硝子戸の外へ。

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与党の選挙対策委員会の考えはどうでしょう?

2024-05-03 20:12:49 | 日記
経団連会長の十倉さんが、「なぜ首相の支持率が上がらないのか分からない」というようなコメントを出されていた。

世論と感じ方が乖離しているなぁと思い、暇に任せていろいろ考えてみる。

そして、そこで思い浮かんだ根拠のない考えを、個人的にすっきりさせたいのでだらだらと述べておきたい。

戦後以降、農業などの第一次産業に支えられていた市町村の各町には土建屋さんがあった。
小さな農村の土建屋さんは農村の公共事業を担っていて、米作りに関わる、水路、河川、耕地整理も引き受けていた。小さな農村での産業の主が米作りであるから土建屋さんとは共同体であった。
そして、作られたお米はすべて農協に収めていたので、農協さんとも共同体であった。

土建屋さんは公共事業をいただくために、農協さんは農業を守るために、選挙が行われる度に与党である自民党を推した。米作りを主とする小さな農村に暮らす人々は、ほぼその意向に従った。それが共同体を維持する一つの手段でもあった。

しかし、時代は変わり、離農者は増え続け、土建屋さんや農協とも縁遠くなった。
そして、これまで無条件に自民党を支持してきた人たちも鬼籍に入り始めた。

その代わりに会社勤めの人が増え、会社員の人は組合や会社の推す議員さんへ、選挙に興味のない人は投票を放棄し、選挙に興味のある人は自由意志で票を投じるようになった。

また、都市でなどで大きなビルや公共の工事現場を見ると、海外の労働者を見かける事が多くなったように思う。
おそらく彼らには投票権がない。

これは点のみの視点であるが、もし、同じような状況が日本中で起こっていたとしたらどうだろう。それだけでも、かなりの票数にならないだろうか。
そして、この事象は戦後から自民党をけん引してきた人々の意思が引き継がれずに断絶し始めているといえるのではないか。

だとすれば、支持率が上がらないのは、共同体を壊してしまった、資本主義と新自由主義が生み出した一つの事象といえるのではないだろうか。

古代ローマ時代の詩人ユウェナリスが当時のローマ社会を批判したように、「パンとサーカス」を与えられることによって人々の多くは政治的無関心になりはしたが、それと同時に戦後、世の中をよくしようと熱心に自民党を支持してきた人々もこの世から去りだしたのであるから、そこを見落としてしまっていると、十倉さんのような乖離が生まれてしまうのではないかと思った。

この推論、どうでしょう?