よむよま

よむ・よまない、それから。

ブラタモリ「奈良」後編

2015-08-20 22:10:45 | 見る
「奈良」後編は、観光地としての奈良。

春日大社とくれば、鹿。
ホルンを抱えて半被を着た方がいます。
ホルンを鳴らして待つことしばし、
森の中から鹿が集団で走り出して来ました!こっちに向かって!
これはあれではないか!
これを使ったんだね!「鹿男」のタイトルの映像!
「鹿寄せ」というんだそうですが、
ここはぜひ、あの疾走感あふれるテーマ曲を使ってほしかった。

鹿に鹿せんべいをやりながら、タモさんは吉永小百合の「鹿のフン」の歌を思い出しました。
ふんふんふんふん!サユリスト・タモリ!
(ナレーションの草くんが歌作って捧げちゃったの、知ってるかしら)

次は東大寺へ。
さっきは晴れてたのに、雨がざーざー降ってます。
案内人の東大寺の広報の鈴木さんの声も聞き取れないくらい。(^_^;)
この方は寺マニアで、休日はよそのお寺めぐりをしてるんだって。
えー?毎日毎日、東大寺にいるのに?

大仏は戦国時代から江戸時代にかけて、大仏殿が焼失してずっと野ざらしだった。
それを建て直したのが五代将軍綱吉。
東大寺の境内の一角の天皇殿にその名残があると入っていったんだけど、
こんなところあるんだ、知らないなぁと思ってると、
「一般公開はしておりません」
あ、やはり?
いまは天皇殿の名前だけど、最初は綱吉に感謝して作った、徳川家を祀る東照宮だったんだって。
だから、灯籠などに葵の御紋が入っている。
明治になって、聖武天皇を祀る天皇殿に変えたために、扉には菊の御紋がある。
両方が並んでいるのは珍しいですと言ってた。

うーんと、えーと、会津藩の京都守護職屋敷もそうじゃなかったっけ?
菊の御紋を使ってよいという帝のお許しがあって付けたの。
会津松平家は葵の紋だから、並んでいたんじゃないですかね。
ていうか、菊と葵を敵同士にしたのは、薩長の連中のしわざだから。(ー_ー)!!

大仏殿の屋根裏まで上って、大虹梁(大きな長い梁、2本入っている)を見ることができる、
いかがですか?と言われたタモさん、
「え!ここの上!?」
長い階段も、階段というよりハシゴ段、尻込みするタモさん。
すると、広報の鈴木さんが上ったときのビデオが出てきました。
イヤ、これはすごいね、階段上がるのにロープ使ってたもん。これは上らなくてよかったかも。
ごろーちゃんも無理だね。

しかしこの後、お寺の修復現場を見られるということで移動した生駒の長福寺では、
ヘルメットかぶって屋根の高さへ。
結局こうなるのだね、タモさん。
でも、この修復現場では、宮大工さんに教わってカンナかけたり(上手だった、タモさん)
屋根の基本の木材をはめるのをやらせてもらったり。
今回の修理が終われば、200年か300年はこのままだろうって。
そして、今回初めて、制震ダンパーという地震に備えた機械を柱の下部に使うことにしたんだって。
いろんなことが考えられてる。

番組の最後には、せんとくんが登場してた!
ブラタモリが来る!って待ってたのね。(^-^)
コメント
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