硝子戸の外へ。

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「祝賀御列の儀」

2019-11-10 20:34:28 | 日記
日曜の午後。テレビで「祝賀御列の儀」を観た。和やかな中にも厳戒態勢が引かれていて、「愛されると、憎まれるは紙一重なんだなぁ」と思った。
「御列の儀」を一目見ようと沿道に沢山の人が訪れていて、スマホやデジカメを持って両陛下の乗る車の方に向けて手を伸ばしている様子が映し出されていた。それを見ていて、ふと、あるおじいちゃんとおばあちゃんの話を思い出した。

三重県には伊勢神宮があるので、神宮参拝の為、昭和天皇が三重県にいらっしゃったことがあります。現在では、近鉄を使用されますが、その当時は国鉄でした。
その際、名古屋から関西本線に乗り、亀山で参宮線へというルートを通るので、陛下がいらっしゃると聞いて、その当時、(戦前)少年だったおじいちゃんは、関西本線の一番近い駅まで、大人たちと共に歩いて観に行きました。(たしか、観に行くようにとのお達しがあったらしい)
沿線には大勢の人が集まっていて、列車が来るのを今か今かと待っていたそうです。そして、列車が近づいてくると、敬礼と言われ、沿線に集まった人たちは一斉に頭を下げました。そして、駅から列車が出発し、走り去ると、ようやく頭を上げる事を赦されました。1時間もかけて歩いてきた少年は、教育されていたから、それが普通だと思っていたのですが、歩いて帰路に就く中、、大人たちが「なんで、(天皇陛下)見られへんのに、こなあかんやろ」と、言っているのを聞いて、びっくりすると同時に、「たしかにそうだな」と思ったそうです。

そして、偶然にも、列車が、亀山駅から、参宮線へ乗り換えたとき、その近くに住んでいた、当時少女だったお婆ちゃんも、やはり大人たちと、観に行ったそうです。でも、やっぱり、敬礼を促され、列車が去るまで頭をあげられませんでした。
そのお婆ちゃん、今でも頭の回転はすこぶる良い人のなので、少女の時、「なんで観たらあかんのやろな」と思ったそうです。そして、「そんなこと口にしたら、引っ張って行かれるで言わへんだけどな」と笑いました。

時代は令和。沿道に集まった人たちは、両陛下に温かい声援を送ると共にその姿を写真に収めていました。両陛下も30分もの間、ずっと笑顔を絶やさず手を振っていらっしゃいました。きっと、大変な思いもしていらっしゃるのに、象徴としての振る舞いを貫かれようとしている姿に感動を覚えました。

天皇や皇室の存在を考える時、少しばかり違和感を覚えますが、「御列の儀」を観ていて、両陛下と国民の立ち位置が、変わることなく、このまま続けば、経済的にはどうなるか分かりませんが、国としては、成長してゆくのではと思ったのです。

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