硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

トイレで除夜の鐘。

2013-01-05 17:18:08 | 日記
昨年の31日。寒空の下家の大掃除がひと段落した午後から体調が崩れ、紅白歌合戦が始まるころには床に就いた。悪寒と吐き気を伴い、おまけに背中も痛いので布団の中でうんうん唸っていた。吐き気をもよおすたびにトイレに行っていると、トイレの前で除夜の鐘を聴いた。

「今年はどうなってしまうんだろう」

そんな不安も感じながら吐くものが無くなると、身体が落ち着いて再び床に就き、うとうとしているうちに朝を迎え、元旦より職場へ。微熱がある事に気づくも仕事のフォローをしてくれる体制ではないので体に鞭打ち解熱剤を飲みその日をやり過ごすも、帰宅と同時にダウン。水分補給とトイレに行く以外は睡眠。不思議なものでなにも考える事も出来ず、目を閉じれば自然に睡眠へといざなわれた。3日目の朝ようやくおかゆがのどを通る。しかし、テレビも新聞も観る気力が起こらない。大みそかから3日のお昼まで世の中の情報を一切知らないまま過ごしていた。その夜ようやく頭の中で考え事が浮かんだ。健康な時は日常の煩わしさに苦しみ、世捨て人になりたいとまで思うようになるが、身体が此処まで弱ると身体が善くならないかなと思ってしまう。

人間とは随分勝手なもので、その時の気分で考え方がぐらぐら揺らぐ。世捨て人になりたいくらいならこのまま身体が悪いままの方がいいではないかと思うのであるが、そうではなくて回復を望むのである。

健康な時はなるべくたくさんの事を知っておきたいと思う気持ちも、病弱な身体時はそんな気も起らない。むしろ無知のままでよいと思うほどである。

僕は弱い。僕は何も知らない。だだそれを痛感したお正月だった。







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