てれば、どこに行ってもおもしろいだろうね。
すぐ登場した案内役は、酒田市役所の小林さん。
「酒田は日本の中心」がテーマ。
タモさんが「北前船か」
北前船は海の総合商社なんですと小林さん、その出発点が酒田だから日本の中心なんですと力説。
酒田から西へ行き、江戸へまわるのを西廻り航路という、そのの出発点なんですね。
小林さんは、背が高くてガッチリしてて、すっごい張り切ってて、声も張ってて、めちゃ一生懸命で、
説明を聞いてたタモリさんが
「あんまり張り切るとバテますよ」
ブラタモリが山形県に来るのを待ってたんだって。
ようこそ!酒田へ!の気分が出ちゃいました、とおっしゃってました。
最上川の屋形船に、京大の山村先生が乗っていて、案内役が二人になりました。
晴れていれば鳥海山が見えてきれいだという川べりですが、残念ながら今日は雨で何も見えません。
西廻り航路にとって重要だったのは、最上川の周辺からの物資が舟運で酒田に集まった。
舟から荷上場へ上陸してみると、残っていた倉庫群!
山居倉庫という場所、ずらーっと蔵が並んでる。
すごいなぁ、これ、江戸時代の建築?
そのままいまでも使ってるの?
特別に中に入れていただきました。
米の袋がブワーッと積まれてる!
いまは一つの棟で1万5千俵入ってる。
しかし、江戸時代には65万5千俵集まったんだって。
山形には幕府の天領が20万石もあったから。
それを集めて酒田から江戸へ運び出す、それが西廻り航路の起点となった理由。
「江戸の胃袋をつかんだということで、日本の中心と言えますね」と山村先生。
最初は幕府の米専用ルートだった西廻り航路を、やがて北前船の商人たちが利用し、
酒田が繁栄することになった。
市内に残っている豪商の屋敷を見に行きましょう。
大きな冠木門にある名前は本間。
「本間家!ああ、本間家か!」とタモさん。
歌に残ってる本間様ですか!
「本間様にはおよびもせぬが せめてなりたや殿様に」と歌に歌われた、あの豪商でしょ!?
残ってるんだ。ていうか、続いてるんだ。
当代のご当主は十一代目のご老女。
徳川斉昭の直筆の掛け軸やら、加藤清正が持ち帰った壺やら、飾られてある。
「こんなすごいの、ぽんぽん普通に置いてあって大丈夫なんですか?」とタモさん、
ふだんは本間美術館収蔵だそうです。
あ、なるほどね。これだけのものがあったら、美術館、博物館にしないと、遺産相続できないよね。
屋敷は600平米、23の部屋、
梁は春慶塗り(普通はお盆とかを塗るような漆塗り)、
障子は一部屋ずつ違う桟のデザインになっているの!ハタキかけるの、大変だねー。
幕府の巡見使が宿泊するので豪勢な屋敷になっている。
庭石は各地の名産の石が使われている。
日本じゅうから石が集められたわけは、やはり北前船。
行きは米俵を積んでいき、帰りには買い込んだ衣類などの商品のほかに、
石を船底に積むことで重しにして、持って帰ってきたから。
港の見える高台の公園、日和山公園に来ました。
雨がやんでますね、よかったね。
酒田港は風が強い、船が入るのに具合が悪い、
その風の解決をした場所があちらにあるんですと説明の途中で、
山村先生は「すみません、私、大学で授業があるので、ここで」とお別れ。
専門じゃないのでと選手交代することは多かったけど、これは珍しいね、おじゃまっぷ方式だね。
移動したのはフェリー乗り場、離れた島の飛島へ行く船が出ます。
そこにあった大きな地図を見てタモリさんが地形の説明を始めちゃったのがおもしろかった。
飛島までフェリーで渡り、舘岩という高台へ、強い風に吹かれながら急な階段を登るご一行。
下を見下ろすと、港の入江が見える。
弓のような入江の形は風除けができる。
船はいったんこの飛島の港に入り、風待ちをして酒田に入るという解決法を取ったんですね。
この舘岩は「これは火山の溶岩の固まった岩ですね」とタモさん。
海底火山が盛り上がって冷え固まったというので、露出している岩に触って、種類を判定するタモさん。
この溶岩は流紋岩ですと教わって、
「流紋岩か!よく見とこう!」と食いつく。
飛島が気に入ったタモさん、
「面白いですね、この島。成り立ちから利用のされ方も」
地形の成り立ちに興味が持てれば、どこに行ってもおもしろいだろうね。